相手の裏に隠された思いや、その行動の意味を察することが出来るようになったのは、私はすごく遅かった。高校生くらいでやっと、ちゃんと理解できるようになったんじゃないかな??


私コミュニケーションが上手く取れなかったのは、そのせいだと思う。


中学の頃、言葉が達者な子がいた。私はその子に上手いように使われたんだよね。人の定規を借りておきながら、マーカーの汚れがついちゃって。(汚れちゃったな〜本人に返すのが嫌だな〜私は返したくないから頼んじゃお。)←言葉の裏の思いは、これだよね。返却を私に頼んできた。


今なら、言えるよ。汚したの、あんたじゃん、なんで謝って返さないの?って。でも当時は言えなかった。班で取り組んでることだったから、手持ち無沙汰になってた私に(コミュ障過ぎて、やってることに参加出来てなかった)「これ返してきて。今何もしてないでしょ?」って、マーカーで汚れた定規を渡してくるの。


違和感あったよ、私にも。私汚してないのに、返すとき汚れてごめんねって言わせるの?こんな状態で返されたら嫌だよ?なんで、、わたしが、、


でも断れなかったんだ。当時、言われたことはそのまま、受け取ってた。言い返す語彙力、判断力が無かったんだ。違和感あるまま、返したよ、汚れた定規。「ああ、、」って悲しそうな顔してたよ。忘れられない。


例えば、この人気持ち悪い!って周りが言ったとする。そしたら、その人の状況考えもせず周りが気持ち悪いと言ってるんなら、その人って気持ち悪い人なんだ!と信じてた。そう思ってた。根拠もないのに、誰かが言った言葉ってそれが正解=皆んながそう思っている事なんだと。自分の頭で考えるって事が出来てなかったんだよね、私は。


私は中学まで言われるがまま、反対すれば文句言われるから、自分の気持ち関係なしに周りの言動に従ってた。まぁ、両親の育て方というか、両親の性格に問題があったんだよね。家庭内でも自分の気持ちってのが分からないから言われたらそうする、そんな感じだった。


高校生になってから、私は変わった。皆んな敵のように思って壁作ってた中学時代とは真逆の生活で楽しかった。高校というステージに上がり付き合う人が変わったこと、同じ目標に向かう人との生活では(言ったら分かってくれるんだ)(自分の気持ち正直に言っていいんだ)って思えた。

楽しかったなぁ。高校が一番、楽しかった。成長した、私、やっとって思えた。


これって、皆んなはどこで察する能力が育まれるんだろ。私はだいぶ遅かったから、だいぶ人間関係拗らせて生きてきたよ。


兄弟、親、友達。環境が大きいよね、こういう性格になるってのは。私の家では、会話が少なく、自分の気持ちを話す場所ってのが無かった。そういう環境だったから、ここまで拗らせたんだと思う。


あのね、ちょっとでも話すだけで、人は行動を変えるきっかけになると思うの。悩んだ時、困った時、まあ何にもない時でも【話せる環境がある】って事が大事だと思うんだ。どうでもいい話を聞いてくれる人が居るってのが、大事だよ。何かトピックスがないと話せないような家族だったからさ、私は。何でもいいから言葉に出して、会話してたら、思いもよらない行動力のヒントが出てきたりするでしょ??


私は、そういう環境、作りたいと思ってる。

何気ない声かけをするの。それだけで、そしてその積み重ねで、人は信頼関係が生まれるでしょう??私が悩んできた事は【自分の気持ちを話せる、話しやすい!と思える環境】があれば解決したんじゃないかな。


看護師になるための学校に行き始めて、さらに自分の考えを他人に伝える事が増えた。かなり、鍛えられたよ。どの言葉を使う?どんなトーンで話す?そして、いつ話すか?


報告連絡相談。緊急を要する時は、端的に正確にその場で伝えないといけないからね。


私は遅かったな。こういうの、小さい頃から出来る人たちが羨ましいよ。相手にはその言葉の裏が隠れてるって事が理解出来ていれば、人間関係がもっと上手くいってた気がするよ。


この教訓を忘れないために、文章に残しておきます。