シルクロード、どこかわかる?

 

 

一時ハマったから、おおよそわかるよ。

 

やはり、さまよえる湖ロプノールや楼蘭など、消えた都市とかの興味から

入ったかな?

 

中国には2回だけだけど、興味あって行ってるし。

 

まあ、Wikiとかから、ひっぱってきた(以下)。

 

「草原の道」

中国から北上して、モンゴルやカザフスタンの草原(ステップ地帯)を通り、

アラル海やカスピ海の北側から黒海に至る、最も古いとみなされている交易路。

 

「オアシスの道」

東トルキスタンを横切って東西を結ぶ隊商路「オアシスの道」が、リヒトホーフェン

が名付けたところの、いわゆる「シルクロード」。長安を発って、今日の蘭州市の

あたりで黄河を渡り、河西回廊を経て敦煌に至る。

 

「海の道」

中国の南から海に乗り出し、東シナ海、南シナ海、インド洋を経てインドへ、

さらにアラビア半島へと至る海路は「海のシルクロード」

 

はるか紀元前から交易が行われていた、シルクロード。

ロマンだね。

 

 

 

しかし2018年の今!

世界経済の白地図を大きく塗り替えるかもしれない!

中国の、新シルクロード政策があるよ。

 

イタリア、フランスなど欧州3カ国を歴訪した中国の習近平国家主席の

シルクロード経済圏構想(一帯一路)が、欧州の国々の間に亀裂を生んでいる。

 

英国の離脱問題など欧州連合(EU)が揺れるなか、一部の国が中国マネー

に引き寄せられればEUの「遠心力」は強まりかねない。欧州の盟主を自任する

マクロン仏大統領やメルケル独首相は神経をとがらせ始めた。

 

習氏がイタリアに到着した翌3月22日、マクロン氏はEU首脳会議後の

記者会見で、「中国は欧州の分断につけ込んでいる」と警戒心をあらわにした。

 

マクロン氏は昨年、初のアジア外遊先に中国を選び、シルクロードの起点だった

西安に足を運んで「(利益を互いに)分かち合う道に」などと協力への期待を

表明していた。

 

ここに来て中国に厳しい言葉を発したのは、G7の一角をなすイタリアが、

習氏の訪問を機に一帯一路への参加を表明していたため。マクロン氏は

「欧州がナイーブでいられる時代は終わった」と語り、欧州が足並みをそろえて

中国戦略を練るよう訴えた。

 

 

中国が主導するシルクロード経済圏構想「一帯一路」。参加する国が、だんだんと

増えている。23日には、イタリアが正式に参加を決定。主要7カ国(G7)の

メンバーとしては初めてで、欧米諸国にとっては衝撃だった。

 

一帯一路とは何なのか? なぜ参加国が増えているのか?

 

 ――そもそも、一帯一路って何?

 中国が進める巨大な経済圏構想。まず歴史的な背景から。

 

 中国とヨーロッパの間では、はるか昔から、貿易が盛んに行われてきた。

中国の絹がヨーロッパ大陸にたくさん運ばれたことから「シルクロード」と

呼ばれ、一般的には中国の長安(現在の西安)からローマを結ぶ貿易の道を

指す。

 

 一帯一路は、いわば、「現代のシルクロード」だと中国政府は言っている。

2013年秋に、習近平国家主席が中国から中央アジアを通ってヨーロッパに至る

「陸のシルクロード」に加え、南シナ海やインド洋を通ってヨーロッパ、アフリカ

などに至る「海のシルクロード」を再現する構想を打ち上げた。

 

中国政府は陸の経済圏を「一帯」、海の経済圏を「一路」と名付けた。

この二つを合わせて、中国語で「一帯一路(イータイイールー)」、

英語では“One belt,One road”と呼ばれている。

 

 ――何カ国が参加しているの?

 2015年の参加国は60カ国ほどだったが、今年3月の記者会見で

王毅外相が明らかにしたところによると、123カ国まで増えている。

 

 ――具体的に、どういうことをする?

中国とヨーロッパの間にある中央アジアや中東などの国々は、道路や鉄道、

港湾、通信網といったインフラが足りていない。

これらを整備して、貿易や交通を便利にすることを目的に掲げている。

 

このお金を出すため、中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)をつくり、

シルクロード基金と呼ぶ資金も用意した。一帯一路に参加する国々の間で、

投資や貿易の自由化を進めることも目指している。

 

ロマンあふれるシルクロードが、再び2000年の歴史を超えて中国の手中に

納められるのか?

 

アメリカに貿易戦争を仕掛け、EUの分断につけ込んだ?

 

世界平和のために、穏やかな、新シルクロード構想であればいいけど・・・

 

 

 

P.S.

 

ちなみに僕は、空のシルクロード? でヨーロッパに行っていた時代がある

香港で乗換え、インドで乗換えイギリスへ とか

後、テヘランや、アテネを経由したり

 

いわゆる昔言われた南回り 23時間くらいかかったかな?

当時は、米ソ冷戦でシベリア上空を旅客機が飛べなかったから、

ヨーロッパまでは北周りが普通 アンカレッジ経由 18時間

 

アンカレッジ空港で一旦乗客は降ろされるんだけど、

空港に、日本食やおでんとか売っていたのが懐かしい

 

話がそれるので、この辺で・・・

 

 

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