第34話

 

大樹がおじさんのところから帰って来た。

 

「大樹、随分遅かったじゃないか」

 

「ちんちん、虫に刺されて禁欲中なのに、無理してエッチでもしてきたか?」

「愛し合って痛いの、とか言って」

 

義雄がつまらぬ冗談を言う。

 

「いや、歩ちゃんがカーネーションの営利栽培にものすごく感動して、おじさんとも気が合って長くなった」

 

「お昼ご飯は?」

 

「牛丼屋」

 

「あのさ……、大樹よ……。せっかくの歩ちゃんとのデートだよ」

「初デートのランチに牛丼はないだろ、牛丼は」

 

僕はため息をつく。

 

「まあ……、仕方なかった。いつも食べてる海苔弁よりマシだろ」

 

「僕たち二人の恋。海苔かかった船だね。そう言う方がお洒落だったかもしれないぞ」

 

義雄も呆れる。

 

「それはそうと、頼んでおいたオレンジ花のF57のサンプルは?」

 

「あっ! そうだ。おじさんから歩ちゃんの研究室へって、花をたくさん頂いた。その中に混ぜちゃったんだ」

「歩ちゃんに持たせたまんま。生物環境工学に取りに行ってくるよ。すぐ戻る」

 

大樹は戻って来ない。

 

その前に、恵ちゃんがラン温室から研究室に帰ってきた。

 

「あら、大樹くんは?」

 

「生物環境工学に行ったまま」

 

「義雄くんは?」

 

「今、遺伝子実験室に行った」

 

「恵ちゃん。大樹さ、歩ちゃんとのお昼、牛丼屋だったんだって」

 

「あらまあ。困った人ね……」

 

恵ちゃんも呆れ顔。

 

「やっぱり、中トロ、ホクホクの穴子、ぷりっぷりのホタテと勧めていかなきゃね」

 

「それは初デートにしてはあまりに女慣れしているように思われるよ」

 

「あら、いいじゃない」

 

「女慣れしている男には、それなりの魅力があるのよ。女っ気がないと思っていたら、女の子へのエスコートが意外に上手だったりとか」

「キュンとするのよ、そういうのに。女の子は時折」

 

「正くんも、オケでたくさん女遊びでもしておけばよかったのにね~」

「でも1年次からなんでしょ? 運命の私に出会っちゃったからね。もう~」

 

「恵ちゃん、それ自分で言う?」

 

「正。F57のサンプル持ってきたぞ」

 

「こんにちは」

 

「おや、歩ちゃん付きだね」

 

「歩ちゃん。押し寄せるようなカーネーションの世界。どうだった?」

 

「とても感動しました。生物環境工学は、どうしても水耕栽培とか植物工場とかの中での研究ばかりになりますから。意外に無機質で」

 

「まずは、喜んでくれてよかった」

 

「正さんのおじさんにお礼を言っておいてください。たくさん綺麗なカーネーションも頂いて」

「研究室に飾ってきたところです。都会的で素敵な色合いばかり」

 

「うん。わかったよ。お礼しておくね」

 

「そう、お昼ご飯のこと大樹から聞いたけど……」

 

「牛丼、美味しかったです。私には新鮮でした」

「私、実は牛丼屋さん初めてで、貴重な体験になりました」

 

「なあ、正。歩ちゃん喜んでくれてるだろ?」

 

「大樹くん。歩ちゃんが優しいからそう言ってくれてるのよ」

 

「そうだ! 口直しにパフェでも食べに行こうよ。ねえ、正くん、大樹くん。行こうよ!」

 

恵ちゃんがはしゃぐ。

 

「全く。お寿司の後にすぐパフェなの……」

 

「なんか言った? 正くん」

 

「いや、別に」

 

「歩ちゃん、時間ある?」

 

「大丈夫です」

 

二人で、まるで女子高生のようにキャッキャ、夢中でパフェがどうこう話し始めた。

 

「大樹はどうする? パフェ」

 

