鑑賞メモ
セルゲイ・ポルーニン【ホワイトクロウ】THE WHITE CROW #1 ヌレエフ




ひとりの若者が、黒いベレー帽に黒っぽい細身のスーツ姿で、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)からパリへ向かう飛行機の中にいる。時は1961年。ルドルフ・ヌレエフ(オレグ・イヴェンコ)はまだ伝説のダンサーでもなければ、尊大な人間にもなっていなかった。世界に名だたるキーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)の一員として、海外公演のために彼は生まれて初めて祖国ソ連を出た。若きヌレエフはパリの生活に魅せられ、この魅惑の街で得られる文化、芸術、音楽のすべてを貪欲に吸収しようとしていた。だが、その一挙一動はKGBの職員に監視されていた。
テキスト:TOHOシネマズ
スタッフ
監督 レイフ・ファインズ
(ハリー・ポッターヴォルデモート卿役など俳優としても有名)
製作
ガブリエル・タナ ほか
※(DANCER/セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣担当)
脚本 デビッド・ヘア
美術 アン・セイベル
衣装 マデリーン・フォンテーヌ
キャスト
オレグ・イベンコ (ルドルフ・ヌレエフ)
アデル・エグザルコプロス (クララ・サン)
セルゲイ・ポルーニン (ユーリ・ソロビヨフ)
ラファエル・ペルソナス (ピエール・ラコット)
ルイス・ホフマン






昨年末ディズニー映画「くるみ割り人形と秘密の王国」がロードショーされたのとほぼ同時期に東京映画祭のコンペにかかってるこの作品にセルゲイ・ポルーニンが出演してるらしいと聞いた。(最優秀芸術貢献賞受賞)

見に行こうって決めていたのに、ハッと思い出したのがGW過ぎの5月の半ば。劇場の公開予定を確認したら5月末で終了。慌てて見に行った。(結果的に都内の興行は6月頭まで延長、その後(現在)は中核都市を中心に興行中)






あらすじ

専門サイトに丸投げ


==以下ネタバレ満載のぶつ切れ感想メモ==
(文中のセリフはおぼろげな記憶を元にしたニュアンス。誤謬が入ってる前提で!)

予備知識

下調べしてから見に行ったほうがいいのかな?と思いつつ、先入観なしにみるのも映画そのものを味わうのもありかなとほぼ真っ白の状況で出掛けた

結果、失敗。

この映画、ヌレエフのことをよく知らないとわかりにくい。


当方のヌレエフに関する事前情報はこんな感じ


○VHS『眠りの森の美女』
10年以上前に相方ちゃんがオーロラのヴァリエーションを踊ることになって買ったVHS「眠りの森の美女」。VHSだからって捨てちゃったのでいつの公演の映像だったのかわからないが、画質も悪くて古臭い印象だった。ヌレエフは筋肉質で分厚い(ビロード素材だったかな?)衣装を着て、ぴょ~んぴょ~んと飛んでいた。
よって我が家ではヌレエフのことを「もこもこおじさん」と呼んでいた。(ちなみにそのVHSは教室の諸先輩方にそれは古すぎると言われ、教材として日の目を見ることなく終わった)

カナダ版かな?Chacottで買いました。
https://www.youtube.com/watch?v=lehlDCwJCoU

○バレエ漫画や映画「愛と哀しみのボレロ」
有吉京子さんや山岸凉子さんのバレエ漫画、映画「愛と哀しみのボレロ」などの作品でマーゴ・フォンテインのパートナー、ドラマティックにソ連を亡命した天才ダンサーの存在を知る。


鑑賞後に蘇る「遠い記憶」


○新宿文化会館「ドン・キホーテ」バジル役ヌレエフ
いや、ちょっと待って!思い出した。自分、
 一度だけヌレエフの公演を観てる!
VHSを買った10年ぐらい前はまだしっかり記憶があって相方ちゃんに自慢してたのに脳底に沈殿。すっかり忘れていたw

