母の通夜、葬儀、勤務先への退職手続き、娘の卒業式、入学準備。

相続の手続き、各種支払い・・・

今までいろいろ経験していてよかった。

何せ今度は全部一人でやるんだから。

母は私が高校二年の時、母48歳の時、30歳年上の男性と再婚した。

今思えば凄い男性だった。その頃はじいちゃんみたいだと思っていたけど。

母は、養父の「これは福祉結婚だ、私が死んだらあなたには年金が来る。娘さんに面倒を見てもらわなくても大丈夫だ。」と言われて再婚を決めたそうだ。
私が人生で嬉しかったことの一つは養父の気持ちを感じた時だった。


私は母が嫁いでから、白猫ジュリー、愛称ジュリエモン(笑)と、一人+一匹暮らしをしながら高校に通っていた。毎週末に母が帰ってくる。

母は、私が姓が変わるの嫌だろうし、私を大学にやり、三回(笑)嫁がせるくらいの金はあるから、
養子縁組はしないって言ってた。

だけど、ある日、母から電話がかかってきた。

養父が「ぐらんぐらんさんをちゃんと私の籍に入れる!」と言い、近くの市民センターに出掛けたという。

養父は、母と入籍すれば子どもの私も自動的に自分の籍に入ると思ってたそうだ。

「ごめん、ぐらんさん、名前の変わるバッテン。しゃんむっでんそがん言わすもんだけん、よかかい?ちゅうか、もう行かしたもんね・・」

うん、べつにいいよ・・・と言う心の裏側は・・じんわり嬉しかった。


その養父が亡くなった時、母と私は養父の前妻の子どもから調停を起こされた。

相手は母の預貯金や財産等を詳しく調査する為に弁護士を雇っていた。


子どもって言ったって、母と年は変わらない人たち。

再婚の時は父親の面倒を見てくれる人が来たからだろう、大歓迎だったし、

前妻さんの法要、盆、正月に兄弟姉妹4人の一家が集まって大変な中、母はかいがいしくやっていた。

末娘が超高齢出産した時も、床上げまで母が面倒をみてあげた。

養父に認知症の症状が出始めて、徘徊や粗相、いたずらなどがひどくなってきてからも、母はずっと

一人で父の面倒を見ていた。

たまに週末、近くに住む長男一家が来るが、泊まって面倒をみるわけでもない。
お嫁さんは一人娘で自分の実家のほうがいいらしいし、何だか他人事みたいに見てた。


相当なストレスだったと思う。その頃は介護保険とかもないし、施設も少なかった。
家族で見なきゃならないような風潮があったからだろうけど。

やっと次男が新しい施設を見つけて、養父は入所したけれど、後で考えるとかなりやられていた。(ぼったくり施設)

信じられないことに、施設に入所しているのに、二度、父が居なくなったと言って、電話がかかってきた。今だったらとんでもない事件だ。無事見つかったからいいけれど。

本当に買ったか買わなかったか分からない、事前に家族へなんの了承も取らず、アホみたいに高い、おむつカバーを買いましたと言って6万円の請求がきたり。

大体月に20万円以上の請求が来ていた。

職員の質は最悪で、父の好きな饅頭などを持っていくと、物欲しげな事を言ったり、

婦長は「ウチが見てやってるんだ!!」ってかんじの横柄な態度。

施設の祭りに一度行ったが、チンピラみたいな若い施設長とデキてたようだ。
父がインフルに罹り、施設の隣にある病院に連れて行くのに車椅子はまだ分かるが、
薄い寝間着姿に靴下も靴も履かせずに行くような、最低のところだった。

脳梗塞を起こし、入院することになり退所したけれど、退所して金にならなければ知らんふり。

4年も居たのに見舞いにもこなければ、亡くなった時にも何の事は無かった。

最後に数か月入院してた病院の院長先生はお通夜に来てくださったというのに。

といいますか、養父が亡くなってから一年半に渡り、母と私は調停に通いました。

どうなったかな??面白いお話しはまだまだ続きます。