「俺は……」

 

「パスするってか? せっかく歩ちゃんとデートの延長ができるチャンスなのに」

 

「大樹くん、行こうよ! ネッ、行こう!」

 

恵ちゃんの誘いと、歩ちゃんの笑顔をチラリと覗いて、大樹は首を縦に振った。

 

「じゃあ皆んな、オレンジのF57のサンプルの分析準備だけ済ましてくるから30分くらい待っててね」

 

「ファミレスのパフェ、クオリティ高くて侮れないよね!」

 

恵ちゃんは歩ちゃんと早速メニューの相談開始。

 

「あのさ、恵ちゃん、僕の話聞いてる?」

 

「正くん、な~に?」

 

「ほら、聞いてない」

 

僕は呆れて実験室へ。

 

義雄が遺伝子実験室から丁度出て来た。

 

「義雄、これからファミレス行く?」

 

「さっき、寿司食べたばかりだろ?」

 

「それがさ、パフェだって」

 

「俺はパス。今、ノーザンしているし、卒論の研究遅れ気味」

 

なんだか、いつもはすんなり行くと言うのに今日は珍しい。みどりちゃんと過ごした時間を、こころのどこかでじっくり噛み締めているせい?

 

「正は大丈夫なのか?」

 

「まあな」

 

「正は瀬戸際の魔術師だからな。何でもやるべき事を期限内に終わらせる」

「俺には無理だよ」

 

僕は手際よく、F57のサンプル抽出を済ませる。見た目では、蕾の時のstage1の花弁は白色で発色していない。

 

抽出時間は短いが、サンプル液を液クロにセットして蕾のステージと開花時のステージの分析を開始する。注入量は抽出時間が短いので、一応普段の倍量、20μLにしておこう。

 

「皆んな、お待たせ」

 

「さあ、行こう!」

 

「あのね、正くん。私、ファミレスのパフェ達のカロリー大体暗記しているからね」

 

「恵ちゃん。お店に行けばメニューに書いてあるでしょ? ひとつひとつ」

 

「おびただしいパフェのメニューのカロリーの事前確認、女の子には大切よ」

「その場で気に入ったパフェの写真を見てカロリーに驚いたり、カロリーの低いパフェは好みじゃなかったり、あたふた悩まなくて済むでしょ?」

 

「そのパフェのメニューのカロリー覚える脳の暗記分野、これからは植物検定に使ったほうがいいよ」

 

「これはね、別の脳なの」

 

恵ちゃんは、ペロリと舌を出す。

 

「いいなあ~。女の子には別腹も別脳もあって」

 

「あら? 男の子だって別眼があるじゃない」

「理性を超えて、例えば、自然と女の子のお尻の部分だけを見てしまう眼とか」

 

「そんな風に男の人を語らないでよ。皆んながそうじゃないんだから」

 

僕みたく、恵ちゃんの笑顔だけに釘付けになる眼もあるんだよ……。

 

「さあ~。そう言う正くんもどうだか」

 

「女の子はね、ひとりの男の子に恋して、そしてその経験から男の子の一般原理を見い出すの。つまり男の子ってどう言う生き物なのか男の子全体を広く知っていくものなの。それはもう、男の子同様、パフェを賢くチョイスする別脳もできるわよ」

 

「男の子は違うでしょ?」

 

恵ちゃんは微笑む。

 

「何が違うの?」

 

「男の子は女の子全体を広く見渡してひとりの女の子を知る。そして次に、選んだひとりの女の子の身も心も、深く部分部分を知りたくなってくる」

「いい意味で恋の濃縮作業だけど、悪い意味じゃ執着よ。眼の視野が狭くなる」

 

「それと、女の子のお尻を見る別眼と、どう話がつながるの?」

 

「それは……。自分で言ってて、何が何だか話がわからなくなっちゃった!」

 

ほら、また微笑むんだね。ふざけているくらい素敵だよ。

今、恵ちゃんのいい香りがしてる。