第88話
僕はトボトボと研究室に戻る。
「どうした? 正。毛すねをつままれたような顔して」
「キツネにつままれてなんかいないよ」
「大樹よ。マジで晩御飯だけじゃ済まない話になった……」
「何? 何?」
「教授が、僕のサーバーにあげた植物検定のVBAプログラムを見たらしい」
「それで?」
「早く500属対応のバージョンを作って載せろとの事」
「えっ?」
「なかなか良く出来た、身もだえのあるプログラムだものね~」
「恵ちゃん。茶化さないでよ」
「誰でも良かったらしいけど、大樹のせいでデータベースの追加係が僕になった」
「この手のデータベースは複数人でやると確認に手間がかかるし、間違いが起こりやすいから」
大樹が僕に申し訳なさそうな顔をする。
「いいじゃない。多分、いや、きっと正くんが作るハメになるんだから」
「期限はあるの?」
恵ちゃんが可愛らしく首をかしげる。
「今のところないよ」
「できるだけ早めにとだけ言われた」
「それなら晩御飯のおごりだけで済む話じゃない」
恵ちゃんがつぶやく。
「いや、問題は、そのプログラムに音楽をのせろとの話なんだ」
「無料のBGMがそこら中に転がっているから、それを使えばいいじゃん」
義雄が、楽勝じゃないかと言う口調で答える。
「それが、著作権とか絡むと後々面倒だから、僕に作曲しろと言うんだ」
「いや、正確に言うと誰でもいい。大樹が作曲してもいいんだ」
「でも、植物検定の勉強のBGMがロックやヘビメタだとチョットね」
恵ちゃんが苦笑いをする。
「結局」
大樹と恵ちゃんが同時に話す。
恵ちゃんが、話を大樹に任せる。
「結局、正か」
「いいじゃない。園芸学研究室のモーツァルト」
「素敵な響きでしょ。器用貧乏さん?」
「勘弁してよ……。この忙しいのに作曲もだよ、作曲も」
「正くん、した事ないの?」
「あるけど……」
「じゃあいいじゃない」
「どんなの?」
僕は皆んなに、チャイコフスキーの花のワルツをモチーフにしたメロディを口ずさんだ。
「タリララ、タリララ、タラリラララ、ポンポンポンポン」
「3拍子。最初は下降系、次のポンポンポンポンは上昇系」
「そのメロディ! いいわよ!」
恵ちゃんがニコニコ顔で、僕の太ももをさする。太ももに、いいわ感を感じる。
「俺にはよくわからんが、耳障りはしないね」
大樹はどうでもいいと言う感じ。
「いい感じだよ。俺は好き」
義雄は褒めてくれる。
「これを6小節間、3回セブンスで下降させ繰り返した後、ターララ、ターララ、ターララ、ラーラーララと調を上昇させてもう一度最初の調に戻り、次の繰り返し6小節間にはオブリガートを加えるんだ」
「蝶が花の周りを舞うように」
「正。今アコースティックギターを持ってくるから弾いてみろよ」
大樹が軽音楽部の部室に向かう。
「正くん。何でも屋ね」
「自転車のパンクも直せるし」
「それは例えが変だよ。自転車のパンク修理と作曲は別物」
「まあ、何でもいいわ」
「器用貧乏さん。ますます好きになりそう!」
恵ちゃんが人数分のコーヒーを入れてくれる。
大樹が戻ってくる。
「正。これでいいか」
「ああ」
大樹がアコギを二本持ってきた。
僕がメロディを弾き、大樹には殴り書きした譜面を渡し、オブリガートを弾いてもらう。
「すごいわ! いい感じ! 素敵よ」
「花の周りを蝶が飛んでいる感じ! 出てる出てる!」
恵ちゃんも義雄からも拍手喝采。
「このメロディはメロウな感じだけど、明るいポップ調の主題もあるんだ」
「何々、聞かせて」
