第83話

 

「お昼はガッツリ系の中華なんで、朝はサンドウイッチにしようと思っていたんですが、意外に時間がかかるんで俵むすびにしました」

 

「美味いな、このおにぎり」

「いい嫁になる」

 

「この卵焼きも恵ちゃんか?」

 

「これはみどりちゃん作です」

 

「いい嫁になる」

 

教授は美味しいものを頬張って上機嫌。

 

有田先生の8人乗りのワンボックスカーに8人満杯。助手席は教授。真ん中3人は、恵ちゃん、歩ちゃん、みどりちゃん。後ろの3席は僕と大樹と義雄。

 

「あの、教授の奥さんのお料理は?」

 

恵ちゃんが教授に話しかける。

 

「朝飯は作ってくれるが、弁当なんて子供のもの以外作らない」

 

「俺には昼食とたばこ代、合わせて1日千円。それだけ」

「夕食は、子供が余したものを食べる」

 

「お弁当って、二人分も三人分も、作るならそんなに手間が変わらないと思うんですが?」

 

「かあちゃんの考えていることは分からん」

 

僕らも、普段教授の考えていることは分からない。なんか、奥さんも教授の考えていることが分からないから、そういう事になるんだろう。

 

「そう、あと、チューリップウインナー。うずらの卵付きです」

「着いたらすぐに中華料理ですから、軽いものにしました」

 

教授が俵むすびを美味しそうに、人一倍ムシャムシャ食べている。

 

「教授。あまり食べたら中華食べられなくなりますよ」

 

有田先生が気を配る。

 

「うまいものは、うまいんだ。今食べる」

 

教授の言葉に、有田先生は口を閉じる。

 

少し、車内が暑くなり、ブラウスのボタンを外した恵ちゃん。

 

「恵ちゃんのTシャツ、面白いね~」

 

有田先生がルームミラーをチラッと見てつぶやく。

 

「はい。<やればできる子>です」

 

「ついでに歩ちゃんは<人見知りです>、みどりちゃんは<犬と話せます>を着てきました」

「三人で話を合わせて」

 

「じゃあ、男衆もそうか?」

 

まさか教授の前で、大樹が<おっしゃる通り>、義雄が<シナリオ通り>とプリントされた道路標識を模したTシャツを着て来られるわけがない。

 

「ぼっ……、僕らは普通です」

 

大樹がどもる。

 

「普通ってなんだ?」

「普通とは、あまねく広く世に通用する状態のこと。お前たちは社会ではまだ全然通用しない」

 

教授の言葉に、皆んな黙る。

 

「皆んな、トイレは大丈夫?」

 

有田先生が重い空気を取り払ってくれる。

 

「はい。大丈夫です」

 

「一応、羽生サービスエリアに寄るね」

「NEXCO東日本が提案する新タイプの商業施設、Pasarというらしい」

 

「調べてきたんだ」

 

駐車場がかなり混んでいる。

 

「ほんと。洗練された粋な和風モダンな建物ね」

 

恵ちゃんが驚く。

 

教授は、タバコを一服しに行く。

 

「大樹。タバコは?」

 

「それ、聞かないでよ」

 

喫煙所に向かわない、いや、向かえない大樹の気持ちがよくわかる。

 

「そういえば、この前は佐野サービスエリアでウサギの王国みたいのを見たな。思い出した」

 

僕がいうと、

 

「こずえちゃんたちと一緒に行った時?」

 

「確かそう。もう日光に4回も行っているから、いつの何だか分かんなくなってくるね」

「小雨が降っていて百均の傘をかけてあげると、こずえちゃんから、ダイソーなものをありがとうと言われた」

 

恵ちゃんが、フフフと笑う。

 

「こずえちゃんが絡むと、なんでもギャグになっちゃうね」

 

 

ーーーーー

 

 

「ニッコウキスゲが咲いているな」

 

教授がゆったりとした口調で話す。

 

「昔ユリ科、今ススキノキ科だ」

「札幌の歓楽街みたいな名前の科だ」

 

