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「期待しない」
人に期待をしないなどと言うと、とても殺伐とした印象を受ける人もいるかもしれません。
きっとそう思う人にとっての期待とは、とても嬉しいことであって励みになることであるのでしょう。
確かに、期待にはそういう希望をもたらす一面もあります。
特にスポーツやアート、クリエイティブなものやエンターテイメントなものや、それに携わる人々のモチベーションは、
人々の期待で支えられているいる部分がとても多いですし、
もっと身近なところでは子供達の成長も、大人の期待を全く受けない中では前向きに明るく育つことは難しいでしょう。
けれど、期待する側はあくまでも、期待はこちら側の都合であると心しておくことが大事です。
親子間、夫婦間、友人や同僚など、
人間関係の問題で鑑定に来た方の心を透視した時に、「期待を裏切られた」という呟きが聞こえてくることがあります。
蜜月時代が濃かった関係ほど、当人の裏切られた感が強いのですが、
そのような時にその人の守護霊は
「己が我儘である」とクールな一言で片付ける場合が殆どです。
期待は期待です。
こちらの勝手な想いです。
約束ではないのです。
希望的観測なのです、あくまでも。
それを忘れてしまっては、ただのわがままであり、大きなお世話なのです。
守護霊のクールでドライな一言では身も蓋もないので(けれど天界の人というのはそういうものです)(基本、無粋なのです)、
その後に、期待を願いに変えて見てはどう?と提案してみたりします。
期待には見返りを感じます。
願いは無償です。
期待と願いの違いは、頭に「きっと」がつくかどうかではないでしょうか。
きっと、良い結果になる。
きっと、良い仕事をしてくれる。
きっと、ずっと理解しあえる。
それを、
良い結果が出ますように。
良いお仕事をしてくれたら嬉しいな。
ずっと理解しあえたら幸せだわ。
というように、期待ではなく願いに変換してみてください。
願いは誰のことも傷つけないのではないかしら。
期待を願いに変えて、静かに叶う日が来るように、励みましょう。
北海道神社にて
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