今までどっぷりと日本語環境で育ってきた息子たちが、オールイングリッシュのローカルスクールに編入し、

1ヶ月弱経ちました。


日本語の通じない環境は、それはそれは毎日ストレス大だよな、がんばってるなぁ、えらいよなぁ、と見守っているのですが、

先日、知り合いに、学校どう?と聞かれた長男が、間髪入れずに「楽しいよ!」と答えていたり、

「早く学校行きたい」(←休み時間のバスケが楽しい&ゲームの時間があるから)と言ったり、

次男も朝はしょぼくれながら行っても、「楽しかった〜」と言って帰宅する日が多く、おおぉ、とびっくりしています。


学年末ということで、授業という授業も宿題もなく、ほとんどお遊びの毎日だそうで、新学期からはこうはいかないだろうな、まぁでも導入としてはこれでよかったかな、と思うことにしています。

(6月前半から2ヶ月ほどのながぁいサマバケが始まります泣き笑い編入したと思ったら即夏休み…)



同じスクールの駐米先輩(日本人)たちからは、最初は大変だったけれど慣れたら楽しくなる、と励ましをいただきますが、ふと思ったのは、英語初心者の日本人の子どもがローカルスクールに〝慣れる〟ってどういうことなんだろうと。


大人と子どもでは、〝慣れる〟の感じ方が違うのかもしれませんし、もちろん、その子の性格によっても違うでしょうが、長男を見ていると、英語がわからないということに慣れる、わからなくてもその場をやり過ごすことに慣れる、ということなのでは?とネガティブに考えてしまうこの頃です。



例えば、日本語で書かれているテストなら難なく解ける問題が、問題文が英文になると理解できないので答えを導くことができません。

「英文がわからないからテストできなかった」と吐露します。

最初こそとても残念そうでしたが、何回かテストを受けると、「できなくてもしょうがないよね」と割り切ろうとしています。


もちろん、英語ビギナーなのでわからなくて当たり前ですし、毎日学校に通っているだけで立派!と、これは本心なのですが、

わからないその先をどうしていくかがきっと大事なのだろうなと、早くも分岐点、正念場な気がしています。



わからないことをそのまま流すか、できるようになるために何かしらのアクションを起こすか。


英語ができるようになりたい、勉強したいといった自分の意志で渡米したわけではない息子たちに、英語を強いることにずっと抵抗がありましたが(これは出産前から赤ちゃん用英語教材の案内がばんばん送られてくるのにウンザリしていたころから変わらない思い)、

日系学校ではない環境で生活している以上、もう本人任せだけではいられない状況なのだなと、親も重たい腰あげてアクションを起こす時なのかもしれません。



加えて、数年後には(アメリカ勤務後、他国スライドがあったとしてもいずれは)本帰国となり、日本の教育を受けることになる息子たち。

限られた1日の中で日本の勉強も並行していかねばなりません。



日本では、読み書き&計算の反復が大事とされていますが、渡米してから、自主的にやらない限り漢字を書かなくなっているので危機感を覚えます。(←私が)


学年があがるにつれ、日本の勉強に追いつくのは大変なのは明らかなので、塾も視野に入れなければならないのかなぁ。補習校は休日つぶれるしなぁ。行きたい言ったらもちろんどうぞどうぞですが。


とりあえず、ここ数ヶ月はスマイルゼミだけは毎日コツコツと。



想像はしていましたが、過酷です。

ほんと、、、ほーんと過酷です。



渡米にノリノリになれなかった私の懸念事項トップ3だったローカルスクールと2カ国分の教育。

この不安をシンガポールで出会ったアメリカで子育て経験のある友にぶーたれた時、

「アメリカでの生活は、いつか子どもたちの武器になるから!」

とかけてくれた言葉を大いなる励みに、何度も何度も自分に言い聞かせています。


息子たちの力を信じて、母も忍耐強くやっていきたいです。



雲ひとつない空にカモメ。フンだけは落とさんでくれと願いながらも優雅で見惚れた朝ニコニコ