知子ちゃん 引退会見✨ | ふ~のケセラセラ

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フィギュアスケート女子で18年平昌五輪4位の宮原知子(木下グループ)が1日、オンラインで引退会見を行った。

フィギュアスケート女子で18年平昌五輪4位の宮原知子(木下グループ)が1日、オンラインで引退会見を行った。



 【宮原知子、語る(1)】

 ――最初に

 「みなさま、こんにちは。先日発表いたしました通り、現役引退を決意いたしました。これまで、たくさんサポートしてくださったコーチの方々、日本スケート連盟の方々、木下グループをはじめとする、スポンサーの方々、そして家族、友達、全ての関係する方々、ファンのみなさまのたくさんの応援に感謝しています。4歳からスケートを始めて、ただただ無心に滑ってきたんですけれども、気づけば競技者として本格的にスケートをしていて、ノービスからジュニアに上がって。最初はただただ楽しくスケートをしていたんですけれども、だんだんと結果もついてくるようになってきて、自分を追い込むようになって。苦しい練習も楽しい練習も重ねて、毎日を過ごしていました。楽しく滑る時期もありましたし、だんだんと修行のように自分を追い詰めてしまう時期もあったかもしれないんですけれども、自分のスケートを試合でしっかり見せるっていうこととか、良い結果を出すっていうことが最大の目標で、自分にとって絶大な達成感をもたらしたくれるものだったので。それを目指して毎日、頑張ることができていました」

 「シニアに上がってからは少し環境を変えたいなと思って、カナダに最後の2年間は、行くことができたんですけれども、そこでまた全く新しい世界を見ることができて。調子も良かったですし、すごく充実した練習ができていて。その一方で、なかなか結果が出せないシーズンがあったりとかもして。もう最後のシーズンは、これで駄目だったら、もうやめようっていう気持ちで、本当にずっと自分と向き合って、毎日毎日、自分のできることをもうこれ以上できないって思うぐらい練習をしてシーズンを過ごしたので、本当に最後まで充実したスケート競技人生を送れたと思っています。選手の間はずっともう自分のことばっかり考えて、周りは全く見えていなかったなっていうのが今すごく身に染みて感じていることなんですけど、本当にこんな私をたくさん支えてくださってたくさん応援してもらえたことに本当に本当に感謝しています。これから、まだまだ自分の目標っていうのはたくさん見つけていけると思うので、新しい世界を切り開いていけるように頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました」

 ――最後のシーズンと決めたきっかけは。すっきりこの決断を下せたのか

 「最後のシーズンにしようって明確に決めていたわけではないんですけど、世界選手権で結果がすごく悪かったときに、このまま続けて、どんどん自分がスケートが落ちていくだけなら、やめた方がいいなっていうことも頭をよぎって。もう最後っていうのを覚悟で、それぐらいの意識でシーズンを通さないと、本当にオリンピックにも行けないし、それ以前の問題になるっていうのはずっと考えていたことだったので。最初はシーズンの序盤はそのような気持ちで始まって、だんだんとシーズンを過ごしていくうちに、ジャンプが安定してきて少し自分にも自信を持てるようになっていったので。日々の練習の中で、もうやり尽くしたなって毎日1日1日をそういう風に感じて終えられるように練習を繰り返していく中で、何かもう満足して練習してるし、後は試合でやるだけという状態になっている自分もいたので。最初はもう、やめるぐらいの覚悟でいかないとっていう気持ちが、だんだん満足して練習できて、調子も上がってきて、もういいんじゃないかっていう気持ちに変わっていったっていう感じです」



 【宮原知子、語る(2)】

 ――一番、思い出深い試合は

 「これは自分でもずっと振り返っていて、なかなか一つっていうのを選ぶのが難しかったんですけど。まずは一番最初の国際試合、オランダのハーグでの大会だったんですけど、それがものすごく楽しくて。そこから本格的にオリンピックって夢を目指すようになって、もっと海外の試合に出たいって思うようになったので。そこから始まって、どの試合もすごく楽しかったんですけど、グランプリファイナルで『ため息』を滑った時のフリーは、本当に心から自信を持って滑れたなって思うし。その次だと、やっぱり平昌オリンピックの思い出はすごく大きいです」

