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この本は、チェロキーインディアンのメディスンマン鷹を中心に、チェロキー族の生き方、考え方をレポートしたものである。

インディアン達は、次元の高い星々であるプレアデスの考え方を継承してきた。

チェロキー族といえば、私の過去生の一つであるが、読めば読むほど、私の人生観…幼い頃から感じていたことに影響を与えているなぁと感じる(m'□'m)


震災後に、ふと目を止めたエピソードがある。


ある日、日本人である筆者がメディスンマン鷹の奥さんが大切に集めていた水晶をなくしてしまう。
しかし、彼女は「きっと、水晶は土に帰りたかったのよ」と穏やかに笑って言ったという。


自然災害に関しても寛容であり、起こることには意味があると、先ずは受け入れる。



被災地の映像がテレビで見ることが多かったが、高齢者の方が「やっぱり、津波はすごいな~」と言いながら瓦礫の間を歩く姿を見ているうちに、昔、私が関わってきた集落の事を思い出した。

その集落は、山深いところで、畑が動物にしょっちゅう荒らされていたが「自然のことだから仕方がない」と始終にこやかに話されていた。

どことなく、被災地の方々と集落の人々の話している雰囲気が重なるのである。

日本人は、自然と戦う文化ではなく、自然を受け入れて共生する文化を作ってきた。

自然と暮らす環境や意識がある人々は、しなやかな強さがあるが、人工的なものに固められている(守られているとは言い難いから)は、なんて脆いんだろうと感じる。



もうひとつ、目に入ったページがあった。アメリカ開拓時代に、多くのプレーリードッグを虐殺した歴史があり、自然体系を壊してしまったというくだりである。

プレーリードッグは、沢山の穴を掘るのだが、家畜を放牧するのには不都合があった。穴に足をとられて家畜が骨折してしまうらしい。
そこで、プレーリードッグの駆除となるのだが…今度は、プレーリードッグを食べてきたオオカミの食糧がなくなり、家畜や人間を襲いはじめた。

オオカミと人間の闘いが始まるが、結果としては、アメリカのプレーリードッグとオオカミ、鷲などが激減してしまった。

当時のインディアン達は、白人達がなぜそんなことをしてまで、緑の木の皮(紙幣)を欲しがるのか不思議がったという…



今は、二次災害?人的災害?である放射性物質が問題になっているのも、「政府の対応の在り方」を問題にするのではなく、「地球規模での自然共生の在り方」を考えるきっかけとして、学びの材料として存在するのかもしれない。