語弊があるかもしれないが、私はスナイパーという存在に惹かれる。
マイケル・ムーアは「スナイパーは背後から人を撃つ臆病者だ」と発言し話題になったようだが、とりたてて臆病者ともヒーローとも思わないものの、とにかく惹かれるのだ。

それは多分、スナイパーが目標に照準をあわせ、一撃のもとに倒すという緊張感にある。
敵にまわせば、姿の見えない不気味で怖い存在だし、味方にすれば、リスクを最小限に確実に敵を倒す頼もしさもある。

言ってしまえば殺し屋だ。
戦争という大義名分を背負っていれば、それは英雄と呼ばれる。
「1人殺せば犯罪者だが戦争で100万人殺せば英雄となる」と言うやつである。

それでも映画の中の世界ではそれは不謹慎ながら格好よくさえ見えてしまう。
『プライベートライアン』のスナイパーも神に祈りながら狙撃する様が演出上しびれてしまう。

故に伝説のスナイパーが主人公とは燃える設定だ。
おまけに彼には同じくらい凄腕の好敵手もいる。
これはまるでフィクションのように出来すぎたお膳立てではないか。
ふたりの対決に至る演出は、さすが西部劇でならしたイーストウッドだけあって、エンタメに優れており、やっぱり不謹慎ながら格好よいと思ってしまう。
せまりくる砂嵐、まわりは敵兵、銃を一発でも撃てば屋上にアメリカ兵がいることが気付かれる。そして1.9km先には宿敵のスナイパー。
スナイパーの緊張感が遺憾なく表現され、このシーンだけでもお腹いっぱいの素晴らしさ。
(「Fuckin' Legend!」に思わず吹いた。ダイレクトに「伝説」なんて呼ばれると、リスペクトされているのか馬鹿にされているのか微妙である)

戦争を娯楽として受け取ってよいのか、それもまた問題かもしれないが、映画はやはり映画だ。事実のすべてではない。
ただ、この映画からもイラクでどんな戦いが繰り広げられたのか、その恐ろしさ、悲しさの一片を味わう事が出来る。

主人公クリス・カイルの父親は人間は「羊、狼、番犬」の三種類に分けられると言う。
クリスは羊を守る番犬となるべく戦場に向かう。
実際はそれほど単純な話ではない。だが、主人公はこのシンプルな考えから揺らぐことがない。
「自国を守る為なら、蛮人を殺すことなど厭わない」
単純にしてシンプルだからこそ、彼は160人以上の人々を射殺出来る。
そしてPTSDに苦しむ間でも彼は自国を疑うことも、自分を疑うことも、後悔もない。

このぶれない一本気って牡羊座っぽいなーとふと思った。
いや、実際の牡羊座の人間がそうだという意味ではなく、あくまで私がイメージする牡羊座っぽさというか。
で、後で調べたらクリスは本当に牡羊座だった。
まあ、そんなシンクロニシティもたまにはある。

『ハートロッカー』もそうだが、冒険とかある種の危険が伴う状況には脳内麻薬による中毒性があり、平和な暮らしとの乖離を引き起こす。
クリスもまた何度となく戦場に舞い戻る。それは彼の正義感だったのか、使命感だったのか、あるいは脳内麻薬による中毒だったのかはわからない。
ここではひとつの決着が転機となる訳だが、観客同様それがクリスにとって最大のカタルシスとも言える。この瞬間彼はこれ以上のめり込んだら自分は家庭に戻れなくなるということに気付いたのかもしれない。だからこれを機に戦場を後にしたのではないだろうか。

そんなクリスがたどる結末は実に皮肉だ。
狼から羊を守る番犬が、狂った羊に殺される。
番犬が守るべきものはなんだったのか。

無音のエンドロール。時に沈黙こそが雄弁に語ることもある。

実在するクリス・カイルが殺害されたのが2013年。まだまだ生々しいお話である。