©️ Animusist Ayumu 2021
物語 全ての再生は↓スタンドFMにて
[ クジラと少年① ]
これは一人の少年と 一匹のクジラの物語
少年は海に近い町に住んでいます
少年は小さな頃から海が大好きでしたが
なぜだか怖くて
水に浮くこともことも
泳ぐこともできませんでした
いつしか少年は大人になっていました
いつの頃からか少年は海に行けない日にも 海の中にいる自分を想像するようになりました
そしてそのうちに
想像の中の海で 一匹の大きな大きなクジラと出会うようになりました...
©️ Animusist Ayumu 2021
物語 全ての再生は↓スタンドFMにて
[ クジラと少年① ]
これは一人の少年と 一匹のクジラの物語
少年は海に近い町に住んでいます
少年は小さな頃から海が大好きでしたが
なぜだか怖くて
水に浮くこともことも
泳ぐこともできませんでした
いつしか少年は大人になっていました
いつの頃からか少年は海に行けない日にも 海の中にいる自分を想像するようになりました
そしてそのうちに
想像の中の海で 一匹の大きな大きなクジラと出会うようになりました...
こんにちは。または、こんばんは。アユムです。
今日は、僕があることを決めてから、起きていることを少しお話しようと思います。
今年(2021年)の2月末、僕は、
をしました。それは、「自分が持っている能力を活かす」ことです。
なんだか、ボンヤリしていますよね(^_^;)
具体的に言うと、「目に見えないものを感じる力」いわゆる霊感と言うやつでしょうか。
これを、車が運転できるとか、プログラミングができる、会計処理ができるとか、大工仕事ができるというような「仕事上のスキル」のひとつとして、活用してみることに決めたのです。
何故、その決意をしたか。という話の前に、僕の霊感とそれにまつわるお話から先にします。
先の記事にも書きましたが、幼い頃から目に見えない世界との繋がりは感じていました。
しかし、その能力の「強さ」という視点で見ると、僕自身はいわゆる幽霊を沢山見るとか、無くなった物の場所が分かるとかそういうことはほとんど有りませんでした。
ですが、17歳以降、友人たちとの会話の中で、突然、イメージ(映像)が浮かび、そのイメージについて話すと「ちょうどそういうようなことがあった」とか、「それが切っ掛けになって問題が解決した」とか、そういうようなことが少しずつ増えていきました。
それと同時に、困ったことも増えていきます。例えば、朝机の上に置いて出掛けたものが帰ってきた時には無くなっている。その後、ふと目を離した隙に同じ場所に同じように置いてあるとか、無くなるはずのないものが無くなって、ありえない場所から出てくる(コレは、パワーストーンのブレスレットが無くなり、2階の道路に面したサッシ枠(窓枠)とサッシ(窓)に挟まっているのを父が発見‼️)
のように、不可解な現象が起こり始めたのです。
その他にも、人が多い場所、死亡事故や事件のあった場所、古戦場跡などに行くと具合が悪くなり、その後、寝込んでしまうことも多々ありました。
大体の場合、その土地で過去に起きた出来事については知らない場合がほとんどで、後から偶然知ったり、頭に浮かんだイメージの正体を知るために調べると古戦場だったというような具合です。
このような体験とリンクするかのように、「オーラの泉」を通して、霊的(スピリチュアル)な世界に対する理解も深まっていきました。
オーラの泉を見ている時には、ゲストの魂の経験などが分かることもあり、「こういうような経験があるだろうな」と思っていると、江原さんがその経験について語りだすというようなこともありました。
このような経験をしながら、自分自身と家族の問題を解決するために、自分自身に起きていることや、身近な人達に起きる出来事、社会の出来事などをスピリチュアリズムに照らし合わせ分析することが癖になっていたのです。
時にスピリチュアリズム(霊的真理)を離れ、目に見えない世界の存在を全く意識せずに過ごし、目に見える現象だけで、目に映る物・事・人を分析したりする実験を繰り返し、その度に、物理や霊的な感性、視点を抜きにしては語れない現象に出会い、【見えない壁】にぶち当たり、スピリチュアリズム(霊的真理)に引き戻されるような経験を経て、僕はスピリチュアリズムが、ただのオカルトや宗教的思想では無いことの実感を深めていきます。
23歳で全てが嫌になり、責任転嫁と自己憐憫の中で、一度は投げ出した自分の人生さえも、「また、一から頑張ろう」と思い直すことができたのもスピリチュアリズムとの出会いがあったからに他なりません。
2年前、ある友人が、講師を招きヒーリングのセミナーを開催します。