教授が少しニヤける。

 

「皆んなも知っての通り、ユリ科はAPG分類で12の科に分けられた」

「APG分類は知っているな?」

 

大樹がモジモジしている。義雄はビビってる。

 

「はい。APG、すなわち被子植物系統グループ Angiosperm Phylogeny Groupは、植物の分類を実行する植物学者の団体です」

 

「APG体系は、1998年に公表された被子植物の新しい分類体系。その後も変更が加えられています」

 

恵ちゃんが空気を読んで、テキパキと答える。

 

「そう。旧分類法の新エングラー体系やクロンキストン体系がマクロ形態的な仮説を根拠に演繹的に分類体系を作り上げたのに対して、APG体系はミクロなゲノム解析から実証的に分類体系を構築するものであり、根本的に異なる分類手法だ」

 

教授が熱く語る。

 

「葉緑体DNAの解析から、被子植物の分岐を調査する研究は近年飛躍的に進み、新しい知見はAPGに集約されている」

「学術先端分野はすでにAPGの体系に移行し、クロンキスト体系は歴史的体系として扱われている」

 

「正。昔のユリ科の分類指標は何だったか知っているな」

 

「はい」

 

「単子葉植物で、花びらが3の倍数で形成されていたら、とりあえずユリ科に突っ込んでおけ、的なものだったと思います」

 

教授が微笑む。

 

「もちろん、もっと分類形質があるが、ほぼその通り」

 

「例えばネギ。これは従来ユリ科だったが、キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ属に、このニッコウキスゲ、ヤブカンゾウは、ユリ科からキジカクシ目ススキノキ科になった」

 

「俺が大きく驚いたのは、ギボウシがユリ科からキジカクシ目キジカクシ科になったこと」

 

「世界にも、衝撃的なニュースだった」

 

「ユリ目でも、ホウチャクソウはイヌサフラン科へ、ショウジョウバカマはシュロソウ科、ユリズイセンはユリズイセン科、ツバキカズラはツバキカズラ科、サルトリイバラはサルトリイバラ科へ分類された」

 

教授は弁を続ける。

 

「ユリ科自体は、ユリ、チューリップ、カタクリなど16属ほどに小さくなり、それまでユリ科だった、アスパラガス、マイヅルソウ、ナギイカダ、ヒヤシンス、スズラン、ニラ、ニンニク、タマネギ、ラッキョウは、それぞれの目や科の違うところへ分類された」

 

「有田先生。先生方も戸惑ったんじゃないですか?」

 

「すごく戸惑ったよ。いや、正直今でも戸惑っている」

「常にAPG分類の情報が更新されるからね」

 

有田先生が、癖であるこめかみに人差し指をこすりながら答える。

 

「有田君も俺も覚え直しだ。APG体系に追従して」

「そして、君たちは植物検定を通じ、最新の分類体系を覚えてもらう」

「明日にでも変更のあるものがあることを承知で」

 

「まず、科の前に目のオーダーを押さえておけ」

 

「皆んな、植物検定の冊子持ってきてる?」

 

有田先生が確認する。

 

「はい」

 

皆んなで口を揃えて答える。

 

「じゃあ、教授の話を冊子を見ながら聞いていって」

 

植物検定の冊子。それぞれの仕草で、目次をさっと斜め読みする。

 

今にも泣き出しそうな空色。自然林の静けさに包まれ、ゆっくりと時が過ぎる。

 

植物の学名は、国際植物命名規約にもとづき、属名(generic name)、種小名(specific epithet)をラテン語形で列記し、最後に命名者を付記する二命名法によって表記される。つまり、個々の植物名は斜め読みした科の下に、属名、種小名で示されている。

 

科名を頭に叩き込んだ上で属名を暗記する。もちろん、実物の花や葉、時に種子と共に。

 

植物検定は500属憶えろと言っているがウソだ。実際には1000属以上憶えてからなんぼの世界。

 

大樹が最後に冊子から目を離す。

 

「さて、行くぞ」

 

