1942年から1945年の3年半にわたり、シンガポールは日本軍の占領下にあったことについては学校でも習いますが、日本の教科書ではさらっと程度にしか触れられなかった記憶。
私自身、シンガポール赴任が決まってから両国の関係を学ぶようになって知ったことが沢山あります。
国や、その人が置かれる立場によっても見解が違うこともありますし、誤解があってはいけないと思うと、生半可な知識で歴史について記すことは躊躇いがありました。
しかし、先週末。
日本人会で「負の遺産-シンガポールの占領時代」という、史蹟史料部主催、シンガポール在住歴50年にもなる杉野一夫氏の講演会を聴講し、伝えたい気持ちが込み上げてきたのでここに残します。
シンガポールが日本に占領され、“昭南島”と改名させられた時代を生きていた方たちは、現在ではもうこの世を去った方たちがほとんどかと思いますが、子孫はもちろんいるし、シンガポールのローカル校では、この時代のことを誰もが深く学ぶそうです。
(ローカル校ではないのでどれほどの内容なのか存じ上げませんが…)
華僑粛清事件
強制献金
アレクサンドラ病院事件
数々の理不尽な抑圧…
日本軍による残虐な行いは目を背けたくなるような痛ましいものばかりです。
今回の講演会で、シンガポールの礎を築き上げた
リー・クワンユー氏のことが心に刻まれています。
シンガポールは、戦後イギリス領に戻り、
当時首相のリー・クワンユー氏は、資源も何もない小国の生存をかけて、戦時中あんなにも痛めつけられた憎き日本に援助を求めます。
リー・クワンユー氏は、上で記した華僑粛清事件の被害者の一人です。
回顧録がスライドショーにあったので共有します。
(営利目的でなければ掲載許可あり)
政に私情を全く挟まない、自分の感情は押し殺し、反日感情の強かったであろう国民から反感をかおうとも、ただただ国の未来のために何が最善であるかを考え、政策を講じる姿を想像し涙が出ました。
正直、渡星する前は、シンガポールに住むのは不安なおもいも少なからずありました。いくら治安のよい国とはいえ、歴史を少しですがかじると、シンガポリアンの日本人に対する見方はどうなんだろうと緊張していました。
現在の日本人在星者が平和に暮らせているのは、戦後、未来を見据えて、両国の関係を修復するために尽力してこられたシンガポールと日本の政治・経済関係者、もちろん両国民含め、多くの方の努力の賜物なのだと思います。
敬意と感謝を。
戦争のない時代に生まれ育った私にできること。
過去を知り、過去から学び、戦争や平和について子どもたちにもしっかりと伝えていくこと。
在星中に記念碑のある場所やミュージアムなど訪れてきます。
最後に、日本人会の会場(3階オーディトリアム)について、ひとつ付け加えさせて下さい。
レイボー、キキスギヨー
トウシスルカトオモタヨー
カーディガン一枚じゃだめね。
色々と勉強になりました。