 ――後輩に託す思いは

 「私自身はジャンプもできて、表現もできて、オールラウンダーのスケーターになりたいっていうのがすごく大きな目標だったんですけれども、もしかするとすごく理想が高すぎたっていうか、そういうところもあったかもしれないので。やっぱり、自分を追い込み過ぎるときもあったのかなって今思うんですけど。もちろん、つらい練習も重要ですし、ただ楽しいだけでは駄目なんですけど、やっぱり自分がスケートをしている楽しさとか、自分がなぜスケートを続けているかとか、そういう自分の気持ちを大切にしてほしいと思います」



 ――最後のシーズンの最初の試合でトリプルアクセルに挑んだ。挑戦で自分の限界を押し上げられたか

 「今、考えるとやっぱり無謀なチャレンジだったなっていうのはちょっとあるんですけど。でも本当に練習では惜しいところまでいってたので、どれだけできるかわからないけど、チャレンジするのも一つの経験として、すごく楽しいんじゃないかなと思って。自分の気持ちのどこかで、一度はあの自分ができないような技をプログラムに入れてみたい夢っていうか、野望みたいなのがあったので、それが1回でもチャレンジできたことは、自分の中では意味があったのかなと思ってます。殻を破る一つのステップとして、かなり大きなステップではあったんですけど、足を踏み込むところまではいけたのかなと思うので。トリプルアクセルの練習を始めて、他のジャンプの安定感というか、自信とかも増えたと思っているので。決してマイナスなものではなかったと思っています」


 ――スケート人生でカナダという国の存在、カナダのスケート文化から何を学んだか

 「まず、私にとってカナダという場所は、スケート競技の人生の中で、第2のステップを踏んだ場所かなと思っています。すごく短い期間だったんですけど、2年間の中で、今までの自分のスタイルとは全く違う、自分で練習計画だったりとか、プログラムしていくプロセスを経験する場所だったので。今までは、ただ言われたことをひたすら自分で練習するっていうことが、自分のやってきた練習だったんですけど、カナダに行って、自分の人間の幅を広げるチャンスをいただけたのかなと思ってます。カナダのスケート文化についてなんですけど、素晴らしいスケーターがたくさんおられて、毎日の練習の中でいろんな選手たちと出会うことができて、いろんな日本にはない、すごく言葉で言うのは難しいんですけど、表現の大きさとかスケーティングの伸びだったりとか、日本とは違ったスタイルのスケートを他の選手たちから、そういう刺激を受けながら滑ることができたので、自分のスケートにもすごく良い影響を与えてくださって。自分のスケーティングに新しい風を吹き込んでくれたと思っています」



【宮原知子、語る 引退会見(3】北京五輪届かなくても「悔しさよりも、やりきった」


2022年04月01日 14:51




 【宮原知子、語る(3)】

 ――今後のスケートとの関わりは

 「まだはっきりと自分の中で計画が立っているわけではないんですけど、まずはたくさんのアイスショーに出たいという夢があるので、プロスケーターとして次のスケート人生を歩んでいけたらなと思っています」

 ――全日本選手権5位で決断したのか、そこから考えて決断したのか


 「正直なところ、もうグランプリ・シリーズあたりから最後になるかもしれないっていう気持ちはどこかにあって。全日本選手権終わった直後にはもう、やめようって吹っ切れていた感じです」

 ―北京五輪に届かなかった悔しさは

 「もちろん行きたかったなという気持ちはあるんですけど、それ以上に、やれることをやって、やっと試合で自分の足でスケートしてるっていう感覚を感じながら、滑ることができた感覚が本当に達成感に繋がったので。悔しさよりも、やりきったなっていう気持ちの方が今は強いです」


 ――かつて医者になりたいなど他のキャリアも見据えていたが、スケート以外での夢は

 「今も医学の道への夢は持ち続けているので、これからどのような形で携わっていくかは、まだこれから考えたいと思っているんですけど、勉強はしたいなと思ってます」

 ――ラグビーの福岡さんのようなイメージか

 「これからどうしようかなって。いろんな方法があると思うので、探り中です」

 ――最後に
  
 「改めまして、本当に本当にたくさんのサポートをしていただけて、ここまで来ることができたので、ひと言では言い切れないんですけれども、本当に感謝しています。これから、いろんな人生においていろんな選択肢があると思うんですけど、これまでたくさんの壁を乗り越えてこられたと思うので、これからもたくさんの壁を乗り越えて頑張っていきたいと思います。よろしくお願いいたします」