おはようございます。

 

自己実現を繋ぐ

心理カウンセラーの井手章紀

(いであきのり)です。

 

 

今の社会にはたくさんの言葉があります。

 

 

少し前まで全く聞いたことがない言葉を

今は当たり前のように生活に取り入れられていることも

珍しくありません。

 

 

使う言葉が最先端であればあるほど

それを使っている人を見ると

 

「あの人は最先端を生きているなあ」

 

「言葉を使いこなしていてカッコいい」

 

と好印象を持たれ、

逆にその言葉を知らない人を見ると

 

「時代に置いて行かれている」だの

 

「常識を知らない」だのと

 

小ばかにされてしまうというのも

直接自分が体験しなくても一度は見聞きしたことが

あるのではないでしょうか。

 

 

よくあるのが長い単語や略された言葉ですね。

 

いつの間にか浸透している言葉も

 

今は増えてきていますが

その言葉を知らない方を見た時に

 

「この人無知だな」と思ったことはありませんか?

 

 

そして、その言葉を使いこなす自分に

優越感を抱いたことはありませんか?

 

 

ただ、そういった状態ですと

同じようなことで苦しみに遭います。

 

 

自分の無知が知られそうになると

 

何が何でもそれを避けようと

知ったかぶりをしてしまったり、

 

常に最先端の単語や情報を調べて

置いていかれないようにと

 

必死になるかもしれません。

 

 

 

言葉や知識の本質を掴んで下さい。

それは何のために使うものですか?

 

 

それらは自分の生活を豊かにするため、

心地よくなるために使うものだと私は思います。

 

 

ですが、いつの間にかそれが

意味を知っているか知らないかで

 

優越感や劣等感を感じるための道具に

なってしまっています。

 

 

私も学生時代それが特にありました。

 

 

テストでは自分の点数よりも

周りの点数や順位を気にし

 

どれぐらい人より上か下かというのを

いつも見張っていました。

 

 

当時は突出もしたくないというのも

私の中にはあったので

 

それなりの良い感じの順位(クラスの中でちょい上くらい)なら

安心しそれよりも下だったりすると

 

劣等感をめちゃめちゃ感じていました。

 

 

とても失礼だなと今は思いますが

当時の私はそれでしか自己価値を発見できずにいました。

 

 

でも、それで身につく価値と言うのは

本物でもないし、さらに一時的なものでしかないので

 

すぐに失われ

またそれを求めて次のテストの点数や順位を

見張っていましたね。

 

 

本当に不毛な戦いばかりしてきたと

思います。

 

 

改めて言葉や知識は

自分の生活を確かに豊かにしてくれることもあります。

 

 

ただ、それが

人を馬鹿にするため、自分の価値を高めるために

知ろうとすると

 

いつもそのことばかり気にして

その言葉や知識に押しつぶされてしまいます。

 

 

何のためにその言葉や知識を使うのか、

 

今の様々な言葉が移り変わるこの時代に

一度考えてみてください。

 

 

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