アネモネです。
母がいなくなってから、
母の生前に思いを馳せると、
それと同時に、
🏃🏃役割がスライドされて🏃🏃いるのがわかる。
つまり、
母がいなくなったことで、
自分がその役目をやらなければいけなくなる、など。
そうなると、
いくつか気づくことがあった。
今までは私が仕事に行っても、
夜遅く帰って来ても、
〈デフォルトで〉家に先に帰って(居てて)くれたのは母だったけど、
今では私が事実上先に帰る立場になった。
誰もいない家で家族を待っていること、
こんな気分だったのかと気づく。
大雨の日は怖かっただろうな、とか、
東日本大震災の日の夜は不安だったろうな、とか、
いろいろ気づく。
仕事だったし諸々の理由があったからどうすることもできなかったけど、それでも改めて
可哀想だったな、申し訳なかったな と気づく。
でも、「気づく」っていいことだと思った。
なぜなら、人間には
「気づくの活用形」があるから。
😸気づく 〈 🐯思い知る 〈 👽打ちのめされる
気づく、の時点で気づかないと、
思い知る 状況がやって来たりする。
それでも気づかないと、
逃れられない打ちのめされる状況がやって来る。
そっちの段階で体感するより、
気づく 段階で気づいた方が
自分の精神衛生上に良いってわかった(笑)。
しかも「気づく」には、
体感を回避するやり方もある。
それは、
アンテナを高く張っておくこと。
自分以外の立場を慮れること。
慮った上で自分軸を保つこと。(←ここ重要。相手を考え過ぎて取り込まれてしまわないように。)
人は体験しなくても、
マイナスな出来事や悲しい経験に
先に「気づく」と、そっちによって行かない本能があるような気がする。
防御本能というか、危険回避本能と言うか、
動物レベルのそれがあると思う。
でもわからないからそっちに行ってしまう。
体験して初めて気づく。
そして体感度が鈍い人には、
鈍い人にもわかるように大きな出来事が起こる。
薬が効きにくい人は多目に薬を飲まなければいけないイメージで。
「打ちのめされる」前に、
「思い知る」前に、
「気づけ」ればいいなあ。
気づきは、人生を豊かにしてくれる。
今日も良い1日を☆(^^)