イベント当日話したいと考えているテーマを一部公開します。具体的にどういう話をしようと考えているのか、イベントに参加される方は、ぜひ参考にして頂ければと思います。

・消えないいじめのトラウマ
若い内にトラウマを解消できず、大人になっても苦しみ続ける場合はどう生きればいいのでしょうか?
いじめの被害体験なんて、出来る事なら一日も早く忘れて前を向いて生きた方が良いとは誰だって思いますが、忘れたくても絶対的に忘れられない場合もあります。
例えばいじめによって、身体障害や精神疾患などの後遺症を負わされたり、体に目に見える形でいじめの傷跡が残されている場合、忘れるのは不可能です。
若い内にトラウマを解消出来ず、大人になっても苦しみ続けている場合、どう生きればいいのでしょうか?

・傷付いた大人に冷たい社会
『子どもの頃にいじめや虐待を受けた経験があり、その事で今も苦しみ続けている元被害者の大人』に対して、社会は凄く冷たいように感じます。
今いじめられている子ども達に手を差し伸べる人達は大勢いるし、支援する団体も沢山あります。例えばフリースクールなど不登校の居場所もあります。
しかし、昔いじめられて大人になっても苦しんでいる人には、何の居場所も支援もありません。
今いじめに苦しんでいる子ども達に手を差し伸べる事は勿論大事ですが、元被害者の大人に対しても、手を差し伸べる何かが必要と感じますがどう思いますか?
また、どのような支援をしていけばいいでしょうか?

・復讐は本当に救われない?
私は自分を拷問し続けた(いじめ)加害者達を憎んでいて、今でも時々復讐を考えてしまう事があります。しかし、仮に本当に復讐を実行したら、警察に捕まり、社会的罰を受け、マスコミに晒しものにされ、世間から叩かれる事になるわけです。
それが苦しいから復讐を躊躇うだけで、もし社会的にも一切罰せられず、誰にも責められないなら、復讐したら意外と気持ちが晴れるのではないかと感じるのですが、どう思いますか?

・消えない加害者への憎しみ
私は理不尽に被害を受けた側なのに、私を傷つけた加害者達への怒りや憎しみを語ると、こちらが犯罪者予備軍のように扱われてしまう事すらあります。
「加害者を許しなさい」「昔のいじめのことなんていい加減忘れて前を向いて生きなさい」と綺麗事を言われる事はありますが、ならば、実際どうすれば加害者を許せるようになるのでしょうか?

・二次被害
いじめの講演活動をしてきて、二次被害に晒される事が多々ありました。
例えば、講演の最中に罵声や野次を飛ばされたり、プロの小説家に私が講演で話した事をそのまま小説にされかけるなど、様々な形で二次被害を受けてきました。
こういう二次被害を無くさないと、被害者はより声をあげ難くなるので、どうにかしないといけないと思うのですが一体どうすればいいでしょうか?

・いじめられる体質
残酷ですが、いじめられやすい体質を持つ人というのが一定数います。そういった人は、程度の差はあれど、学校でいじめ被害経験があったり、大人になっても理不尽な理由で因縁をつけられ暴行を加えられたり、恐喝されるなど、犯罪被害に遭っていることが多いです。
いじめられやすい体質の人達の中には、今まで大勢の人達から傷つけられ馬鹿にされ続けたことで、すっかり人間不信になってしまい、対人関係で苦労している人も多いですが、こういう人が、犯罪や暴力の標的にされなくなり、明るく生きられるようになるにはどうしたらいいでしょうか?

・「いじり」と「いじめ」の捉え方
いじめ問題については、テレビやシンポジウムなど様々な場所で語られるのを見かけることがあり、気になるので積極的にチェックしているのですが、大半の場合、「いじめ」と「いじり」を同列の問題として捉えて議論していて、違和感を感じると共に、同列に語ることによっていじめの実態が見えにくくなっていることを危惧しています。
また、明らかに犯罪被害レベルの内容と、そうでない被害内容は、別個の問題として明確に分けて考えた方がいいと感じるのですが、どう思いますか?

・悪質な誘い
生きづらさを抱えて孤立している人ほど、比例するかのように犯罪に関わる誘いを受ける機会も多いです。
私も今までに、薬物を勧められたり、悪質なマルチ商法の勧誘、カルト宗教への勧誘、暴力団への勧誘などをされて怖い思いをした経験があります。
私は頭でっかちで臆病な性格なので、悪意の勧誘を拒否してこれましたが、生きづらさを抱える人が、犯罪的な誘いを受けて、犯罪者になってしまう悪循環の連鎖がありますが、こうした悪意の誘いを無くすにはどうすればいいでしょうか?

・追い詰められた人達
世の中には通り魔殺人などを犯してしまう人達がいますが、多くの場合がその人達も、過去にいじめや迫害を受けていたり、愛情への飢え、孤独、貧困など、複数の苦しい状況が重なった末に、心が壊れて異常犯罪行為に向かっています。
追い詰められた人達が異常犯罪に向かわないためには、一体どうすればいいのでしょうか?

