本日、宙組東京宝塚劇場千秋楽。トップスターの朝夏まなとさん、私の大好きな娘役伶美うららさん、他皆さん退団です。
今月号の「歌劇」に伶美うららさんへの脚本演出家上田久美子さんの贈る言葉が泣けました。
最大の賛辞を皆さんいつも送られますが今回の上田久美子さんのは美辞麗句で綴られた嘘くさい内容ではなくとても実感のある内容でした。
「昨今のミュージカル流行りの宝塚で苦しんでいた」「赤やピンクの似合うトップ娘役の多い中で銀色や紫の似合う﨟たけた娘役だった」「本人の力量は我々制作サイドで補えるが美だけはなんともならない、本人の力だけのものだ」と。
本当にそうです。
伶美うららさんの美は正義、全ての正論でした。実力重視なら美醜を問わず歌の上手い人をトップに据えれば良いだけのこと。でもそれでは納得しないファンが望むのは初めに美ありきです。そこに実力が伴えば言うことはありませんが…
歌も顔も至って普通の人であったアイーダの人、顔は…でも歌はうまかったサラの人、ダンサーとして卓越した現役の人、と彼女の同期たちは色気皆無でもそれなりに華々しかった。
しかしうららちゃんと同じだけの美貌と臈たけた色気を持つ人は皆無でした。同期に限らず今までの宝塚であの臈たけた美しさと色気を持つ人はいませんでした。
上田久美子さんは語っています。制作サイドに創作意欲を沸かす人であった、と。それは役者にとって最大の賛辞ではないでしょうか?
モノ作りすることは提供元、実現者共に同じ土俵に立ってると言えます。芸術家が自らのビーナスを求めるように舞台製作者にとって「あの役者にこの役を充てたい」と思える役者がいるのは幸せなこと。役者にとっても同じで非常に名誉で光栄な事と思えます。
不器用で真面目、顔も心も美しいと上田久美子さんと同期の桜木みなとさんにも書かれていたうららちゃん。
稽古場画像でも眉間にしわ寄せている場面を見たことがなく、写真の笑顔は優しいうららちゃんの心が現れているようないつも穏やかな笑顔でした。
退団公演でトップ娘役でも無いのに歌劇に特集写真まで掲載される特別扱い。そこまで特別扱いするなら何故1作でもトップ娘役の称号を与えてくれなかった、と今更ながら劇団の処置に憤りを感じます。
ただただ、うららちゃんがトップ娘役の羽根を背負って大階段を降りる姿を見たかったなぁ、と悲しくなります
芸能界へ行くのかわかりませんがあの臈たけた美貌と色気、そして宝塚娘役ならではの品の良さと華やかさはテレビや映画で一層映えると思いますのでうららちゃんをして世間一般の人に
「宝塚の人はやっぱり綺麗な人が多いね~」と認識してほしいです。
上田久美子さんの結びの言葉を借りてうららちゃんへの贈る言葉は
「さようなら美しい人!」