そして、その講師の方との個人セッションの中で伝えられた「ハシゴをかけることをする」というような言葉と、友人から掛けられた「何故、霊感をスキルのひとつとして考えないのか?」という言葉。
そして、「天然物」という2人の見解が、頭の片隅にずっと残っていました。
その後、人生で初めての正社員入社と離職、結婚と離婚を僅か半年で経験し、「自分に出来ることは何か」ということを改めて考えた時、先の2人の言葉が胸に木霊し、「霊的真理を伝えること」、「霊的な感性を活かすこと」を生業にすると決めました。今年の2月の後半のことです。
決めたと同時に、友人から、既にスピリチュアルヒーラーとして活躍されている方(有難いことに、今では親しくお付き合い頂いています。)とのご縁を頂き、SNSを通じて公開カウンセリングや、必要なメッセージを伝えるなど、これまではごく限られた友人にしかしてこなかった事を開かれた形で行うようになりました。
補足すると、「霊的な感性」を仕事上のスキルとして捉えないことが「自分自身を半分認めていないこと」と感じたことも、決意した理由の一つです。
とはいえ、「霊的な感性を活かし、スピリチュアリズムを伝えることを生業にする」と決めたのは良いものの、具体的な方法はあまり思いつかず、その為に割ける時間もほとんどありませんでした。
仕事の合間をみながら、目に見えない世界の相談などを受けていた時、相談を受けたことが切っ掛けとなり、一人の女性と出逢います。
その方とは、友人を介してSNSで相談に乗り、セッションをしたのですが、知り合ってから数日のうちに意気投合し、惹かれ合うようになっていました。
そして、お付き合いすることになるのですが、、、
その方からの申し出と、お互いのインスピレーションで、
奄美大島に引っ越すことに!!

仙台以外の土地に住むのも初めてなら、四国より南に来るのも初めて。
しかも!!なんということでしょう、恋愛では邪魔になることが多々あった価値観(霊的真理や地球、社会問題など)や霊感などについても、めちゃくちゃ理解を示してくれるのです。
さらにさらに、僕の苦手と彼女の得意、僕の得意と彼女の苦手の凸凹がピッタ!とハマる感覚もあります。
2人とも常に自分に誠実に向き合って生きてきたので、ケンカをする時は激しいのですが、何故か直ぐに仲直りしてしまうのです。(ケンカをする時は、お互いに「もう終わりだ」と思うこともしばしば^_^;)
もちろん、一緒に暮らすために不安な点などについて、できるだけ話し合いなどはしましたが。。。
なんだか愚痴っぽくなってしまいましたが、彼女との生活はとても充実しています。本当に感謝です。
まだまだ、上手くいかないことも多いですが、奄美への移住は、「僕の決意」が始まりだと感じています。
最後に、公私ともに支えてくれる彼女に感謝を込めて。
いつも、ありがとう。迷惑ばかりかけてごめんね。とても愛しています。
後半、惚気になってしまいましたが、自分が信じた道を歩む時、必ず道は拓かれる。そう、強く感じます。
最後までお付き合い頂きありがとうございました✨
感謝を込めて
こんにちは。または、こんばんはアユムです。
8月は6日のヒロシマ、9日のナガサキ、16日の終戦記念日と、日本と世界にとってとても大きな出来事があった日が続きますね。
敬愛するマザー・テレサはある講演会の中で「私を反戦集会には、呼ばないでください。
平和のための祈りの集いには喜んで参加します。」というようなことを話したそうです。
1日遅くなってしまいましたが、これからの世界の調和・平和のために、僕ら一人一人が日々を調和の中で過ごせるように祈りを込めて、聖フランチェスコの平和の祈りを綴りたいと思います。
(※聖フランチェスコの平和の祈りまたは、平和を求める祈りは、キリスト教会の聖人アッシジのフランチェスコによって作られた祈りの言葉と言われていましたが、研究、調査により、アッシジの聖フランチェスコの作では無いことが分かっています。)
神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。
世界が平和でありますように🍀
こんにちは。もしくはこんばんは。アユムです。
前回の記事までは、僕の17歳頃までの経験を綴ってきましたが、
今回は少し趣きを変えて”今”の僕の感じ方や考え方を綴っていこうと思います。
本題に入る前に、少しだけ補足をさせて下さい。
前回、父が【思い・言葉・行動の一致した姿】を見せてくれた。
というような内容を書いたと思いますが、何故、それが僕にとって大きな影響を与えたのかというお話をしたいと思います。
僕は、父と2人で旅に出る前は父のことがめちゃくちゃ嫌いでした。主に小学校5年生以降です。