恵ちゃんが可愛いクリクリした瞳で僕を見つめる。
「タンタン、タリラリラッター、タタタタタタ・タ、タンタン、トュルリララッター、タタタタタタタ」
リズム感に溢れるメロディ。4拍子。
「それもいいメロディね。なんだか明るく眩い春を感じるわ」
「ギターでやろうか」
僕の口ずさんだメロディを大樹が弾いてみる。
大樹のギターの才能をよく知っている。上手い。すぐに耳コピして奏でる。僕は4拍子でギターの天板を叩く。
「いいじゃん。いいじゃん。何とかなりそうじゃん。作曲」
「さて、どうだか」
そう言いつつ、何だか大樹がいれば、教授の要望しているBGMが書けそうな気がしてきた。
「正くん、ホルン下手なのに、作曲は上手なのね」
「だ・か・ら、恵ちゃん。ホルン下手は余計」
「正。貧乏なのに、ホント作曲はうまいね」
「大樹もさ……」
「正、金儲けに関すること以外はなんでもできる。恵ちゃんと結婚したら、しわ寄せいっぱいの貧困生活を送れるね」
研究室の空気が、幸せな笑いで満ちる。
ーーーーー
「早速、作曲始めようか」
大樹が、iPad、そしてMac Bookをカバンから取り出す。まず始めに、ポケットにあるiPhoneのアプリを立ち上げ僕に渡す。
「正。鼻歌でいいからメロディをiPhoneに入れて」
「鼻歌? でいいの?」
「ああ」
僕は一つ目のメロディを鼻歌で吹き込む。
「貸して」
大樹がiPhoneを操作し、今吹き込んだ鼻歌のメロディを再生する。
「これでメロディと伴奏コードができた」
今度はiPadを立ち上げ、DTWソフトを立ち上げる。
「まず、コード進行をシンセサイザーの音で鳴らしていくね」
さすが軽音楽部。手慣れた手つきで編曲を進める。
「さて、次にメロディを入れるよ」
「そう、ドラムセットはどうする?」
大樹が僕に問いかける。
「ドラムセット?」
「大樹、セットのビートはいらないよ。リズムにスネアくらいは入れてもいい」
「シロフォンやビブラフォン。ティンパニーといったパーカッションは必要だけど」
「ビートのない曲は作ったことがないな~」
「というより、ビートが先にありき。ビートとコードをベースに曲を作り上げていくのが普通」
「この曲はイージーリスニングだから。小編成のオーケストラで使用する楽器をイメージして」
「まあ、分かった、分かった。任せて」
大樹がDTWソフトにティンパニーのロール、ビートだけ打ちこむ。
「正が作ったメロディのモチーフを入れ、演奏してみるよ」
メロディはオーボエとフルート。3度下に同じく2ndオーボエと2ndフルート。ポン、ポン、ポン、ポンの上昇リズムは、バイオリンのピッチカート。
3拍子の8小節間のフレーズの後、次の繰り返しにはバイオリンとホルンのオブリガート。3回目の繰り返しにはトランペットやファゴットをメロディ楽器に追加。フレーズごとに、mpからmfまでの強弱をつける。
「いい感じだね」
「ああ、いい感じ」
「コード進行も自由に変換できるんだ」
「一箇所、Eマイナーをセブンスに変えてみよう」
「いいね」
「便利な時代になったわね」
恵ちゃんが笑顔で目を細める。
「コードは静かめのシンセサイザーの伴奏だけど、どうする?」
「オルガンにしてみようか?」
大樹が伴奏をオルガンに変える。
「まあまあだね」
「でも、植物検定のBGMとしては、シンセが合ってるかも」
再び伴奏をシンセサイザーにする。
「これでいい。この方があっさりしてる」
「オーケストラの曲を作曲する訳じゃないから」
