まずこの東北地方太平洋沖地震で被災された多くの方のご冥福をお祈りします。
3月11日、私と子ども達3人は実家の松島に帰っていました。
夜にはパパも合流して、一緒にお泊まり。次の日パパと私の父は一緒に釣りに行く予定でした。
午後2:46、最初は少しの揺れで始まった地震。次第に揺れは大きくなり、子ども達を抱き上げ外に避難。
立っているそばで地割れが起こり、モノは倒れ、立っているのがやっとの状態。
今まで味わったことのない激しい揺れは、恐怖と死を連想させました。
車に乗り、ラジオをつけると10m以上の津波が来るとのこと。
ウチは目の前が海なんです。
怖くて、母と妹、私、子ども達3人は避難所に逃げました。
(父はその時出掛けており不在でした。)
しかし祖父・祖母に『避難しよう』と声をかけても『大丈夫』の1点張りで逃げようとしないのです。
コレには困りました。とりあえず子ども達がいるので私たちは避難所に走りました。
避難所に向かう道路も海沿いを走って行かなければならず、怖かったです。
また道路も地震で隆起してたり、陥没してたり・・・通れない道もありました。
避難所まで車でそんなにかからはずなのに、とても長く感じました。
避難所についた時、父が石巻の方に買い物に行っていたのでとても心配になりました。
携帯に電話しても通じず、ただただ何度も電話をかけ続けました。つながりません。
しばらくすると父も避難所に到着して無事を確認することができました。
パパにも連絡取れて、家族の無事は確認することができました。
ただ、家にいる祖父・祖母が心配でした。
『少しでも高いとこに避難してくれただろうか・・・』
ずっと気がかりでした。
そして車についていたTVの映像を見て、悲惨な状況を目の当たりしました。
『今起きているのは現実?』そんなことを思いました。
次々と街を飲み込んでいく津波の映像を目にして、言葉がでません。
『どうか、どうか少しでも多くの人が助かっていますように・・・』
祈るしかできません。
その日は1日避難所にいて、車で寝泊まりしました。
その間も強い余震は続き眠れませんでしたが・・・
次の日の朝、パパが車で迎えに来てくれました。
パパも仕事で海沿いを走っていたとのことで、あと1歩遅かったら危なかったとのことでした。乗っていたトラックから津波が押し寄せてくるのが見えたそうです。
『生きててくれてありがとう』
心底思いました。
パパが迎えにきてくれた時点で、祖父・祖母の安否も確認できました。
ただ、顔を見ずに帰ったので気持ち的にはまだ落ち着きません。
ウチの実家は海が目の前にあるにも関わらず、床下浸水だけですんだようです。
いとこ達も海沿いに住んでいましたが、幸いにもみんな無事でした。
パパの方の親族関係もみんな無事とのことです。
帰ってきたウチの被害状況は瓦が壊れて食器が割れているだけすみました。
ウチは昨日からネットがつながり、電気は14日、水は昨日から復旧しました。
実家は昨日やっと電気が復旧したそうです。
ライフラインがつながるまでの間、『今までの生活はなんて贅沢をしていたんだろう』と考えさせられました。
家があること、灯りがともること、水がでること、布団で寝れること、車で移動ができること・・・
被災がひどかった地域を見ていると、その全てが取られています。
家族の安否が心配で移動したいけどガソリンがないので、会いに行けない。
そんな人がたくさんいます。
食料を買いに行くにしても何時間も並んでやっと買えるけど、数量限定でしか買えない・・・
ウチもなんですが、小さい子がいるところはオムツが必要だけどお店には在庫が無い、いつ入るかわからない・・・そんな状況が続いてます。
だからどうか皆さん、買い急がないで下さい。
私も親族のように家族で仲の良かったおばちゃんを亡くしました。最後に顔を見に会いに行きたいですが、ガソリンがなくて会いに行けません。本当は海沿いに住んでいる親族達の顔も見るまで落ち着かないんです。
どうか、どうかお願いです。
皆さん少しずつでいいので協力してください。
全国の皆さんの励ましの声やご厚意も、被災者には届いていると私は思います。
少しでも早く復興できるよう応援してください。
被災地の皆さん頑張りましょう!
