子供の頃には
全く気に留めてへんかった母のこと

大人になって、いつからやろか?
「母を幼くして失くした」
それは事実なんやけど

なんかそれが私の中で
ある種のステータスになってた

20歳前に母の真珠と
ダイヤのネックレスを
父から譲り受けて

自分はとっても稀で
特別な存在かのように。

父から母へ贈られたアクセサリー。

こいつらが、しがらみの種やったもんかもしれへんと
母のお父さんである
佐山のおじいちゃんが亡くなってから気づいた。

母が死んだことは
特別なことではなくて

一種の運命とか
通過儀礼のようなもので
わたし以外のみんなが

もう終わったこと、
過ぎたこととして
捉えていたことに驚いた


わたしは今年、母が亡くなった年齢になる。

その前に、形見の品を処分しようと
今朝片付けた。


形見、というからややこしいだけであって
もう25年も前に亡くなった人の物


そろそろわたしにも
母の年齢をこす日がやってくる

その前に処分できてよかった。



さすがに、育ててくれた
おばあちゃんの形見は
思い入れがあって残してるけど

肩の荷が下りたような
母の呪縛から解放されたような
そんな感じがした。

片付けしたから
物もスッキリしたし、
心もスッキリした。

亡くなった人のことを忘れるのは
時間の経過がそうさせるから仕方ない
でも自然に忘れていくのと
凝り固まったまま死にこだわるのとでは全然違うし
存在していたことを
すっかり忘れてしまうのとも
また違う。


思い出はいくつあっても良いけれど
物が増えて捨てられへんのは困る。

思い出として、あれば良い。
物に執着しんでいい。
そう思えたのが大きいな。

断捨離ブームは続く。

大事なのは
たくさんあることじゃなくて
少数精鋭なのだと。