親友のことは未だ自分の中で消化できていないのと、長年考えないようにしてきたことで多少の記憶違い(前後関係など)があるかもしれません。流れは忠実だと思います。


世の中にはたくさんの、がん闘病をされている方がいます。アメブロの中だけでも数え切れないほど。


いろんな人のブログを読んでは、頑張ってと心で思うことしかできない。


いつかいつか、ガンなんてなくせる魔法の薬ができてほしいと願う。



遺していく人、遺される人

皆それぞれ葛藤を抱えていて、今は時が解決してくれるのを待つしかないと思う。




ここからは余談、こぼれ話になります。


遺されたトモの愛息子Yですが、トモが亡くなった当時は確か9歳でした。

彼は通夜葬儀、その後も一度として人前で泣きませんでした。


周りの親族(と私)は、Yが泣かない(泣けない)ことをとても危惧していて、心のケアをしっかりしていかないとね…と話し合ったのを覚えています。

※トモの息子は旦那さんの家が引き取りました



トモが亡くなってからも、私は毎年トモの実家へ行ってお線香をあげていました。


パパさんとお酒を交わし(私は弱いけどトモの家系はみな酒豪)

ママさんとトモの思い出話をする

それが第二の実家に帰ったときのルーティンになっていました。



とある年にママさんが言った言葉


「トモちゃんがいなくなったのは寂しいけど、おばさんはあれでよかったと思ってる」


一瞬耳を疑ったのだけど


「あの子は金遣いも荒いしワガママでしょ?治療だってとてもお金がかかるものだし…もし私たちが先に死んでしまったら、あの子の面倒見る人がいなくなっちゃうじゃない。

だからね、正直おばさんほっとしてるんだわ。」


…ああ、そんな考えもあったんだ。


トモのご両親は私たちの世代にしては少し年齢がいってて(その世代の人にしては出産が遅かった)確か当時で65歳近かったと思う。


ご両親共にバリバリ現役で働いていたけれど、金銭的に精神的に支えるにも限界があったんだろうなって。

(パパさんは某大手車メーカーの役職をしてたんだけど、定年後の再雇用で給料がすごく下がっても仕事を続けていた)


欲しいものがあれば親のカードでなんでも買っちゃうトモ。ママさんもそれを咎めることはなかった。黙々と支払いするだけ。


そんな風に育てたのは自分だからとよく言ってたけど、最後まできっちり面倒を見て…看取って…親の努めを完遂したんだな、と。


きっと親の愛にもいろんな形があるんだよね。



義実家で育つことになったYはきっと、旦那さんのご両親からトモのことを悪く聞かされて育ったと思う。


メンタルのこともあって、少しネグレクト気味だったりもしたし傍目に見てもいいお母さんではなかったと思う。義両親との仲も険悪だったから仕方のないことかもしれない。


それでもさ


Yが宿ったとき、絶対に産む!!って譲らなかったママがいたから今のYがいるんだよ。

障害を持って産まれる確率が高すぎるからと、周りは反対する人ばかりだったんだよ。

※Yは障害もなく健常児でしたよ



そばにいてくれなかった

いつもふさぎ込んでた



Yにとっては覚えているそれらの記憶が全てだと思うけど、真実ってそうじゃないんだってこと、いつか気がついてくれる日がくるのかな?


彼ももう21歳


しばらく会えていないけど、そろそろ…次に会う時は君がママ(トモ)のお腹に宿ったときの話をしてもいいんじゃないかなと思ってる。