研修会の後、うにょうにょと考える状態が続いている。
講師の先生から受けた、インパクトが消化し切れて無い。

まとめながら、考えながら…。

今までは、真宗の教えなどの講義を聞いたら、
「なんとなーくそうかなー?」と思ってたことに確信を得たり、
「あ、そう言うことやったんやー。」と、何かを得たような気持ちになってた。
それで、「あー、為になったー、良かったー」と、満足して、ちょっと賢くなったような、または、ちょっと往生に近づけたような、勘違いをしてたなー、と。


今回の先生の話を聞いて、
「阿弥陀」とは、どんなものだ?往生は生きてる内か?輪廻転生はあるのか?なんてことは、どうでも良くなった。

今まで、観念ばかりで、自分のブログや、ぐるっぽなんかに書き込みしてたことが、薄っぺらく、恥ずかしくなってきた。


先生『本当に弱い、本当に辛い人がそのままで生きていけるところが、浄土とちゃうんか?』


仏陀の根本的な教え、『すべてのものは、平等に尊い』

親鸞聖人も、『いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり』と、社会の底辺で差別されているような人達と、共に生きて来た。


先生『親鸞のように生きることが、真宗門徒の心意気やろ?』

大谷派は、そんな『親鸞聖人のような生きかた』に背き、『差別』に加担してきた歴史がある。

近年、その現実を曝け出して、『差別』とはどういうものか、人が解放され、尊重され、共に生きていける在り方とは?を、探ってゆく、発信して行く、動きが盛んになってきている。

北海道は、アイヌ民族差別の歴史がある。
住職(夫)が、宗門(大谷派)の、社会問題研究会に参加していて、昨年、ウチの寺でアイヌの運動家の方を招いて、学習会が開かれた。
昨年は親鸞聖人750回御遠忌で、オープニングイベントとして、アイヌ民族、在日コリアン、沖縄の方、部落解放運動家による、シンポジウム、コンサートが企画されていた。
これは、直前に起こった3,11の震災で中止されたが、今年の3月10日に「いのちの響舞台(コンサート)」は、開催された。
(この事が本になってて、当日販売されてた、読んで勉強します)
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私が生まれ育った、兵庫県の工業地帯は、在日コリアンも、沖縄の人もいて、きついもので無かったけど、『差別』を垣間見る事があった。その「感じ」をちょっと前からブログに書こうと思ってた。

講師の先生は、在日コリアン2世で、39歳で親鸞に遇うまで、日本人には絶対心開かないと決意して、指紋押捺を最後まで拒否した女性だった。今は、沖縄に暮らし、米国基地設置反対のデモ活動など、している。

講題は『願いをもって出会い続けよう-未来のために』

現在(今)は、過去から繋がった未来であり、未来は現在(今)が作ってゆくものである。

今の私は、親鸞が願った未来を生きているか?
『未来』のビジョンは、もちろん『浄土』であり、今それを実現するための行動が出来ているのか?

『想いが起れば、アクション!』

そう、何をしたらいいのか?
何ができるのか?
なんか、やらなぁな。


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