瓦礫受け入れ問題、札幌市長と島田市長の違い | あんくら島田のブログ

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『安心して暮らせる島田を作る市民の会』
私たちは静岡県島田市での「震災がれき広域処理」への疑問から活動を始めた年齢や立場・市内か市外かなどの「枠」にこだわらない個人有志の集まりです。

上田札幌市長】

東日本大震災により発生したがれきの受入れに ついて

東日本大震災から一年が過ぎました。地震と津 波による死者・行方不明者が18,997人という未 曽有の大災害は、福島第一原子力発電所の大事 故とともに、今なお人々の心と生活に大きな影 を落としています。改めて被災者の皆さま方に 心からお見舞い申し上げ、亡くなられた方々の ご冥福をお祈りいたします。

震災から一年後となる、今年の3月11日前後、 テレビの画面に繰り返し映し出されたのは、膨 大ながれきの山と、その前に呆然と立ちすくむ 被災者の姿でした。これを視聴した多くの人々 の心には、「何とか自分達の町でもこのがれき 処理を引き受けて早期処理に協力できないか」 という、同胞としての優しい思いと共感が生ま れたものと思います。

政府は、岩手県・宮城県の震災がれき約2,045 万トンのうち、20%に相当する約401万トンを 被災地以外の広域で処理するという方針を出 し、今、その受入れの是非に関する各自治体の 判断が、連日のように新聞紙上等をにぎわせて います。 私は、これまで、「放射性物質が付着しないが れきについては、当然のことながら受け入れに 協力をする。しかし、放射性物質で汚染され安 全性を確認できないがれきについては、受入れ はできない。」と、市長としての考えを述べさ せていただきました。

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『放射性廃棄物は、基本的には拡散させない』 ことが原則というべきで、不幸にして汚染され た場合には、なるべくその近くに抑え込み、国 の責任において、市民の生活環境に放射性物質 が漏れ出ないよう、集中的かつ長期間の管理を 継続することが必要であると私は考えていま す。非常時であっても、国民の健康と生活環境 そして日本の未来を守り、国内外からの信頼を 得るためには、その基本を守ることが重要だと 思います。 国は、震災がれきの80%を被災地内で処理し、 残りの20%のがれきを広域で処理することと し、今後2年間での処理完了を目指していま す。 これに対し、「現地に仮設処理施設を設置し精 力的に焼却処理することで、全量がれき処理が 可能であり、また輸送コストもかからず、被災 地における雇用確保のためにも良い」という意 見も、被災県から述べられ始めています。

また放射性物質についてですが、震災以前は 「放射性セシウム濃度が、廃棄物1kgあたり100 ベクレル以下であれば放射性物質として扱わな くてもよいレベル」だとされてきました。しか し現在では、「焼却後8,000ベクレル/kg以下 であれば埋立て可能な基準」だとされていま す。「この数値は果たして、安全性の確証が得 られるのか」というのが、多くの市民が抱く素 朴な疑問です。全国、幾つかの自治体で、独自 基準を設けて引き受ける事例が報道され始めて いますが、その独自基準についても本当に安全 なのか、科学的根拠を示すことはできてはいな いようです。

低レベルの放射線被ばくによる健康被害は、人 体の外部から放射線を浴びる場合だけではな く、長期間にわたり放射性物質を管理する経過 の中で、人体の内部に取り入れられる可能性の ある内部被ばくをも想定しなければならないと いわれています。 チェルノブイリで放射線障害を受けた子ども達 の治療活動にあたった日本人医師(長野県松本 市長など)をはじめ、多くの学者がこの内部被 ばくの深刻さを語っています。放射性物質は核 種によっても違いますが、概ね人間の寿命より 、はるかに長い時間放射能を持ち続けるという 性質があります。そして誰にも「確定的に絶対 安全だとは言えない」というのが現状だと思い ます。

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札幌市の各清掃工場では、一般ごみ焼却後の灰 からの放射性物質の濃度は、不検出あるいは1 キログラム当たり13~18ベクレルという極めて 低い数値しか出ておりません。私たちの住む北 海道は日本有数の食糧庫であり、これから先も 日本中に安全でおいしい食糧を供給し続けてい かなくてはなりません。そしてそれが私たち道 民にできる最大の貢献であり支援でもあると考 えます。

私も昨年4月、被災地を視察してきました。目 の前には灰色の荒涼たる街並みがどこまでも続 き、その爪痕は、あまりにも悲しく、そしてあ まりにも辛い光景で、今も私のまぶたに焼き付 いています。 また私は、若い時に福島に1年半ほど生活して いたことがあり、友人も沢山います。福島は、 桃やリンゴなどの優れた農作物で知られてお り、それらを丹精こめて生産されている人々 が、愛着のある家や畑から離れなければならな い、その不条理と無念さに、私は今も胸を締め つけられるような思いでいます。

札幌市はこれまで、心やさしい市民の皆様方と ともに、さまざまな支援を行ってまいりまし た。今なお札幌では、1,400人を超える被災者 を受け入れており、あるいは一定期間子どもた ちを招いて放射線から守る活動などにも積極的 に取り組んできたところです。そのほか、山元 町への長期派遣をはじめとした、延べ1,077人 に及ぶ被災地への職員派遣、等々。今までも、 そしてこれからも、札幌にできる最大限の支援 を継続していく決意に変わりはありません。

またこのところ、震災がれきの受け入れについ て、電話やファクス、電子メールなどで札幌市 民はもとより、道内外の多くの方々から、賛 同・批判それぞれの声をお寄せいただき、厳し い批判も多数拝見しています。ご意見をお寄せ いただいた方々に感謝を申し上げます。これら のご意見を踏まえ、何度も自問自答を繰り返し ながら、私は、「市長として判断する際に、最 も大事にすべきこと、それは市民の健康と安全 な生活の場を保全することだ」という、いわば 「原点」にたどり着きました。

私自身が不安を払拭できないでいるこの問題に ついて、市民に受入れをお願いすることはでき ません。 市民にとって「絶対に安全」であることが担保 されるまで、引き続き慎重に検討していきたい と思っています。

2012年3月23日 札幌市長 上田文雄

present by nakada