「よく聞くと、楽曲は意外に古典派風ね。メルヘンチック」
恵ちゃんが身を乗り出してiPadを覗き込む。
「正くん、後期ロマン派のファンじゃなかったっけ?」
「そんなの作曲できないよ」
「でも、この曲、聴きやすくていいわ」
「携帯やiPadで、曲がすぐ作れる時代になったのね」
恵ちゃんが感心している。
「二つ目のメロディも同じく編曲しよう」
僕らは、また最初から二つ目のメロディをiPadで編曲するところまで入力した。
「どうする、正。この曲の譜面を起こそうか?」
「そうだね。譜面にして、pdfに落としておこうか」
大樹はMac BookでDTWソフトを立ち上げる。
「さすが大樹。作曲ツールは一通り揃えてあるね」
「ああ。いい時代になった。簡単に作曲できる」
「後、主旋律がもう一つくらいあるといいな」
大樹が僕の方を向く。
「わかった」
行進曲風のリズムの旋律が頭に浮かぶ。
「iPhone貸して」
先のように、鼻歌で4拍子のメロディを吹き込む。
「正のメロディは、不思議とCから始まるね」
「曲の全体も、C、つまりハ長調にしようか?」
「いや、Dメジャーにしてくれる? ニ長調」
「なぜ?」
「天に響きやすい調は、ニ長調だと聞いたことがあるんだ」
「高尚で華美。雄大で宗教的。特に歓喜に使われる」
「例えば、ヘンデルのハレルヤ、ベートーベンの田園ソナタとか」
「はいはい。曲全体はニ長調にするよ」
皆んなで、まずは簡素に出来上がった10分足らずの植物検定BGMの音楽に聞き入る。植物検定プログラムでは、この曲を繰り返し演奏するように設定する。
「直すところがまだあるね。付け足すところもある。俺がやっておく」
「まずはBGMの初版完成、おめでとう!」
「作曲は正くん。編曲は大樹くんね」
恵ちゃんと義雄が、満面の笑みでパチパチと手を叩く。
ーーーーー
「こんにちは」
歩ちゃんが久しぶりに僕らの研究室に顔を出す。
「何しているんですか~」
「今、正と作曲してた」
「作曲?」
歩ちゃんがポカンと口を開けて不思議顔をする。
「植物検定プログラムのBGM」
「大変そうですね」
「いや、正と二人で2時間くらいで出来上がったよ」
「聞かせてあげる」
大樹が歩ちゃんを近くに呼んでiPadで曲を鳴らす。
「すごい! すごい! 素敵な曲」
「どうしたらこんなメロディが浮かんでくるんですか?」
歩ちゃんが首をかしげ僕を見る。可愛い仕草。
「自然を感じたり、好きな女の子を想像したり」
「そうしたら、いわゆる降ってくる」
「あら、私の想像、どこのメロディ?」
「企業秘密だよ」
僕が言うと恵ちゃんが笑う。
「きっと二つ目のメロディね。アップテンポでおてんばっぽいイメージが湧くもの」
「その通り」
「恵ちゃんの男漁りな性格をイメージした」
僕は微笑む。
「あら? 私は男真っ盛りよ。そんなこと言う正くんと一緒になったら、仲むずかしい夫婦になりそう」
「私、お茶、お花、お床を習ってきた由緒ある箱入り娘なんだからねっ」
恵ちゃんも微笑む。
「よいしょあるお床?」
「まあまあ、細かいところは気にしないのっ!」
「そう。明後日植物検定なんだ」
場の空気を変えるように、大樹が歩ちゃんに話しかける。
「じゃあ、今日はお邪魔かしら?」
歩ちゃんが答えると、
「大丈夫、大丈夫。俺、どうせ2級は落ちるから」
「3級取ってるし、安心安心」
大樹が意気がる。
「長男らしい、度胸ある性格してるな。大樹は」
「いや、俺、実は痔なんだよ」
歩ちゃんが恥ずかしそうにうつむく。
