第31話
「皆んな、談合坂SAに着いたよ。休憩、休憩」
大樹と義雄が起きてきた。
恵ちゃんと歩ちゃんは、また小走りで店の方へ向かう。今度は何を買ってくるやら。
明石さんと大樹は喫煙所へ。
僕と義雄は自販機で缶コーヒー。甘い味が心地よい。歩き疲れに優しいテイスト。
「拙者、桔梗信玄餅キューブを買ってきたでござる」
恵ちゃんが笑顔でそう言って、楽しそうに袋を開く。
「わあ、美味しそう!」
「皆んなでひとつずつ食べよう」
「うん。美味しい」
僕の予想を超えた美味しさ。
「シュー生地はサクサク食感で、中ではふんわりした生クリームとあんこ。下には、信玄餅がどーんと」
「談合坂、下りも上りも名物あるね」
「下りの、談、の焼印のついたあんぱんも食べておけばよかった」
僕が呟くと、
「ほらねっ。口に入る時に口に入れなきゃ、後悔するのよ」
「山の中で、食べないからいい、って言ってたじゃない」
「タイミング逃すと、美味しい目に合わないよ」
「私も歩ちゃんも旬なお年頃だし」
「タイミングよく食いつかないと、美味しい目に合わないよ~」
「ねえ~、歩ちゃん」
二人して、僕らへのイタズラなの?
恵ちゃんは微笑んで、歩ちゃんは照れくさそうにうつむいている。
だって恵ちゃん、食べられそうで食いつかせてくれないじゃない……。僕のこころには、実は妄想で、いつでも食いつかせてもらっている恵ちゃんがいるのに……。
「そう、今日の晩御飯どうする?」
明石さんが皆んなに尋ねる。
「学内もいいけと、たまには外で食事しよう」
「とわ言え、登山帰りの服装だからおしゃれな店には行けないけど」
「ジャルダンにしよう。正門近くの洋食屋」
「ピラフで有名な店だよ。あそこなら、このままの出で立ちで大丈夫」
大樹が言う。
「私、ジャルダン好きです」
歩ちゃんが呟く。
「恵さんは?」
「私、その店、よく知らないなあ……」
「ところで歩ちゃん。誰と行ったりするの?」
歩ちゃんは可愛らしく微笑むだけ。大樹はその表情にらしくなく、少し嫉妬気味な顔つき。
「ツナピラフを3合盛りで出す、爆弾ピラフとか有名だよ。どちらかというと男子向けの店かな。夜は宴会も開けるアットホームなところだよ」
「パスタもあるし。カルボナーラはカフェテリアに負けているけど、それ以外はカフェテリア並みの味」
義雄も意外によく知っている。
「ジャルダンにしよう。粉チーズも山盛り、かけ放題。ソースを始め調味料も使い放題」
「義雄と二人で爆弾ピラフ食べた時は、小さなパルメザンチーズ、一つ丸々開けたし」
「ソースも結構かけたよな? 義雄」
大樹が自慢げに話す。
「ソースはお前だけだよ」
「全くお店、つぶれちゃうよ。マナー以前の常識に疎いんだから。困った人たち」
恵ちゃんはため息をつく。
「まあまあ、いろいろ話はあるけど、それじゃ夕食はジャルダンにしよう」
明石さんが仕切る。
「とにかくまだ談合坂」
「あと、1時間ちょっと走るよ」
「は~い」
皆んなでドタバタ車に乗り込む。
ーーーーーーー
「へえ、オレンジ色のカーネーションってそうなんだ」
「黄色と赤の絵の具を混ぜたもの。神様が描く水彩画のようだね」
明石さんは興味深げ。
「ええ。花色素の秘密は大体判明したんですが、遺伝子の発現機構はまだ推察段階なんです」
「神様が、どこの遺伝子を調節して、黄色を濃くしたり、薄くしたりしているのか。そして、どうしてその黄色色素がアントシアニンと共存するのか」
「オレンジ色になるための遺伝子発現機構の解明には、まだまだ謎が多いんです」
「しかし正くんたち、卒論と同時進行の研究で大変じゃない?」
恵ちゃんが口を挟む。
「大変じゃないですよ。ね~皆んな」
言い出しっぺは強い。
「大樹よ。一度歩ちゃんをおじさんのところに連れて行けば」
「歩ちゃん。カーネーション農家さんのハウスとか見たことないよね?」
「ないです」
「綺麗だよ。特におじさんのハウスの品種は、都会系の特別な洗練された花色の品種ばかりだから」
「大樹。連れて行ってあげな」
「俺さ……、そのさ……」
「俺さ、トイレが近いんです。しかも禁欲中なので無理です」
「それが言いたいんでしょ、大樹くん?」
「恵ちゃん、違うったら! もう……」
皆んなで笑う。
「わかった。連れて行くよ、歩ちゃん」
「いつがいい?」
大樹の歩ちゃんへの少し投げやりな言葉かけ。
でも、大樹にしてはこれが優しい言葉掛け。
「おっ? 大樹くん。旬のタイミング、捕まえるの上手になったね」
「正くん、義雄くん。見習わなきゃ」
「特に正くん! ネッ!」
恵ちゃんがクリクリした可愛い目をして、僕を見つめてニコニコ微笑む。
「そうだよ、皆んな」
「勉強するのも、恋をするのも旬が大事」
「恋は人生というフルコースメニューの中の一品。どうせなら、旬の恋は一つ残らず味わなきゃ損だよ」
明石さんが微笑んで僕たちに話しかける。
「そういう明石さんも誰かを味わっているんですかぁ~?」
恵ちゃんの変な質問。首を傾げて明石さんに問いかける。
「ハッハッハ!」
「今の僕は山の旬を味わうだけ。女の子ではなく、学問に恋してるんだ」
「カッコいい! 私に新鮮」
「私、明石さんみたいなたくましくて芯のある男の人について行こうかしら?」
「よく見回すと、周りにはナヨナヨした男子しかいないないから」
僕や大樹、義雄を無視して、恵ちゃんが両手を祈るように胸の前でにぎり、運転席の明石さんにキラキラ視線を送る。
「恵ちゃん。山に登る前に歌ってたでしょ。僕みたいのに恋して、山で吹かれりゃ若後家さんだよ。一時的な感情で恋しない。失敗するよ」
明石さんは笑う。
「恋をするには、相手の見た目やその場で湧き上がってくる感情も大切な要素だけど、じっくりと心を込めて互いに作り上げていける人とじゃないと、絶対に美味しい恋なんかできないよ」
「そうよね……」
今度は恵ちゃんは、ぐるっと僕や大樹、義雄をみつめる。
「恋をすることは、相手の可愛さや若さにため息をつくのが目的ではないんだ。自分が楽しむ、そして恋人をもてなして互いに気持ちいい時間を過ごすことなんだよ」
「ただ何となく恋するんじゃなくて、美味しい恋を作るんだぞ、とお互い最初から腹に落としておくといい」
明石さんの言葉に、僕はハッとした。僕が恵ちゃんと作りあげたいと思っている恋って何だろう? ままごとの恋なのかな? 恵ちゃんの可愛らしさに釘付けになっているだけなんて……。
「明石さんの話を聞いていると、恋ってお料理みたいね」
「何だかお腹が空いてきちゃった」
「さてさて、それでは晩ご飯に向けて少し急ぐかな」
明石さんが高速の追越車線にハンドルを切った。