結局2時過ぎまで眠りにつくことが出来なかった。

隣の部屋の話声がボソボソと聞こえる老朽化の目立つホテルのせいか、窓からユニオンスクエアが見えているせいか、写真を早くアップロードしてお友達にお別れの挨拶をしたいという思いもあったからか、眠るのが勿体無い。思えばこの2年間ずっと高揚していたかもしれない。


このホテルWi-Fiは有料、お高くとまっている。

よってユニオンスクエアの見える窓にiPadをくっつけて、微弱な公共Wi-Fiを拾って写真をアップロード。そんなことしているから眠れないわけだ。いいのだ、どうせ時差ボケにこれからなるんだから。

 

そうやって迎えた朝。SHIGEがユニオンスクエアをじっくり見渡している。

「なんか死んでるように見える人がいる。」黒人男性がぐったりと横たわっていた。少し動いたので、ホッとするが、2時の時点からいたのだろうか、気付かなかった。

 

昨日、隣客乱入の詫びでもらった朝食券を使う。いかにもハイソな朝食会場。

きめ細やかなサービスが積み重なり、だんだんと居心地が悪くなってきた。

小さな紙幣がないのよ。チップがない。

私はこういうことでヤキモキし、全然ゆっくりできない性格だ。

 

SHIGEは「いいんよ、チップなんて、こっちが迷惑被ってんだから。」悠々としている。

 

でもそんなことにここのウェイターたちは関係ないし。チップを払わないと態度が豹変する人も見てきて、この国で生計を立てていくことの仕組みも分かった。無償なんてない。SHERLYも席を立って走り回り迷惑もかけたしな。。

 

実はメキシコでもオールインクルーシブを信じて紙幣を持たず、ほとんどタダでサービスを受けてきて、後ろめたかった。

チップを置いた日にはチョコレートが置いてあったり、タオルが2回補充されたりと明らかな差があった。

 

SHIGEがわずかに紙幣を持っていたことが判明、ほっとして街に出た。

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子供たちに機内用の長袖をGAPで買うことにする。珍しいことに道端に日本人のホームレスの人がいた。

段ボールに「TOKUSHIMA」というのが見えた。

 

ユニクロの前を通ると、2年前に寒さに耐えきれず、防寒具を買いにSHIGEとやってきたことを思い出した。学校の迎えに間に合わないかもしれないと、慌ててタクシーに乗って帰ったのだった。

 

ささっと長袖を選んだら、ケーブルカー乗り場を背に写真を撮った。

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そしてあの日、ユニクロの前でしたように、SHIGEと

「ここが私のアナザースカイ、サンフランシスコです!」という動画をふざけて撮り合った。

あの日は胸に期待を膨らませていた。今日は感謝の気持ちでいっぱい。清々しい。


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部屋に帰って荷物をまとめ、廊下にいたアジア系のハウスキーパーたちに、

「冷蔵庫の中にいつから入ってるか分からないコーヒーの腐ったようなのがあったよ」とSHIGEが伝えると、

”Don't worry!"(心配しなくていい)と言われる。

だから違うってばムカムカムカムカ!と愚痴りながら、結局アメリカのサービスのクォリティってこの程度だったと総括。

 

SHIGEの最強伝説もクライマックス、チェックアウトの際にあの腐ったコーヒーの写真を見せ、さらなるディスカウントに成功していた。お得に泊まれたことは確かである。

 

空港までのシャトルは断られてしまったので最終手段としてBARTという電車で行ってみることにする。重たいスーツケースと子供たちとえっちらおっちら、パウエル駅へ行き、ちょうどきた空港行きに乗り込む。同じくスーツケースを持った旅行者たちにあたたかい目で見守られて快適な数十分間であった。

アシーンと行った隣町の映画館、隣町の巨大ターゲット近く、いつも通ったコストコ近くを電車は通った。意外と快適!

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空港に着いてしばらくすると、U先生ご一家が我が家の炊飯器はじめ、SHIGEのギターなど6つほど持ってきてくれた。GENはTくんHちゃんと落ち着いた様子で別れの時まで遊んだ。

U先生には車の買い取りについて、ロスカボスについて話した。

Jさんは寂しくなると泣いて、私も泣いた。留学しなかったら出会わなかった、優しいご一家。北海道に押しかけよう。

 

しばらくして、ローゲン一家とライラが到着。

 

 

「2019年に行くから」シリンが言った。私は彼女に手紙を渡していた。あなたの家族は私たちの家族。ローゲンもルーカスも私にとっては甥っ子のような存在だったよ、と。

 

ケーキとキンパ(韓国のお寿司)、機内で食べるようのポッキーやグミなど大量に持たせてくれた。

ライラはいつもお腹いっぱい食べなさいと言ってくれた。別々に持っていた私のコロコロに私のバッグのハンドルを巻き付けて、「こうすれば、楽だからね」と何度もやって見せてくれた。



これからライラは大丈夫だろうか、きっと大丈夫だろうけど、私は差し出がましいが、もうすぐ70歳なのに私以上に子育てに力を注ぐ彼女を少しでも支えてあげたかった。ライラは私が大変そうだ、といつも心配してくれたけど。。

 

そうこうしているうちに搭乗時刻も近づき、ゲートにてお別れ。2家族ともずっと見送ってくれた。


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こんな風に見守られながら、幸せな最後になるとは思いもせず、胸がいっぱいでゲートまで歩いた。そしてすぐキンパを食べた。

 

機内に入った途端そこはOMOTENASHIの国、日本。

落ち着くわ~。

どれどれ君の前前前世見てみよう、ララランドも見たい!実はフライトを超楽しみにしていたのだった。

 

私はGENの後ろに座った。

上空から見たサンフランシスコは予想通り、西半分に霧がかかっていて、スットロタワーすら見えなかった。

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霧だらけの夏のサンセット地区が大好きだった。今日もうちのリビングの窓からは何にも見えないんだろう。

 

そんなサンフランシスコの街を見つめるGENを見つめる私だった。


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残してきたものがたくさんある。見ていないものもたくさんある。

 

そう遠くない日にまた来ようね。

 

 

 

長い間ご愛読、応援ありがとうございました。


 

〈完〉