教授は学問の扉を開けて、植物園の奥へと僕らを連れて行く。

 

 

ーーーーー

 

 

「今回はユリ科に集中して見ていこう」

「いっぺんに何でもかんでも言われても、アホなお前たちには憶えられないだろうからな」

 

「まずイワショウブ、Triantha japonicaはチシマゼキショウ科として独立、オゼソウJaponolirion osenseは1属1種、サクライトソウ科」

 

僕らは植物検定の冊子をめくりながら教授の話を聞く。

 

「キンコウカ、Narthecium asiaticum はキンコウカ科として独立」

 

「ヤブカンゾウ、ギボウシ、ヤマラッキョの仲間はキジカクシ目で、ヤブカンゾウはさっき話した通りにススキノキ科」

 

「ギボウシはリュウゼツラン科と共にキジカクシ科を形成、ヤマラッキョやネギの仲間はヒガンバナと共にヒガンバナ科を形成した」

 

「これを取っ掛かりにユリ科細分化の分類を憶えて欲しい」

 

「教授。確かに、ヤブカンゾウ、すなわちHemerocallis属、和名ワスレグサ属は形状がユリに似ているのに大きく分類されたのは驚きですね」

 

僕が新分類体系の感想を話し始める。

 

「Hosta、ギボウシ属がリュウゼツラン科のAgave、つまりアロエやリュウゼツランと近縁だなんて」

 「そしてイトラン属、すなわちユッカやキミガヨランとも同じ科に入るなんて」

 

「キジカクシ科は形態での共通の特徴がよくわかりませんね」

 

恵ちゃんが、不思議顔で首をかしげる。

 

「繰り返しになるが、学術先端分野、園芸学も植物分類はすでにAPGの体系に移行し、クロンキスト体系は過去の歴史的体系として扱われている」

「いいか、今を覚えるんだ。理屈はAPGが示している」

 

「ネギとヒガンバナでヒガンバナ科を形成したのは、花や形態の質的に理解できますね」

 

「ああ、正の言う通りだ」

 

「さて、進もう」

 

教授は僕らを先導して歩く。まさに今日話題に上ったユッカが咲いてきたところ。教授があらためて、ギボウシと共にキジカクシ科に入るものと説明してくれる。

 

テリハノイバラも咲いてきた。Rosa luciae。バラ属、Eurosa エウロサ亜属、Synstylae シンスティラ節。

 

バラ属の化学分類が僕の卒論。亜属や節まで暗記していて当然。

 

イヌツゲ、クララも咲いている。

 

クララ、Sophora flavescensマメ亜科の多年草。教授の話では、この根を噛むとクラクラするほど苦いから、言葉転じてクララになったらしい。

 

シロテンマ、タケニグサ、ボダイジュも咲いてきた。もうじき夏だ。ゴマナ、ヒメシャラ、チダケサシも咲いている。ハクチョウゲ、Serissa japonica の花も優しい。

 

「おい、大樹」

 

「はいっ! 教授」

 

「エゾスズランって何科だと思う?」

 

大樹は緊張する。目の前に花もない。

 

「え~っと、スズランですからユリ科です」

 

教授は微笑む。

 

「ほら、バカはすぐ引っかかる」

「エゾスズランはEpipactis papillosa、ラン科カキラン属だ」

「しかも、ユリ科にあったスズランはキジカクシ科に入った」

 

「スズラン亜科スズラン属だ」

 

「スズラン亜科には観葉植物のサンセベリアやドラセナ、オモト、ヤブラン、ハランが入っている」

「間違えることも大切だ。忘れないだろ」

 

大樹は教授の言葉に納得しながらも歩ちゃんの前に立ち、少し恥ずかしげ。

 

「ほら、あそこに咲いている」

 

教授はエゾスズランを見つけ指差す。

 

「近くにミズチドリもある。これもラン科、属名はツレサギソウ属Plantanthera」

「名前は、デルフィニウムの和名チドリソウに似ていて水湿地に生えていることから来ている」

 