80年代半ばヌレエフの来日公演。

漫画であれほど賛美されてるし、せっかくの機会だから一度観ておこうと新宿文化会館 東京文化会館に行った。(たぶん松山バレエ団の公演)よく知っている『白鳥の湖』のチケットは売り切れていて、やむなく観たのは『ドン・キホーテ』。(今ならドンキを選ぶ)セルバンテスの原作を読んでるからわかるかなと足を運んだものの、(今思うとそれは無理筋っww)当時は今以上にバレエ様式など知識がなくて、ポカーンと観て終わったという。猫に小判、豚に真珠


○『DANCE TO FREEDOM』(BBC制作、2015/12/19)
調べていたら、このBBC制作のドキュメンタリー映画が浮上。見た記憶がないけど、某動画をみたら「あれ?見たことある映像が・・・・」。

※Rudolf Nureyev: Dance to Freedom OffcialTrailer
英語ならフルバージョンある





ダビングしたディスクの整理をしたら、出てきた。(和訳付きが助かる)2016年9月スカパー!に乗り換える直前のお試し体験の時にクラシカ・ジャパンの放送を録画したらしい

もしかすると後述する映画『愛と哀しみのボレロ』の亡命シーンとこのドキュメンタリーの映像がごっちゃになってるかもしれない。同じディスクにマーゴ・フォンテインとの『白鳥の湖』(1966)『ルドルフ・ヌレエフ生誕75周年ガラ』も収録していた。所々見直そう。




【余録】『DANCE TO FREEDOM』と『ホワイトクロウ』の違い

BBCの『DANCE TO FREEDOM』では多くの実在人物がヌレエフのエピソードを懐かしそうに語っている。放送当時に見たときはヌレエフの人物像が奇天烈すぎていまいち飲み込めなかった

今回改めて『ホワイトクロウ』を観たあとに見直したら理解しやすくなった。『DANCE TO FREEDOM』は客観的事実、『ホワイトクロウ』はヌレエフという人間の心を描いているからだと感じた。

双方合わせ観るとより深くヌレエフに近づけると思う。


原作『ルドルフ・ヌレエフ:ザ・ライフ』


映画『ホワイトクロウ』は監督レイフ・ファインズがジュリー・カヴァナーの『ルドルフ・ヌレエフ:ザ・ライフ』(Rudolf Nureyev: The Life)でヌレエフのことを知って、バレエダンサーとしてはなく一人の人間の生き方に共鳴して制作した映画。

しかしヌレエフやプーシキン、ラコットなどの主な登場人物以外キャラ付けする描写がほぼない。映画冒頭のキーロフバレエ団がパリの空港に到着したときや初日公演後のレセプション・パーティー場面で人物を相関するような場面はあるにはあるが、数分のシーンから人物背景を初見で推し測るのは厳しいものがある。





なので、ヌレエフがウファのバレエに行くように命令されたところを救ったシニアのバレリーナが(ダジンスカヤ)がどういうポジションの人間だとか、

練習中のヌレエフが「才能がないやつは出て行け」と噛み付いた相手がダジンスカヤの夫で、キーロフ・バレエの芸術監督だとかいう背景をバレエに詳しくない人間がその場で理解するのはめちゃくちゃハードルが高い。

しかしながら、映画内でキャラが立っている実在の人物の背景を盛り込んだら12時間かけても終わらない超大作になってしまうので、キャラ説明はどだい無理な話なので致し方ないのだろう。

ということで、映画を見る際にはある程度の予備知識があるのとないのとでは理解の深さが変わるだろう。ただこれ、素晴らしいのはたとえ予備知識がなくても話の流れはわかるし、クライマックスシーンでは感動が味わえるように仕上がってる。