それ以前にも、自分なりに考えて分からないことを質問した時など、「自分で考えろ」「見てたら分かる」など突き放されたように感じることが多く、気づけば「質問をしない(できない)」という癖がついてしまっていたのです。
このような時は、子供ながらに「そんな言い方しなくても良いのに」とか、「考えた上で訊いているんだよ!」と反論したりもしたのですが、理解してもらうことは難しいと感じたものでした。
父への不信感が爆発したのは、我が家に一本の電話が切っ掛けでした。
その頃は、家計もかなり苦しかったのだろうとは思うのですが、父は居留守を使うことが多く、父宛ての電話や来客に対応しないことが続いていたのです。
ある日の晩のこと。父親宛てに電話が掛かってきました。
母親が電話口に立っていたのですが、父親を呼びに行くと、父は相変わらずの居留守です。電話を代わらずに母親がそのまま電話の相手の応対をしていたのですが、その母親が突然、涙を流し始めたのです。
困惑と不安、悲しみ、苦しみ、怒りに似た感情も交じっていたのかも知れません。
泣き始めた母をみながら、どうすることも出来ない自分の無力さとやるせない気持ちを感じると同時に、父親に対する嫌悪感が爆発し、日頃偉そうなことを言っていてもこの人(父親)は「家族の窮地に当てにならない人間」なのだ、という感覚が根付いてしまいました。
そのような過去の出来事があり、二人旅に出る時まで、僕は父親に対して強い不信感を持っていたのでした。
さて、ここからが本題です。
なぜ、僕は強く持っていた父親への不信感をぬぐい去ることができたのでしょうか?
僕自身の答えとしては、何度も述べているように、【思い・言葉・行動の一致した姿】を見せてくれたからです。
と言っても、突然に父親のことを受け容れられた訳ではありません。
僅か2ヶ月とはいえ、他の家族と離れ、父と2人だけで過ごすことで、少しずつ父のことを受け入れられるようになりました。
その旅の中で出会った多くの方々の影響も抜きでは語れません。
旅の中で出会う人達がみな、口を揃えて、「素晴らしい経験をしているね。」だったり、父のヴィジョンとそれに対するアクションを「素晴らしい」と手放しで称賛してくれたことも大いに関係しています。
ある意味では、【ただ、そこに存在していること】を他者に認めて貰うことで、僕自身が癒され、僕自身を受け容れられるようになっただけなのかもしれません。
後に学ぶことになるスピリチュアリズム(霊的真理)によると、
「良い原因には良い結果が、悪い原因には悪い結果がもたらされる」(因果の法則)ということ
そして、スピリチュアリズムを知る知らないに関わらず、
そして、意識するしないに関わらずよく使われる「類は友を呼ぶ」という言葉で表される波長の法則というふたつの法則により、
僕と父の存在と行動を、手放しで受け入れ、喜んでくれる方々とご縁を頂けたのだと思います。
因果の法則については、仏教でも触れられており、
仏教では「善因善果 悪因悪果」という言葉と、「因果応報」という言葉などをもって語られています。
キリスト教では、
「憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける」と
ナザレのイエスが言ったと伝えられています。
時代、国の違いはあっても、両者とも、この【因果の法則】について解き明かしていたのではないだろうか。
こんにちは。または、こんばんは。アユムです。
前回は旅の中断から3ヶ月経つ頃まで(更なる転機①)を書きました。
今回はその続きを書こうと思います。
旅の中断から3ヶ月が過ぎようとする中、僕はこのままで良いのかとても不安になります。
自分は勝手気ままに生活していますが、他の兄弟は学校や家事、下の子供たちの面倒などをみながら、忙しく生活しています。
僅かとはいえ、高校入学時に決めたお小遣いは休学中も貰えています。
母から聞かされ続けた言葉です。時間があるのに、何もしないでいることに罪悪感と退屈を覚え、バイトをする決心をします。
とはいえ、優先順位は父との二人旅。
求人誌を片手に、思い立ったが吉日を地で行く父に対応するため、何時でも辞められて、シフトが自由になる仕事を探す日々。
あった!選んだのは登録制の日雇い派遣の会社。
迷子癖があるので、事前に2度ほど所在地を確かめるため現地に行き、迷子になりなながら、場所を覚え、登録説明会に備えました。
余談ですが、迷子になった時は財布も携帯電話も家に置いてきていて、見ず知らずの人に声を掛けることもできず、3時間ほど帰れなくなりました。
さて、派遣会社への登録も済んだその夜、父からドライブに誘われ、そこでこのような言葉を掛けられました。
