豊臣秀吉が 晩年、朝鮮に15万8千人もの兵士を送った
「文禄・慶長の役」は
「やきもの戦争」とも 「茶碗戦争」 とも言われているのは
ご存知でしたか?
それは 茶道好きの秀吉が 出陣した大名たちに
「技芸ある陶工を招致せよ。」と 司令していたからなのです。
皆様よくご存じの
加藤清正、黒田長政、毛利輝元、鍋島,島津・・・といった大名達が
やきもの上手の名工たちを こぞって連れ帰り、領地で召し抱えて、献上品や贈答用に やきものをつくらせました。ですから、茶道のお茶碗や茶入など、これ以降の茶会記に良く登場してくることになるのです。
「萩焼」 「高取焼」 「上野(あがの)焼」 「薩摩焼」 「有田焼」も・・・
その時の陶工たちの苦労によって 各地に作り出された 国焼きです。
日本文化を支えてきたのは 日本人だけではなかったことにあらためて気付かされた「文禄・慶長の役」のお話でした。
全てに感謝 忘れてはいけませんね。
庵主