原作に惚れ込んだレイフ・ファインズが構想20年をかけ、練り上げられた作品だけのことはある。


フラッシュバック手法


この映画の特徴として挙げられるのが、フラッシュバックの手法だろう。

映画の冒頭はヌレエフ亡命後のシーンから始まるが、その後は「貧しかった幼少時代」「レニングラードでの修行時代」「パリ公演~亡命」という3つのタイムゾーンがフラッシュバックのように交錯しながら進行していく。

フラッシュバックが登場人物のキャラをなおさらわかりにくくしている部分もある。だが、伝記物を描く際に時系列を追って描くことはわかりやすさを生むかわりに観るものに退屈さも生み出すことが往々にしてある。フラッシュバックの手法を用いることでストーリー展開に起伏をもたらし、冗長になることを防いでいるといえる。

また、監督レイフ・ファインズがインタビューで「単なるフラッシュバックにしたくなかった」と語るように、『ホワイトクロウ』のフラッシュバックの手法の目的はそれ以外にある。



というのも、差し込まれるフラッシュバックの映像は単なる追想や自伝的な説明ではなく、ヌレエフの心の動きを映し出している。

○亡命を決断するシーン
そのことが顕著にわかるのがル・ブルジェ空港の空港警察の一室でKGBから「国を裏切ればお母さんが虐げられるぞ」と脅されたときに浮かぶ母の姿のフラッシュバック映像だ。

ヌレエフが亡命か引き返すかを決断するときに、思い浮かべるのは苦労して子供を育てる母の後ろ姿。

普通なら自らを犠牲にして自分を育てた母親を見捨てることはできないと思うところなのだが、ここに追加される映像はレッスンを見守っている母親が教師から「自分のことを独力でできなければレッスンは始まりません」退室を促され立ち去る後ろ姿だ。

子どもたちを苦労して育てる母の思いはヌレエフが踊りで身を立てていくこと。KGBの脅しに屈し帰国し幽閉される姿を見せるよりも、高みを目指し羽ばたくことこそがが母の苦労に報いることだとヌレエフは悟り決断する。

このようにフラッシュバック映像はヌレエフの背負う過去と彼の未来を結びつけ彼が亡命を決断した心理を表すのに用いられているのだ。


■亡命シーン


『愛と哀しみのボレロ』(1981)にも『ホワイトクロウ』と同様のル・ブルジェ空港での亡命シーンが描かれている。

○「愛と哀しみのボレロ」(1981)

ジョルジュ・ドン演じる舞踊家セルゲイ・イトビッチのモデルがルドルフ・ヌレエフなのはよく知られている。



事実に基づいた内容なので近似しているのは当然なのだが、『ホワイトクロウ』では『愛と哀しみのボレロ』では描かれていないものがある。

それはクララ・サンがル・ブルジェ空港でどのようにして亡命を手助けしたのか、具体的な流れである。

『愛と哀しみのボレロ』ではクララ・サンが空港ロビーから一旦離れ、警察官と思しき男と戻ってくるところが描かれているだけで、階上でなにが話し合われたか描かれていない。

大昔に観た時「お金持ちだから権力者とのつながりを使ったの?」「あの男の人たちはどこの誰でどういう流れで連れてきたの?」と

劇的なシーンなのにどのような方法で亡命を手助けしたのか知りたいことだらけのまま映画を見終えたのを覚えている。

今回『ホワイトクロウ』では空港警察に駆け込んだクララ・サンと警察官とのやり取りが克明に描かれ、何十年もたまったもやもやが晴れてスッキリした。

このエピソードはクララ・サンがオーストラリアの新聞『THE AUSTRALIAN』に語った2015年のインタビューに基づいて描かれている。



インタビューが2015年。『ホワイトクロウ』の撮影は2017年※なので、『愛と哀しみのボレロ』では描けなかったこのエピソードを盛り込むことができたことになる。ブラボー!