「せっかく、派遣の仕事をするなら、立場も生い立ちも考え方も違う色々な人達がいるからその人達を見ておいで。」
仕事の仕方や、人間関係についても注意深く観察してこいと言ったのです。
そして、
派遣の仕事を通して、また、仕事で出会った人と話し、自分がどのようになりたいか、何をしたらどうなるか、人についてを深く学んできなさいという意味でした。
更にもう1つ。
「仕事が100あるうちの1つでもいいから、1日に1つでいいから何かを貰って(学んで)来ねみな? 」と。
1日に1つだけでも学んでいけば、積み重なった時、自分だけのオリジナルになる。焦らなくていいから、1つずつ確実に学んでいけば良いと教えてくれたのでした。
引越し、イベント会場設営撤去、食品工場、ポスティング、自動車部品のピッキングなど派遣先はその日によって変わり、どの仕事も体力や集中力を使う仕事。
物覚えの悪い僕にとっては毎日が戦いのようでしたが、有難いことに、同じ派遣会社の人達が温かく大らかな人達が多かったので、少しずつ仕事を覚えながら、色々な立場や境遇の人と出会い話すことができた。
しかし、「言葉にならないモヤモヤ」は徐々に、確実に大きくなっていた。
派遣での仕事が始まるか始まらないかという頃、夜寝れずに普段あまり進んでつけることのないテレビを点けた。
画面の中では、花々に囲まれた煌々とした照明と椅子に腰掛け談笑する4人の姿が映っていました。
どうやら、心霊関係の番組らしい。けれどもなんか胡散臭い。
僕はチャンネルを回し、他の番組を観ることに決めた。が、興味を持てる番組がやっていない。
仕方なしに先程の胡散臭い番組を観てみることにした。
TOKIOの国分太一さんが「美輪さん」と、隣に座る黄色い長髪の男性とも女性ともつかない相手に呼び掛ける。
初めて「美輪明宏」を目にした瞬間。名前だけは『うしろの百太郎』で知っていた。
少しだけ興味が湧く。この「美輪明宏」という人が、類稀なる霊能力者だと描いてあったから。
その人が、一歩譲り、左隣に座る着物を着た太っちょの男性に”視えたこと”を伝えるように促している。ということは、かなりの実力者ということになる。
だが、それだけでは疑う気持ちは晴れない。
彼の語る霊的な世界や、美輪明宏が語る真理は、その時の僕には、まだ納得のいくものではなかった。
けれども、出演しているゲストは、「江原啓之」という霊能力者の語る世界や、彼が視たものにとても驚き、それでいて深く納得しているように見えた。
番組が進行する中で、あるトークの中で「言葉にならないモヤモヤ」が突如として、ハッキリとした『問い』の形になった。
『問い』の形になれば、思考も働き出し、自ずと『答え』も出る。
番組の終盤、美輪明宏の言葉が画面いっぱいに映し出される。 番組中で何度も繰り返される言葉。
この先、幾度となく聴き、目にすることになる言葉。
そして、この日の放送中に何度も聞き、理解できず、納得できずにいた言葉が、一陣の風に吹かれた時のような鮮烈さと彩やかさを持って身体中に木霊する。
まるで空を覆う、ぶ厚い雲が晴れたような、眩しさと気持ちのいい温かさを伴った電流が身体に奔るようだった。
高校休学後、父と旅に出ている間に、それまでスクリーン越しに見ているような感覚だった世界の色や形がくっきりとし、匂いや感触がハッキリと感じ取れるようになった瞬間があったのですが、その時と同じような、より、世界の輪郭が具体性を帯びた瞬間だった。
そうこうするうちに、休学の期限を終え、同級生が高校3年生に進級する年、僕は、1学年下の2年生へと復学します。
そして、復学直後の5月。
目覚めたてホヤホヤ、起床後30秒で母親から叩きつけられた一言。
実に素敵な目覚まし。どんな眠気も一発で吹き飛ぶ威力。
トイレに行くために3段ほど降りかけた階段でフリーズする僕。
ほぼ直感と閃きと言ってもいいほどの速さで、脳みそは高速回転を始める。
僕から上の兄弟のことは心配いらない。(一人は卒業してるし)
別れたら、下の兄妹はどうなるんだろうか?両親は、ケンカをする時は激しいけれど、良いところも沢山あって、この両親あってこその我が家だ。
下の子たちには、この両親が両親であるということが必要に思えた。
「離婚 」ということだけで、僕らには十分過ぎるほどのショックだ。
まして、まだ小学校高学年の妹と低学年の弟にとって、どれだけの心の傷になるだろうか。
旅の間中、散々、少しお金が入ったらみんなでこうしよう、ああしようと楽しそうに話していた父の姿が目に浮かぶ。
最愛の人と別れるということが、彼にとってどれだけの痛手なのか考えるまでもなく分かる。
息子を亡くし、最愛の人に別れを告げられた時、本来は繊細で柔らかな感性を持つ彼は生きていけるのだろうか?