3月11日、私と子ども達3人は実家の松島に帰っていました。
夜にはパパも合流して、一緒にお泊まり。次の日パパと私の父は一緒に釣りに行く予定でした。
午後2:46、最初は少しの揺れで始まった地震。次第に揺れは大きくなり、子ども達を抱き上げ外に避難。
立っているそばで地割れが起こり、モノは倒れ、立っているのがやっとの状態。
今まで味わったことのない激しい揺れは、恐怖と死を連想させました。
車に乗り、ラジオをつけると10m以上の津波が来るとのこと。
ウチは目の前が海なんです。
怖くて、母と妹、私、子ども達3人は避難所に逃げました。
(父はその時出掛けており不在でした。)
しかし祖父・祖母に『避難しよう』と声をかけても『大丈夫』の1点張りで逃げようとしないのです。
コレには困りました。とりあえず子ども達がいるので私たちは避難所に走りました。
避難所に向かう道路も海沿いを走って行かなければならず、怖かったです。
また道路も地震で隆起してたり、陥没してたり・・・通れない道もありました。
避難所まで車でそんなにかからはずなのに、とても長く感じました。
避難所についた時、父が石巻の方に買い物に行っていたのでとても心配になりました。
携帯に電話しても通じず、ただただ何度も電話をかけ続けました。つながりません。
しばらくすると父も避難所に到着して無事を確認することができました。
パパにも連絡取れて、家族の無事は確認することができました。
ただ、家にいる祖父・祖母が心配でした。
『少しでも高いとこに避難してくれただろうか・・・』
ずっと気がかりでした。
そして車についていたTVの映像を見て、悲惨な状況を目の当たりしました。
『今起きているのは現実?』そんなことを思いました。
次々と街を飲み込んでいく津波の映像を目にして、言葉がでません。
『どうか、どうか少しでも多くの人が助かっていますように・・・』
祈るしかできません。
その日は1日避難所にいて、車で寝泊まりしました。
その間も強い余震は続き眠れませんでしたが・・・
次の日の朝、パパが車で迎えに来てくれました。
パパも仕事で海沿いを走っていたとのことで、あと1歩遅かったら危なかったとのことでした。乗っていたトラックから津波が押し寄せてくるのが見えたそうです。
『生きててくれてありがとう』
心底思いました。
パパが迎えにきてくれた時点で、祖父・祖母の安否も確認できました。
ただ、顔を見ずに帰ったので気持ち的にはまだ落ち着きません。
ウチの実家は海が目の前にあるにも関わらず、床下浸水だけですんだようです。
いとこ達も海沿いに住んでいましたが、幸いにもみんな無事でした。
パパの方の親族関係もみんな無事とのことです。
帰ってきたウチの被害状況は瓦が壊れて食器が割れているだけすみました。
ウチは昨日からネットがつながり、電気は14日、水は昨日から復旧しました。
実家は昨日やっと電気が復旧したそうです。
ライフラインがつながるまでの間、『今までの生活はなんて贅沢をしていたんだろう』と考えさせられました。
家があること、灯りがともること、水がでること、布団で寝れること、車で移動ができること・・・
被災がひどかった地域を見ていると、その全てが取られています。
家族の安否が心配で移動したいけどガソリンがないので、会いに行けない。
そんな人がたくさんいます。
食料を買いに行くにしても何時間も並んでやっと買えるけど、数量限定でしか買えない・・・
ウチもなんですが、小さい子がいるところはオムツが必要だけどお店には在庫が無い、いつ入るかわからない・・・そんな状況が続いてます。
だからどうか皆さん、買い急がないで下さい。
私も親族のように家族で仲の良かったおばちゃんを亡くしました。最後に顔を見に会いに行きたいですが、ガソリンがなくて会いに行けません。本当は海沿いに住んでいる親族達の顔も見るまで落ち着かないんです。
どうか、どうかお願いです。
皆さん少しずつでいいので協力してください。
全国の皆さんの励ましの声やご厚意も、被災者には届いていると私は思います。
少しでも早く復興できるよう応援してください。
被災地の皆さん頑張りましょう!



みんなが騒ぐと自分も甲高い声を出して騒ぐ
最近名前を呼んでも返事してくれない・・・
でも、『お出かけする人~??』とか質問すると手を挙げて『ハイ
動物の姿を見かけるとどんな動物も『ワンワン』と言う

麺類
が大好き
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