11/13 娯楽を楽しむために必要な「教養」とアニメの弱点 | アニメ改革エンジン

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 娯楽を本当に楽しむためには最低限の知識・経験が必要である。
 サッカー観戦を楽しむためにはルールを知らなければならないし、歌舞伎を楽しむためには役割や演出の意味を知らなければならない。

 娯楽を楽しむための知識、それは「教養」と呼ばれている。

 教養が無ければその娯楽を見てはいけないわけではない。
 しかし、教養の無い人に自分が好きなものを「こんなものは意味が分からない、つまらない」と批判されれば、それは違うと反論したくもなるだろう。

「なんで手を使わないの?90分も試合して3点しか入らないなんてつまらない。サッカー観戦は時間の無駄」
「あんな変な化粧や黒づくめの人なんて居るわけない。リアリティが無い。何言ってるかもわからないし全然楽しくない」
 ここまで極端ではないにしても、浅い知識と未熟な感性で娯楽の価値を断定してしまう人は多い。

 クラシック音楽や古典美術を楽しめなかった場合、楽しめない原因は自分の教養不足にあると考える。そこから、さらに教養を深めようとする人と、敬遠する人に分かれる。どちらに進むかは人それぞれだが、どちらの人も「自分が魅力を理解できる段階まで勉強しなければならない」ということは納得しているのだ。

 それに対して、アニメーションは教養が浅い状態のままでも最低限楽しむことができてしまう。そのため、「アニメの魅力はこんなものか」と理解が止まってしまうのである。本当はもっと深く楽しめる領域があることに気付かずに。
 偶然知識の先にある世界に気付いた人は深いファンとなるが、気付かなかった人は「アニメは底が浅いもの」と誤解したまま「卒業」してしまう。
 これはあまりに勿体ないことである。

 アニメ業界を活性化させる方法の一つは「最初の教養の階段を超えられるくらいは先人が導く体制を整えること」であると考えている。

 アニメーションを楽しむための知識は広範囲に及んでおり、作品によっても必要な知識は違ってくる。
 また、教養が一定値を超えると次の楽しみ方が見えてくる。すると足りない教養が何かわかるのでそれを勉強したくなる。
 すべての娯楽に言えることだが、アニメの教養も突き詰めればキリが無い。そして、それが面白いのだ。

 アニメーション鑑賞も他の娯楽と同じく人生を通して楽しむことが出来るものだということを知ってほしいと思っている。