・男性の性犯罪被害者への無理解の問題
全くといっていいほど今の社会は男性の性犯罪被害者への理解も受け皿もありません。
マスコミもほとんど取り上げません。
性被害の団体は多くありますが、やはり女性の被害者のための団体です。
また、男性の性犯罪被害者に対する誤った認識や偏見を持つ人達も居ます。
今の社会は、男性の性犯罪被害者は極めて声をあげにくい状況に置かれていますが、視点を変えて考えれば、加害者は罰せられる事なくのうのうと生きている上に、もしかしたら犯行を重ねている可能性もあり、問題だと感じます。
男性の性犯罪被害者への理解を深めるにはどうすればいいのでしょうか?

・性差別について
以前に、ある女性の人権や女性の性被害を考えるイベントに参加した際に、主催の人達から「男性は女性を守るもの」という固定観念を突きつけられ、「その発想自体が性差別だし、結果的に女性への性差別を助長させてしまっているのではないか?」と疑問を抱く出来事がありました。
性差別とだけ言うと、男性から女性への性差別や、男尊女卑の問題として取り上げられますが、実際には、女性から男性への性差別や、女尊男卑の問題もあり、問題だと感じるのですがどう思いますか?

・恋愛格差の問題
私は恋愛経験がなく、その事で強いコンプレックスを抱えています。同じように恋愛したくても出来なくて苦しんでいる人達が、実は世の中に大勢います。
他の生きづらさの問題と比べて、大した悩みではないと軽視されがちですが、時には働く意欲や生きる意欲を失ったり、自殺にも繋がる重い問題です。
また、恋愛したくてもできない人の場合、例えば過去に受けたいじめや迫害を受けた経験があって、そのトラウマから対人恐怖などを患って、恋愛したくても出来ない状況にあるという場合も決して少なくありません。
こうした恋愛弱者が生きやすくなるにはどうすればいいでしょうか?

・心に抱える問題
私は心に色々問題を抱えていますが、実は、精神科医からは健常者と診断されています。
世の中には、私のように、心の病と診断されないけど、心の病を抱える人と同等かそれ以上の生きづらさを抱える人は大勢います。
心の病を抱えている人達と、心の病を抱えていないけど生きづらさを抱える人、その差は一体何なのでしょうか?

・他人と関わるときの息苦しさ、上手く対話出来ない問題
この問題は恐らく多くの人が抱える問題と思います。
私も今まで仕事やプライベートで、大勢の人と接してきましたが、過去のトラウマによって常に緊張感や息苦しさがあり、結果、友人関係が上手く作れなかったり、恋愛が全く出来ないなどの問題にも繋がっています。
解消するにはどうすればいいのでしょうか?

・過剰な期待を持たれる苦しみ
いじめや生きづらさを語る活動をしていると、特別な人生の成功者になることを求められることが多々あります。その過剰な期待がプレッシャーとなり、より生きづらい要因になっています。
なぜ苦しい被害経験を持つ人に過剰な期待を持つのでしょうか?それが人を追い詰めていると考えないのでしょうか?

・正論やポジティブな意見の持つ暴力性
何かトラウマや生きづらさを抱えていて苦しんでいる人達に対して、正論や綺麗事や前向きな意見やアドバイスを口にする人は多いですが、それによって余計に精神的に追い詰めることも多いです。
正論や前向きな意見は、一見正しい意見であるが故に厄介だと感じるのですが、皆さんはどう思いますか?

・社会の中の居場所
私は今まで活動を続けてきて、『生きづらさの世界』から排除される事への恐怖を感じるようになりました。
生きづらさを抱える人達の居場所も増えてはいますが、結局はその人達の世界も一つの社会で、そこにも会社や学校と同じ人間関係のしがらみがあり、そこの人達から嫌われれば居場所から排除されることもあります。
生きづらさの世界でも上手く居場所を作れない人達はどうすればいいのでしょうか?

・社会不適合者の問題
生きづらさを抱える人で、今の社会に馴染めず、既存の一般職では上手く働けなくて苦しんでいる人は多いと思います。
そうした社会不適合な人達で、生きる希望を見出だせた人の成功例を聞くと、音楽、絵、演劇、文筆など、表現の分野で活路を見出だした人が多いです。
しかし、生きづらさを抱えていて社会不適合な人のみんながみんな、表現の世界で成功できる訳ではないし、残酷な話ですが、表現の世界でも全く通用しない人も大勢います。
そうした人達はどうすればいいのでしょうか?

・生きづらさを抱えたままどんどん高齢になる問題
酷いいじめや虐待のトラウマなど重い問題を抱えていて、何をどれだけ努力しても全く解消できないまま年齢だけ上がってしまうと、次第にどうにもならなくなってきます。
散々行動し尽くした結果、それでも苦しいままどうにもならない人は、諦めて死ぬしかないのでしょうか?