崇高に?
思考の肥溜めに落っこちてウンコまみれになってしばらくもがいていると
ああ、実ははじめからウンコだったんじゃないかと思ってくるのではないかと。
俗物まみれになりながら、それでも意識と視野を広く、高く持って生き続けるのは
相当の思考の経験が必要だ
頭や魂を体から出して、俯瞰で物事を捉えるのだから
家族という血につながれていると、たまに逃げ出したくなるときがある。
(血じゃつながっていられないから、そのかわりのもので証明していたいと
必死になっている姿のほうが滑稽で美しいと思うのは私だけ?)
息子とも
つながっていたいけど、最終的に切り離していくことが人を育てる目的だと思うから、
つながりは血でなくてもいいだろう、と思うの。
子孫を繁栄させていくことだけが仕事なのではないのだから。
でもやっぱり遺伝子レベルで自分と似ている部分とかを見つけると愛おしいと感じるのだから矛盾しているのかもしれないけど。
常識とか
誰かのためだとか
善行とか
孝行とか
“ちゃんと”生きていかなきゃならない言説とか。
今度はそれを息苦しく感じてしまう自分自身への嫌悪感だとか
どこに逃げ出しても一緒なのに、全部捨ててしまいたくなる
そもそも崇高なんて自分でそう勘違いしているだけで、
なんてことない、俗と高みの境界線はただの思い込みで。
疲れきって考えるのをやめてしまった人もいるだろう。
絶望して死んでしまった人もいるだろう。
まみれた俗なるものを
ただ反発するのではなく、
さわってみたり受け止めてみたり
距離を置いて眺めていると
なんだ、案外いい味でてるじゃないと
気づいたりもする。
落ちた肥溜めが実は
単なる溜池ではなく、
そこに入れる限られた人にしか見えない場所だったりするのかもしれない
流れを疑ったり、
立ち止まってみることこそに意味があると信じて突き進めばいいのだ。
おそらく。
さて!
授業をききましょうか。
ああ、実ははじめからウンコだったんじゃないかと思ってくるのではないかと。
俗物まみれになりながら、それでも意識と視野を広く、高く持って生き続けるのは
相当の思考の経験が必要だ
頭や魂を体から出して、俯瞰で物事を捉えるのだから
家族という血につながれていると、たまに逃げ出したくなるときがある。
(血じゃつながっていられないから、そのかわりのもので証明していたいと
必死になっている姿のほうが滑稽で美しいと思うのは私だけ?)
息子とも
つながっていたいけど、最終的に切り離していくことが人を育てる目的だと思うから、
つながりは血でなくてもいいだろう、と思うの。
子孫を繁栄させていくことだけが仕事なのではないのだから。
でもやっぱり遺伝子レベルで自分と似ている部分とかを見つけると愛おしいと感じるのだから矛盾しているのかもしれないけど。
常識とか
誰かのためだとか
善行とか
孝行とか
“ちゃんと”生きていかなきゃならない言説とか。
今度はそれを息苦しく感じてしまう自分自身への嫌悪感だとか
どこに逃げ出しても一緒なのに、全部捨ててしまいたくなる
そもそも崇高なんて自分でそう勘違いしているだけで、
なんてことない、俗と高みの境界線はただの思い込みで。
疲れきって考えるのをやめてしまった人もいるだろう。
絶望して死んでしまった人もいるだろう。
まみれた俗なるものを
ただ反発するのではなく、
さわってみたり受け止めてみたり
距離を置いて眺めていると
なんだ、案外いい味でてるじゃないと
気づいたりもする。
落ちた肥溜めが実は
単なる溜池ではなく、
そこに入れる限られた人にしか見えない場所だったりするのかもしれない
流れを疑ったり、
立ち止まってみることこそに意味があると信じて突き進めばいいのだ。
おそらく。
さて!
授業をききましょうか。
