以前、古神道研究家であるK先生のご指導の下、
古神道講座で鳥船(とりふね)行事に参加したことがある。
実際に禊(みそぎ)はしていないが、禊に関する各種行事を体験した。
「鳥船(とりふね)行事というのは、道彦(みちひこ)と呼ばれる代表先導者と、その道彦の補助である助彦(すけひこ)の先導により、大発声をしながら船を漕ぐ所作をすることで、定められた作法と言霊と呼吸法により心身と霊魂を浄化統一する所作であり、冷水に浸かる前の準備運動としての性格も併せ持っている。」
「そして鳥船行事を行った後は、雄健(おたけび)行事、雄詰(おころび)行事、気吹(いぶき)行事という所作を順番に行います。雄健とは、神我一体の真我となる秘法、雄詰とは、神威を如実に顕すところの「神叫び」、気吹とは、日本民族独特の「神の呼吸法」」とのこと。
その時に、ふと、以前に魂がどこかで経験したことがある・・・
鳥船行事をしながら、涙が出てきた。
鮮明にある景色が浮かんできた。
木々の向こうから昇る太陽。シルエットまで鮮明に覚えている。
川辺で神事をしている男たち。
これから、国のために一大神事を行おうとしている自分。
すごく清清しい気持ちでいっぱいで、
本当にピュアに、ある男を亡き者にしようとしている自分。
たぶん、この人生で見た最後の日が昇る光景。
若かったのか、若しくは当時の戦いは「神事」として扱われていたのか・・・
清清しい気持ちで、繰り出す自分の記憶に驚いた。
日本書紀にある神々の戦いは殆ど神化しているらしい。
実際に起こったことを、かなり美しく表現している。
どこの国の神話も同じ・・・。
しかし、実際は自分が倒された後、(自分が死ぬとは思っていなかったのか)
「入鹿のせいで、死んじゃったじゃないか~。ばか~」
「恋人も残してきちゃったし~」みたいな
気持ちで逆恨みしていた自分が可愛いと思う。
鳥船行事から、甦った記憶の断片でした(;´▽`A``