幸せについて考える上で、感じる方法よりも、感じることを阻むものを書いた方が

わかりやすいかもしれない。


なぜならば、阻むものがあると、目の前の幸せに気づかないからだ。


皆さんは、昭和の教育を受けた方々ですか?

それとも、昭和の教育を受けた親がいる世代?


私はバッチリ昭和の世代。

親はベビーブーマーで、私自身は第二次ベビーブーマー。

(用語がわからない人は調べてね)


何が起きたかというと、出生率も多くて競争が多かった。

いい高校や大学を出て良いところに就職さえすれば幸せになれる

そんな考え方が一般だった。

また、結婚は25歳になるまでにしたら幸せという時代もあった。


戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」に続き、

高度経済成長では「これさえあれば、幸せに違いない」というモノを手に入れること。

自動車やカラーテレビなど、幸せは目に見えるもの、誰にもわかるようなもの

思いっきり物質社会のステレオタイプの幸せを疑わない人達で溢れた。


あなたはどんな時に幸せを感じますか?

あなたの考える幸せは手に入れるものですか?


もしも、手に入れるタイプの幸せを追いかけていたら、手に入っていない時は

幸せではないかもしれない。

そして、本当に欲しいものかどうかもわからない。それは誰の価値観?


幸せという人参をぶら下げて、一生懸命走っているのに一生報われない人生。

私はそういう人生を歩みたくない。

そう、気づいてしまった。


自分独自の幸せに気づいて自分の道を歩んでいる人たちもいるが、多いとは言えない。


なので、


あなたはどんな時に幸せを感じますか?

あなたの考える幸せは手に入れるものですか?それとも、そこにあるもの?


この問い。皆さんはいかがですか?


最後に、写真の雲で龍を見つけられた人はいますか?