
今月も、坐禅会に参加してきました。
朝は、少し冷えましたが
数カ月前のことを思ったら、ずいぶん楽になりました。
管長さんのお話は、「文殊前三三(もんじゅぜんさんさん)」
登場人物は、
文殊(もんじゅ)と無著(むじゃく)。
どちらも菩薩様ですが、
文殊菩薩は空想の仏さま。
無著菩薩は実在の人だそうです。
だから、問答はありえない。
無著の自問自答だそうです。
文殊菩薩は智恵の仏様として有名ですが
大乗仏教の象徴でもあるそうです。
そして、無著菩薩は上座部仏教の代表。
文殊:「あなたは、どこから着ましたか?」
無著:「南方です。」
文殊:「南方の仏法はどうですか?」
無著:「ずいぶん変化しました。北方はいかがですか?」
文殊:「いろいろな人がいます」
何を言っているのか???
上座部(南方)仏教と大乗(北方)仏教のお話だそうです。
管長さんは、文殊の言葉に着目されました。
「いろいろな人」
凡人。聖人。
凡人だからダメで、聖人だから優れている。
ではなく、
人それぞれ、物それぞれに
きちんと役割があって、それを果たしている。
と、いうことだそうです。
自分の役割。役目。
いつも、自分の役目って何だろう???
悩み続けているところ。
まだ、そんな段階です。。。
いつか、
自分の役目をきちんと果たしていきたいです。
――― ・・・ ――― ・・・ ――― ・・・ ――― ・・・ ――― ・・・ ―――
ブログアップはできていませんでしたが、
3月も4月も参加していました。

3月の管長さんのお話は、「陳操看資福(ちんそうかんしふく)」
登場人物は陳操という禅を深く修行する官人と
資福和尚。
陳操が禅問答のために、資福和尚のものへ訪れます。
が、陳操が門へ入る前に
資福和尚は大きな「円」を空に描き、門を閉めてしまいました。
これで、終わり。
問答はありません。
資福和尚が描いた円は、「円相」といって、
潙仰宗(いぎょうしゅう)、独特のものだそうです。
仏 = 円
悟り = 円
のような、奥の深い大切なもの。
円は余すところも欠けるところもなく、
とても美しいもの。
それを、ひとりひとり誰でも
動物にも木々にも石にもすべてのものに備わっている。
そして、悟りを開いたものは
その円に収まることなく、さらに広い世界を知ることができるそうです。
わたしはその一円相すら、わかりません。
改めて、「自分自身が仏である」を自覚しなくては!!
――― ・・・ ――― ・・・ ――― ・・・ ――― ・・・ ――― ・・・ ―――

4月は「迎山不曾遊山(ぎょうざんふぞうゆさん)」
登場人物は、迎山和尚と新しく迎山和尚のもとへ来た修行僧。
この修行僧の前の修行先は、中国でも有数の風光明媚な廬山。
迎山:「五老峰に遊びに行きましたか?」
修行僧:「いいえ」
迎山:「遊びに行かなかったのですか・・・」
この禅問答は、
修行僧に対して「自分の一番素晴らしいところをちゃんと知っていますか?」
という、問いかけだそうです。
真意が深すぎて、ちょっとわかりにくい?
この問答の最後に
「十年帰不得、忘却来時道」
という言葉があります。
10年突き進めば、帰る道を忘れてしまう
何か10年間やり続ければ、ひとつの目途が立つ。
10年前とは比べられないほど、何かを得ている。
というような意味だそうです。
確かに!!!
これから10年の生き方に大きく光を差し込んでもらった感じです。
「十年帰不得、忘却来時道」
わたしの座右の銘にしたい、言葉に出会いました。
ブログをはじめて6年目。
3月4月と更新できない日が続きましたが、
10年続ければ、何か見えるものがあるのかなぁ?
過去の坐禅会はこちら↓↓↓
■2013.02
■2013.01
■2012.12
【臨済宗 建仁寺】
京都市東山区大和大路通四条下る小松町