*この投稿内容は、成龍吧がジャッキーにプレゼントするために作成した記念本「青春故事」に投稿した内容を元に、編集・加筆してます。

 

初めての香港、初めてあげたプレゼント
 
当時、私の両親は、中学高校生で海外にまで追っかけするのは反対でした。なので、初めて香港に来たのは1990年4月。香港映画も好きで、毎年4月に開催される香港国際電影節(映画祭)に行きたいという思いもあり、その時期に合わせ、大学に入学したばかりの4月、いきなり授業を休んで、香港に行きました。(でも、こんな休み方したのはこの時ぐらいです。私は真面目な学生だったので)
 
私は、高校の美術時間の自由テーマで長い時間かけてジャッキーの絵を描いていました。とても大きな絵でしたが、初めての香港旅行の時、それを日本から香港に運び込み、ゴールデンハーベスト撮影所のジャッキー事務所を訪ね、ジャッキーに会った時に、ジャッキーにあげました。実のところ、ジャッキーに絵をあげるのは、彼はお金で買えるものは、何でも自分で買える、だけど、絵ならば、長い時間心をこめて描いたことだけは、一目でわかるから、その気持ちを伝えたいだけでした。なので、直接渡せただけでよかったし、だからジャッキーも受け取ったら、後で処分するのだろうと思っていたのですが..... 1998年1月1日~3日に香港のコンベンションセンターで開催された、成龍世界《我是誰》展覧会で、私が90年4月にあげたその絵が「影迷送贈的手繪圖畫(ファンが送ってくれた絵画)」のコーナーで展示してあったのを見て、とてもびっくりしたし、こんなに長く置いていてくれたんだと、とても嬉しかったです。
 
そして、このことには、さらに続きがあります。2013年7月14日のジャッキーの公式サイトJackiechan.comのJC Diaryの中で香港事務所の改装とギャラリーを作ったことが述べられています。その時の写真で、事務所のギャラリーに私の絵があるのを見つけて、「まだある!!」と、とても嬉しかった。
 
そして、まだ話に続きがあります。去年のファンクラブツアーでお世話になった香港事務所の方に、香港に戻ってから、あの絵について尋ねると、探して写真を送ってくれました。2013年の改装時と配置は変更になったものの、去年もまだギャラリーに飾ってあったのです。本当に感激しました。90年にジャッキーにあげてから、去年で29年。経年劣化で色もなんだか変色している。それだけ長年の月日が流れて、今だに残しておいてくれて、香港事務所に飾ってくれてるなんて、ファン冥利に尽きます。
 
 
番外1:  この90年4月の初めての香港旅行は、3泊4日のツアーに参加、ホテルは沙田駅近くのロイヤルパークホテル(帝都酒店)。当時はネットでグーグル地図を調べるなど出来なった時代、簡単な香港観光地図には沙田は載っておらず、ツアーパンフには、旺角の上にあるような簡易地図しかなかったので、それほど遠いとは思わず、ツアーの値段重視の結果、こんな郊外のホテルのツアーに参加してしまった(汗)。格安ツアーといっても、ピークシーズンでは無いのに、たしか3泊4日7万9千円、プラス一人部屋料金で、9万円ぐらいしたと思う。当時は、航空料金、今みたいに自由ではなかったし、特に便数がすくない関西発は、今ほど旅行代金安くなかったのですよ。ロイヤルパークホテル、オープン間もないころで、とても綺麗で、利用法によっては、いいホテルだったと思いますが、なんせ、一般的な観光地からも、映画祭会場からも、ゴールデンハーベスト撮影所からも遠い。自分の香港に来た目的としては本当に失敗でした。この時、香港で通用圖書の地図を購入したので、以後の香港旅行では、こんな失敗はしませんでしたけど。
 
番外2: 初めての香港で、ゴールデンハーベスト撮影所のジャッキー事務所を訪ねた時、そこで出会った一人は関西の人で、今でも、数年に一度は会っているジャキ友です。90年代初めごろは、私もしばしばゴールデンハーベスト撮影所を訪ねていましたが、そのころは、いつもたくさんの人がジャッキーに会いに来ていました。ジャッキーの事務所で待っている間にお知り合いになり、ジャッキーと会ってジャッキーにバイバイしてから、そこにいたファンと一緒に食事に行ったことは1度や2度ではありません。ジャッキーに会うだけでなく、そういうファン同士の交流も楽しかったです。
 
番外3: 成龍展での私の絵の横が「ポーポーCLUB」10週年記念のパネルですね。私は、ジャッキー・チェンインターナショナルファンクラブ(公式ファンクラブ、略してインタルと呼んでた)以外では、88年大阪での追っかけから生まれた無問題倶楽部のメンバーでした。でも、87年のインタルの大阪ミニパーティーで知り合ったジャキ友がポーポーの方と知り合った関係で、88年のポーポーCLUBの関西地区の集まりに参加させてもらったことがあり、その後、追っかけなどで
ポーポーのメンバーの方にお世話になったことがあります。私はメンバーでもないのに、よくしてもらって、すごく懐かしいです。今、どうしてられるだろう。
当時は、公式ファンクラブだけでなく、いろんなファンが自発的に作って活動していた私設ファンクラブが各地にいっぱいあって、本当に日本全国、いろんなファンがジャッキーを盛り上げて支えていた時代だったんだなあと、懐かしく思います。