「ユキノシタも咲いているな。Saxifraga stolonifera、ユキノシタ科ユキノシタ属は変わらないが、目のオーダーで、バラ目からユキノシタ目に抱合された。憶えておけ」

 

「義雄」

 

「はいっ!」

 

「ホトトギスが咲いている。何科だ?」

 

「ほっ、ホトトギスですから……、ユリ科です」

 

義雄が冷や汗をかき、しどろもどろに答える。

 

「正解だ。Tricyrtis属」

 

「名前の由来は、ホトトギスの羽毛の斑点と花の模様が似ているために、花にもホトトギスという名前がつけられた。単純明快」

 

「日本には、ここにあるように、黄色のタマガワホトトギスが数多く分布している」

「ユリやホトトギスの仲間は狭義のユリ科を形成している」

 

「まだまだ、イヌサフラン科、シュロソウ科、ユリズイセン科、ツバキカズラ科、サルトリイバラ科などユリ科を抜け形成された科の植物があると思うから、その都度説明する」

 

「一休みしよう」

 

憾満ヶ淵の化け地蔵を望む対岸の広場で一服。

 

恵ちゃん、歩ちゃん、みどりちゃんがお茶を準備し、お菓子を広げる。

 

僕と恵ちゃん、大樹と歩ちゃんが寄り添う。恥ずかしげに、義雄がみどりちゃんの横に座る。

 

教授は、朝の残り物の俵むすびと卵焼きを頬張る。中華料理屋でたらふく食べて来たと思いきや、すごい食欲だ。

 

「教授、食べ過ぎじゃないですか?」

 

有田先生が教授を気にかける。

 

「美味いものは美味い」

 

微笑みながら、教授は子供のように手を休めない。

 

しかし、さすが教授だ。だんだん僕たちの中で旧ユリ科から形成された12の科が、意外にすんなりと頭に入ってきた。まず、旧ユリ科からだ。

 

旧ユリ科を制すれば、他のAPGが示す目や科、そして属名を効率よく覚える回路が頭に形成されそうだ。

 

教授のもくろみ通り?

 

教授が機嫌よく、食べながら話す。

 

「お前たちは若い。頭の中は空っぽだ。一度きりの人生、青春の真っ只中だ」

「人生は、何事もなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い」

 

「お前たちは、今、この時、この瞬間、学問だけを考えろ」

 

「過去は及ばず、未来は知れず」

「いつか来る、青春が終わってからのことは、青春が始まる奴らに任せればいい」

 

「今、この瞬間は大いに学べ」

「学問とは、それを感ずる人にとっては悲劇で、考える人にとっては喜劇だ」

 

僕らは、教授の言葉が腑に落ちたような落ちないような、ソワソワとした気持ちで首を縦にふる。

 

「正くん。青春には学問だけじゃなく恋も大事よね~」

 

恵ちゃんが僕の耳元で囁く。

 

地獄耳の教授が僕たちをにらむ。

 

「恋はな、いい雰囲気、悪い雰囲気、可愛い、醜い、かっこいい、かっこ悪い。お互いが持つ全てを好きになるんだ」

「お互いの全てを愛す」

 

「まあ、そんなこと出来っこない」

 

教授は不気味にニヤける。

 

「枯れない花はないが、咲かない花がある事に気づく日が来る。それが恋の定めだ」

「無駄な事に時間を費やすな」

 

そう言うと、ようやく教授は食事の手を止めた。

 

「お前たちを恋というつまらん夢から救うのは、理屈じゃなく多忙だ」

「覚悟しろ」

 

「お~怖」

 

恵ちゃんが肩をすくめて小声で呟く。

 

雨がパラパラ降り出した。雨足が少し、急ぎ足でやってきそう。

 

「虹を見たければ、ちょっとやそっとの雨は我慢するんだな」

 

教授は腰を上げ、恵ちゃんを見て珍しく優しく微笑む。教授はなんだかんだ言っても、陰では僕たちの恋を応援していてくれている。

 

「さあ、行くぞ。次はバラ科だ」