昭和51年度 鴨沂高校 演劇コンクールへの道のり | 京都市 左京区 会社員 (現在 嘱託社員)

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新聞への投書採用分または投書原稿を紹介します。「これは、知ってほしい」「考えてほしい」「感動したこと」いろいろです。よろしくお願いいたします。2013.10.26.(2015.10.19.改定)
 

前回のアーカイブスでは、昭和51年度 鴨沂高校 演劇コンクール 3年8組「罪と罰」を聴いていただきましたが、スクロールでご案内させていただきましたようにコンクールが実施される為には、いろいろな障害を乗り越えて行かなくてはなりませんでした。

録音の画面に表示はしましたが、画面の切り替えが早くて、全部をお読みいただけなかったのではなかったかと、今回、改めてスチール写真をアップさせていただく事にいたしました。

出典は…

学園誌 OUR SCHOOL OHKI No.2   でした。


これは、卒業してから2年後、ホームルーム担任の先生を訪ねて行った時に、在学中に生徒部を統括されていた別の先生から声をかけていただき、私が主役をした「罪と罰」が記事になっているからと、下さったものです。


「あの昭和51年度の活発だった生徒会が、今はおとなしくなってしまった。」と、少し嘆いておられました。



それでは、どんな内容だったのかを、ご紹介いたしましょう。







































































「罪と罰」公演当日

楽屋にて…




メーキャップした

主人公 ラスコリニコフ



いかがでしたか?

紆余曲折の末に実施された演劇コンクール、生徒会を動かしたのは3年8組の脚本、演出担当の2人。

それに同調したのは、主人公達だったことは、言うに及ばず。

でしたね。爆笑




今回のおまけは…


実は、あのホームカミングデー、その日に顔を合わせた方から、翌年に同窓会報の原稿を依頼されていたのです。

それが掲載された時の記事をご紹介いまします。

やはり、私にとっては、あの演劇コンクール「罪と罰」とは、切っては切れないものになっているようですね。


ではでは またまた