※撮影時期について:『ホワイトクロウ』撮影秘話より





なお、クララ・サンがBBCの『DANCE TO FREEDOM』の音声インタビューでほのめかしたCIAと関与については描かれていない。
同『DANCE TO FREEDOM』でクララ・サンは「ルドルフのことを語るのはこれで最後です。」と述べているので、今後これ以上のことは望めないのだろう。


レニングラードバレエ学校への編入

(レニングラードバレエ学校は現在のサンクトペテルブルクのワガノワ・バレエ・アカデミー。ワガノワ・メソッドがよく知られている)

生活苦のため17才でレニングラードバレエ学校に編入学したヌレエフだが、どれぐらいの遅れだったのか?

レニングラードバレエ学校は基本的には10歳で入学し、9年間の総合舞踊教育を受けるシステムになっている。つまり、ヌレエフは同年齢の生徒より7年の遅れをとっていたということになる。


○ワガノワ・バレエ・アカデミー 学年と年齢

1年生 10才 通常の入学
2年生 11才
3年生 12才
4年生 13才
5年生 14才
6年生 15才 最初に入れられたクラス
7年生 16才
8年生 17才 プーシキンのクラス
9年生 18才


そして正統なバレエ教育を受けていないヌレエフが入れられたクラスは同年齢より2学年下の6年生。ヌレエフ公式サイトより

ヌレエフはこのクラスにいては追いつけないと学校側に不満を訴えるも、学校側は「君の技術は必要なレベルに達していないのに何を高望みしているのか」と諭される。

しかし、ヌレエフは「年を喰っている自分は早く上手くなる必要がある」と自分が教わりたいプーシキンのクラスに自分をねじこむことに成功する。(下手くそやのに上のクラスを望む根性!


自らの望むプーシキンのクラスを受講し、自主練に励むヌレエフはぐんぐんと頭角を現し、プーシキンも彼の努力と才能を認めるようになる。


The White Crow." (Larry Horricks / Sony Pictures Classics)



ヌレエフがレニングラードバレエ学校で学んでいたのは1955~1958年(実質3年)で、キーロフバレエ団(現マリインスキーバレエ)に入団したのは20才。

卒業年があわないじゃないかと思うが、ヌレエフは9年生を2回している。留年ではなく、プーシキンが9年生のヌレエフにもう一年残るように説得したからだ。(Wikipediaより)プーシキンがヌレエフを完璧に育て上げようとしたことがわかるエピソードといえよう。

そして国のトップレベルの生徒がこなす9年のカリキュラムを3年でマスターするヌレエフが並外れた努力と才能の持ち主でのは間違いない。


RF Wikipedia(ロシア語版)Aプーシキン/Пушкин,_Александр_Иванович
https://ru.wikipedia.org/wiki/Пушкин,_Александр_Иванович



○ヌレエフがクラスにこだわった理由

映画のセリフに入っていたかどうか覚えていないが、ヌレエフが「このクラスにいては間に合わない」といっていたのは、ソ連の徴兵の年齢までにバレエ団に入る必要があったということらしい。(上述ヌレエフ公式ページより)

米ソ冷戦時代、オリンピックの表彰台を共産圏の選手たちが占める度に話題になるのがソビエトの英才教育システムだった。

国の威信をかけ集められた連邦下のスポーツや芸術で才能のある子供を集めて英才教育施した。共産圏の選手が表彰台に立ち並ぶ光景はオリンピックの定番だった。

そのイメージがあったので、天才と謳われたヌレエフも国の庇護のもと英才教育を受けたエリートの一人なんだろうと思っていた。

しかし映画の中でヌレエフらに与えられた学校の宿舎は収容所の雑魚寝するようなベッドのみ。

この映画でソ連の英才教育システムはすべての人が平等にそのチャンスを得られたわけでなかったことや

教育は与えられても快適な環境が与えられたわけではなく、厳しい環境を生き抜いてきたことをこの作品で初めて知った。「ヌレエフ=恵まれたエリート層出身」というイメージが覆った。







全然本題にはいってないけど、疲れたからひとまず終了

#2に続く予定(いつになるかは不明)







Спасибо.