幸せはなるものではなく、見つけるものということを以前に伝えたが、
同じ状況でも、不幸に感じる人と幸せに感じる人がいる。
例えば、交通事故で一命を取り留めて、
「事故にあった!なんて不幸なんだろう」という人と
「命だけでも守られた!なんて幸運なんだろう」という人がいる。
考え方、捉え方の違い
経験?
しかし頭では「ラッキーだと思おう!」と言いながら、心がズーンと沈むことだってあると思う。
「アンラッキーだ!」と騒ぎながら、心が明るい人もいるだろう。あれ?意外と元気じゃん?って。
潜在意識の方がウェイトが大きいからね〜。95〜99%も無意識の領域があるとか。
本来の魂は、この世に学びに来ているから人生のインベントは超ありがたい現象!
そこに真摯に向き合うかどうかで運の方向性が変わってくる。
逃げたら、もう一回学びのための大きなイベントが発生することもあるくらい。
または、何回も似たような現象が起こったりもする。
出来事は学び
魂にとって、この経験はどんな意味があるのだろう?
このような捉え方をするのか、表面上の出来事だけを損得で考えるのかでは大きく違う。
なので、ここで重要なのはいかに魂にダイレクトに自分がつながっているかになる。
魂さんは実はとっても聡いのである。
哲学や心理学で「観念」という言葉がある。
プラトンが生得観念〜様々な概念が生まれながらに備わっているについて提唱し、
アリストテレスは習得観念〜成長、学習によって様々な心の働きを習得すると2人とも紀元前から提唱している。
つまり、眼鏡に例えられることが多いが、私たちの心は、様々なものを見聞き体験をしたときに、
自動的にその良し悪しや感情が反応するように出来ている。
また、17世紀にデカルトは〜我思う、ゆえに我あり〜生まれながら様々な概念があらかじめ備わっていると提唱している。
生まれてから経験してできた観念や生まれる前(前世など)に経験してできた観念が魂さんの声を邪魔するのである。
本質で生きる
観念に振り回されずに魂の声を聞いて生きる
観念が分厚い人は幸せを感じにくい
まずは、観念というメガネの存在があるよ!ということだけでも覚えておこう