「長男だけど、痔なんなんだ。ややこしいね」
「じゃあ、恵ちゃんと義雄とで、僕ら少し早い夕食に行くね」
「その後、猛烈にラテン語を覚えなきゃならないし」
「分かった」
「したっけね。バイバイ」
大樹は歩ちゃんを連れて研究室を出て行った。
どこへ行くやら……。
「おい、正。したっけって北海道弁、何だっけ?」
「標準語で、じゃあね、と言う意味」
「大丈夫かな? 大樹」
義雄が心配する。
「まあ、3級は受かってるし。いいんじゃない」
恵ちゃんが人ごとのようにカラカラ笑う。
ーーーーー
「今日は私、ふわとろオムライスにしようかしら」
「僕もそれにする」
「義雄は?」
「俺はサーモンプレート。シャケご飯の縁にサーモンの刺身が散りばめられている」
「大好物なんだ」
「カフェテリアの一番隅のテーブルは、いつまでいても大丈夫な席だからイイわね」
恵ちゃんがつぶやく。
「夕食で混む前だったからラッキーだったね」
僕らは早速カバンからPCを取り出し、植物学名のラテン語の勉強を始める。
「あれ? 正くん。まだBGM入れてないの?」
「ああ、忘れてた。大樹がさっきの音楽のMIDIファイル持っているんだ」
大樹にLINEを打つ。
すぐにファイルが送られて来た。
僕はVBAで書いた植物検定プログラムに、MIDIからMP3形式に変換し、プログラムに曲を組み込んだ。
「恵ちゃん。どう? 聞こえる」
「うん。素敵」
「義雄は?」
「大丈夫。流れてるよ」
料理が届くまで、3人してそれぞれのやり方で暗記を進める。
「単語帳って、ツールとしてはシンプルかつ古くとも偉大なツールよね」
恵ちゃんが、スペリングをミスしたラテン語名を単語帳に書き出していく。義雄はiPadのメモ帳に、間違えた学名のスペリングを手書きで何度も書いていく。
僕は恵ちゃんと一緒。単語帳派だ。
「せっかく素敵な曲がついたのに、何かプログラムに味気ないと思ったら、正解ではピンポーン! 不正解だと、ブー、みたいな音が欲しいね」
恵ちゃんが僕につぶやく。
「いいよ。その音、つけるね」
簡単なプログラムの追加。すぐ完成。
「うん。これでいい。ゲーム感覚で暗記進みそう」
恵ちゃんが満足してくれた。
「さて、2時間半くらいたったし、お腹も一杯だし、研究室に戻ろうか?」
「私、家に帰るわ」
「恵ちゃん、帰っちゃうの?」
「うん。家でこのプログラムで勉強する」
「僕も久しぶりに自分のアパートで勉強しようかな。暗記モノ、結構集中力がいるし」
「なら私、正くんの家、少し寄っていってもいい?」
「うん。いいよ」
「羨ましいな~」
義雄が腕を組み、椅子にのけ反って僕らにつぶやく。
「そうそう。義雄、みどりちゃんとはどうなの?」
「どうなのって……。平行線だよ」
「時に男は大胆な行動を見せなきゃ」
「みどりちゃん、義雄のこと嫌いじゃないよ」
「あら、正くん、私に男らしい大胆な行動してくれた?」
「いや……、それは……」
「してなくても仲良く出来たの?」
逆に義雄に問い詰められる。
僕の頭に、オレンジ色のワンピースを着た伊豆の夜の海の恵ちゃんが浮かぶ。洗い髪に顔を埋めて……。洗い髪のシャンプーの香りと、うなじの甘い香水の香り。その場の流れで恵ちゃんの右の手のひらに射精した。それが恵ちゃんが僕のことを受け入れてくれたサイン。こんな恋の始まり、稀だと思う。
「まあ、時の流れに身を任せることかな」
僕がそう言うと、
「それ、俺へのアドバイスになっていない」
PCを閉じ、皆んなで笑ってカフェテリアを後にした。