いよいよ、あちこちでエテコ批判が出てきています。エテコは皇族でもなければ平民です。皇族ではなく、「盗賊」です。

 何故かというと、エテコさんはキリスト教徒です。物語は、ここから始まっているのです。エテコはこの
ように考えたのです。「皇室は伝統に縛られているので、皇太子様はお可哀想。私は皇太子様をお守りいたします」と考えたのです。

 そこまではよいとしましょう。その後で、どのようなことを考えたのかというと、皇室をキリスト教化したのです。

 「3千年前から続いている大嘗祭の儀式など、時代遅れな儀式には、私はついていけません。私は一切の皇室行事には参加しません」と考えたのです。事実、エテコさんは皇室行事には参加してこなかったのです。

 「私はキリスト教徒だから、文明人なのだ。日本の天皇は気の毒な野蛮人なのだ。皇室をキリスト教化して、浄化する。皇室もローマ法王に跪けばよいのだ。そうすれば日本は西洋の王様とお付き合いできる」と考えたのです。エテコは、完全に神道を否定したのです。それが元凶です。



上皇と上皇后が宮中祭祀に極めて熱心であったことは、皇室に関心がある人なら誰でも知ってる。
近代になって彼らほど熱心に宮中祭祀に取り組んだ天皇・皇后はいない。
昭和天皇は1921年のヨーロッパ滞在の最後にヴァチカンを訪問し、当時の法王であったベネディクト15世と会見し、大きな感銘を受ける。
それ以来、昭和天皇はヴァチカンに対してシンパシーを抱き続けた。
正田美智子が皇太子妃に内定したとき、昭和天皇は「美智子には期待している」と述べた。
カトリックの家庭環境で育ったことを好ましいと考えたようだ。

 

 


 それはムリもありません。エテコさんは、幼稚園、小学校は雙葉学園です。中学、高校、大学は聖心女子です。ガチガチのキリスト教徒です。

雅子皇后は小学校から高校まで田園調布雙葉学園で学んだ。
母親の小和田優美子さんも田園調布雙葉学園の出身。
祖母の江頭寿々子さんは雙葉高女の出身。
祖母の代からカトリックの学校で学んでいる。
信子妃と久子妃はともに初等科と中等科を聖心女子学院で学んだ。

皇室には上皇后を含めて4人もミッションスクールの卒業生が存在する。

 エテコさんを皇太子妃に迎える時に問題があり、宮内庁でも反対があったのです。「洗礼を受けていなければよいのではないか?」という話になったのです。洗礼とは、「洗い清める」ということです。「私は今日よりキリスト教の信者になります。名前を改めて洗礼名をいただきます。イエス・キリストの血が入った葡萄酒と、イエス・キリストの肉であるパンをいただきます。従って、今日から私はイエス・キリスト様の弟子です」となるのです。

 「キリスト教の洗礼を受けていなければ、皇太子妃になってもよい」ということだったのですが、エテコさんはウソをついたのです。「私はキリスト教徒ではありません。大学でキリスト教を学びましたが、信じているわけではありません」そこからウソが始まったのです。

信子妃はカトリックの洗礼を受けている。

しかし、そのことに関して皇室会議では質問は出ず、問題視もされなかった。

親王のお妃になる女性がカトリックの信徒でも問題ないという認識だったのだろう。
信子妃の生家である麻生家は代々カトリックの信徒で、実兄の麻生太郎も洗礼を受けている。
洗礼名はフランシスコである。


 エテコさんは、皇居内でキリスト教の布教を始めたのです。それを知った昭和天皇は烈火のごとく怒ったのです。「この皇居において、キリスト教を布教するとは、何事だ!」と怒られて、那須の御用邸に一人で行かされたのです。

昭和天皇は終生、カトリックのシンパで戦後にはキリスト教に急接近している。
若かりし頃の常陸宮は、教育侍従の村井長正の影響を受けて無教会主義の信仰に傾倒していた。
そのことを昭和天皇が咎めた。
その話に尾ひれ背びれがついて「土下座事件」の噂になったというのが真相のようだ。