腹立つことあって、
夕飯食べずにふて寝して、目覚めたら日付け変わってて。

お腹すいてた。
冷たくなったコロッケ一つ、もそもそ食べた。

山積みになった食器、洗いながら、思い出してちょっと泣いて、、。


ぐるぐると考えすぎる癖、
嫌だ。


悔しいかったり、悲しいって、いやだから、
何で?って考えてしまう。



最近のテーマは、
『この身がすでに「法身」』

不可思議の自然(じねん)のシステムで、私らみんな存在してるのだから、「どうあるべき」とか、ひとりで考えても、わかるはずないってのに。


では『考えない』って?


「判断」を捨てて、関わってくる縁に素直に従う、とか?

ロボットみたいにならへん?



ふと、目に止まった本を開くと、鈴木大拙先生の言葉。


『考え始めると、おびただしい困難に囚われるのですが、考えなければすべてがうまく行きます。
しかし、考えないという場合、動物のごとくであってはなりません。
われわれはどこまでも人間でありながら、しかも「野の百合」や「空の鳥」のようでなければなりません。』


鈴木大拙先生って、こんなことを仰る方だったのね。いいなあ。


「野の百合」「空の鳥」かあ。
人間でありながら。

イメージしてみよう。






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