にゃいの四十九日も、無事に終わった
今日は8月2日(日)。
私の気持ちの整理も、ようやく一段落した
にゃいがいなくなってから私はにゃいの面影を
減らそうとしていた
にゃいのリード、トイレ
お気に入りだったふかふかの毛布
ベッド、コタツ⋯片付けていった
ただ、カラーと、冬になるとろりちゃんや
てんちゃんたちも白湯を飲んでいた
水入れだけは、今も残っている
水入れを燃えないゴミ箱に入れようと
していたら店長が珍しく
「それも捨てるの?」
と言った
その一言で、私は捨てないことにした
今は、その水入れをお線香入れとして使っている
にゃいだけではなく、可耶、マオフウ
ろりす、てんてん。
みんなの写真を一冊のアルバムにまとめた
今は毎日、そのアルバムを眺めている
泣きたい時は、泣けるだけ泣く
「泣くこととは、心の浄化だ。」
アニマルコミュニケーターの陸さんが
教えてくれた言葉
私はこの言葉が好きだ
私がたくさんたくさん泣けるということは
それだけ、にゃいたちがこの世で
私に残してくれたものが大きいということ
そう思えるから⋯
よくお客様から聞かれる
「次は迎えるの?」
私と店長の答えは、いつも同じ
「ご縁があれば。」
ご縁って、不思議なものだ
こちらから探しに行かなければ
巡ってこないものでもない
私と店長が思っているのは、
「犬や猫に選んでもらえるような人になりたい」
ということ
私が探しに行かなくても
マオフウも、ろりすも、てんてんも、にゃいも
みんな自分たちで我が家にやって来てくれた
そして家族になり
最後には幸せなお見送りをさせてもらった
私が言う【ご縁】とは、そういうものなのだと思う
叱る時は、全力で叱る
褒める時も、全力で褒める
手を抜かない
そして、相手を信じる
【食育、環境、愛情】をととのえる
それが、私の生き物に対する真摯な向き合い方だ
にゃいちゃんがいなくなって、60日
もし、仮に⋯
私が念願だった大型犬を迎えるとする
大好きなドーベルマン
ドッグフードやサプリメントは
仕事柄どうにでもなる
でも、それだけではない
医療費
トレーニング費用
ペットシッター代
トリミング代
ペットシーツ
クレート
犬具
保険
その他、数えればきりがない
そして、犬を迎えれば当然一緒にいろいろな
場所へ行きたくなる
店を休むことも増えるかもしれない(笑)
私は、これまで何度も
「ゆりかごから墓場まで」を経験してきた
だからこそ、今は冷静に考えることができる
若い頃だったら
「行ってまえ!!」
と、勢いだけで迎えていたかもしれない
でも、私は今年56歳になる
もし、万が一
私の健康寿命の方が迎えた子より
先に尽きてしまったら……
そう考えると、やりきれなくなる
だったら、にゃいちゃんを最後にする
私の中ではそれが【有終の美】なのかもしれない
にゃいちゃんがいなくなって、60日
正直に言うと久しぶりに味わうペットロスに
私は戸惑っている
「やり切ったら後悔がなかったら
ペットロスにはならない!」
ずっと自分でそう思っていた
でも、その持論は見事に崩壊した
物心ついた頃から、犬や猫や鳥たちと
暮らしてきた私にとって
にゃいちゃんがいなくなっただけで
毎日がこんなにも途方もなく寂しくなるなんて
知らなかった
20年間、当たり前のようにそこにいた
小さな命がいなくなる
それは「後悔があるか、ないか」
だけでは測れないものだった
今でも、家に帰ると
「にゃいちゃぁ〜ん、ただいま〜!」
と、叫んでしまう
返事がないことは、もう分かっている
走って来てくれないことも
いつもの場所に丸くなっていないことも
私に「おかえり」という表情もないことも
分かっている
それでも、口が勝手に名前を呼ぶ
たぶん、これからもしばらくは呼ぶのだと思う
もしかしたら、ずっと呼ぶのかもしれない
私たちの宝物だった、小さな男の子
私が「ただいま」と言えば
「おかえり」と言ってくれていた20年間
今度は私の方から、何度でも言おうと思う
「にゃいちゃん、ただいま」
そしていつか、私がそちらへ行く日が来たら⋯
その時はまた
「にゃいちゃぁ〜ん、ただいま〜!」
って言わせてね
20年間本当に楽しい、幸せな時間を
本当に本当にありがとう!
あなたがいなくなった今も
私の中には20年間のにゃいちゃんの声や足音
温もり、そして一緒に過ごした時間の
すべてが静かな残響となって残っています
姿は見えなくなっても
その残響が消えることはない
それはきっと、私が生きている限りずっと
続いていくのだと思います

おしまい
最後までお付き合いありがとうございます🙇
毎日暑い日や地震、豪雨のニュースもありますが
皆様もパートナーとの毎日を
大切にお過ごし下さいませ🙇