刹那、家族と連絡が取れなくなり、彼が真っ暗な道を進み闇にのまれる映像が脳裏に浮かんだ。
物理的な距離、住まいが変わったとしても、心の距離まで離れ、繋がりを切ってはいけない。
僕の選択が、家族にとって大きな意味を持つ。と、強く感じた。
僕は学校を辞めることになるだろう。生活もままならないかもしれない。けれど、僕のことは、僕の意志でどうにでもできる。
確信があった。
だけれども、妹や弟たちの未来は?適切な時に導かれることの大切さや、求めた時に与えられない辛さは嫌という程知っている。
この子たちにまで、不必要な我慢や、選択肢を狭めざるを得ない経験はさせたくない。
僕は、生まれて初めて、母親に対して
「はい。」
と、返事をした。
言葉を叩きつけられてから、長くても1分程の間の思考だったと思う。
17歳の初夏の朝の出来事でした。
人は極限状態に陥った時、時間が引き伸ばされるような、或いは、凝縮され短く感じるような体験をすると言います。
思い返すと、あの時は、僕にとって、ある種の極限状態だったのかも知れません。
この選択をできた背景には、オーラの泉を通してスピリチュアリズム(霊的真理)を学んでいたこと、マザーテレサの「平和は足下から」という言葉や「あなたの中の最良のものを」など、偉大な先人達の気づきと戦い、経験を読書を通して追体験し学ぶ機会があったからだと思います。
そして、何より、父の「思い・言葉・行動」の一致した、偽りのない姿を見せて貰えたこと。
これらの経験失くして、この決断はできなかったと思います。
僕は、23歳の時まで、「自分の責任と決断の上で人生の舵を取っている」と感じ、考え時に自分自身に強く言い聴かせてきましたが、23歳の頃、それらの考え方や築いてきた習慣を投げ捨て、自分自身のその時の境遇を【親】や【環境】の所為(せい)にして責任転嫁をしようとしました。
その結果(と、僕は感じていますが)、それまで、ギリギリでも、持ち堪えていた生活が賄うことが出来なくなり、習慣付けていたことやそれまでできたことができなくなり、泥沼から抜け出せないような感覚をつい最近まで持っていました。
とはいえ、23歳以降に自分がしたことを【清算】できた訳ではありません。今、現在も清算するために努力をしています。
むしろ、やっと、清算するための地に足が着いた努力を始めれたように思います。
話は変わりますが、【貧困の連鎖】という言葉を耳にしたことはありますか?
貧困の連鎖は、親の経済状況だけではなく、親自身が貧困の中で育った経験や、依存症などの精神疾患などにより、【子供が子供として安心して育つことのできない状況】も背景にあると言われています。
また、それらが一因となり、コミュニティ(人との繋がり)からの排除や、情報からの排除(通信機器を持てない、酷い場合には学校などに行けない)など、それぞれの要因が絡まり合い、貧困という状態から抜け出しにくくなってしまいます。
幸いなことに、僕自身は貧乏は経験していますが、経済的な理由などでコミュニティなどから排除されることはありませんでした。
もし、少しだけでも余裕があるならば、ギリギリで持ち堪えている人や、辛そうな境遇、環境の中にいる方を想い、みんなが少しでも、笑顔で過ごせるよう、そういった方々に美しい景色やその人の笑顔を想像し、”祈り”の美しいエナジー(念)を送って頂けたら幸いです。
この記事を読んで不快な思いや辛い経験を思い起こさせてしまった方などいらっしゃいましたらお詫び致します。
最後まで読んでいただきたいありがとうございました。