おはようございます。

 

自己実現を繋ぐ

心理カウンセラーの井手章紀

(いであきのり)です。

 

 

今回はいじめありきの話になってしまうので

心苦しい部分もあるかもしれませんが

ご了承ください。

 

 

皆様はいじめの場にあわなければ

やはりあわない方が良いとは思いますが

 

今まで生きてきた中で

そのような経験はありましたか?

 

 

当事者でなくても

傍観者としてでも構いません。

 

 

むしろ今日の記事は傍観者に

重きを置いている部分もありますから。

 

 

いじめとまではいかなくても

いじりの場に出くわしたことはありませんか?

 

 

少しここから嫌なことをお聞きしますが

そこであなた自身が笑ってしまったことはありますか?

 

 

今日の話はこのいじめの中で生まれる

笑いについてです。

 

 

いじめの中で起こる笑いは

 

いじめの当事者として相手を嘲笑うというのを除いて

あと2パターンあると考えています。

 

 

1つは意識的に自己防衛をするために

周りに合わせて笑うというもの、

 

所謂苦笑いというやつですね。

 

 

次自分がいじめられないように

悪目立ちしないように笑う、

 

これ関しては皆様も

分かりやすいのかなと思います。

 

 

そして、もう一つ

こっちの方が厄介なのですが

 

場に呑まれて笑うというものです。

 

 

本当はいじめたいという気持ちが無くても

場の雰囲気に呑まれてついつい笑ってしまう

というものです。

 

 

自分の中の残虐な部分が出てきたり

 

周りの残虐性を自分が取り込んでしまったり

することで生まれるものです。

 

 

いじめの中には

一人一人との関係は悪いものではないのに

 

集団になって場が出来上がることで

いじめが生まれるということがあります。

 

 

それはいじめと言う一種の場が出来上がって

それでいじめていると言えます。

 

 

この場の力というのが

良くも悪くも強いので

 

いじめと言うのが

その場の中ではまかり通ってしまいます。

 

 

いじめでなくても

羽目を外してやらかしてしまった経験のある方は

 

場に呑まれることがどういうものかを

理解しているのではないかと思います。

 

 

あの人が増えてくると出てくる

 

今なら何してもいいのではないか、

 

何でもできるんじゃないかという

 

独特の感覚になる、

それが場に呑まれるというやつです。

 

 

私は学生時代いじめをする当事者に

なったことはありませんが

 

この2パターンの笑いに関しては

してしまった経験があります。

 

 

それで人を傷つけてしまいました。

 

 

今は分かりやすく笑いを

分けてお伝えしていますが

 

いじめられてる側からしたら

どれも同じ「笑い」です。

 

 

そのことには、

 

笑ってしまった当時もいじめられていた私が

誰よりも分かっていたはずなのに

 

本当に申し訳ないことをしてしまったと

過去を振り返って思います。

 

 

 

ただ、今の子供にこれらを説明して

「あなたは決して

このようなことで笑ってはいけませんよ。」

 

と言うのはあまりお勧めしません。

 

 

なぜならこの笑いは子供にとっては

どういう形であれ自己防衛です。

 

 

それを禁止してしまうと

子供はその世界で生きづらくなります。

 

 

正義を振りかざす人程

生きづらそうだなというのは

 

昨今のSNSを見れば

もう皆様もお分かりかと思います。

 

 

 

そして何より今の社会では

大人は当たり前のように

 

その笑いの中で生活をしています。

 

 

いじめでなくても

残虐なものや晒上げられる姿を見て

笑っている、

 

これらを私自身否定することはありませんが

社会がそのような姿なのに

 

それを子供たちにするなと

言うのは無理があります。

 

 

じゃあどうすればいいのと思われますよね?

 

 

私自身今回の話を

根本的に解決していくとしたら

 

毎度お伝えしていることになりますが

自分を満たしていくことしか無いと思います。

 

 

いじめの場に呑まれない、

 

場の嫌な空気が創られそうだったり

出来上がってしまった時は

その場からそっと離れる、

 

自分を守るための心の強さを持つ、

 

それが自然とできるようになるためには

自分を満たしていくしかありません。

 

 

逆に言えば学校やクラスの全員が

自分を満たしていれば

 

いじめと言うものはそもそも起きません。

 

 

自分が満たされないからこそ

 

その満たされない空気が

嫌な場を創ってしまいます

 

(この場が創られる仕組みは

セミナー内で紹介していますのでここでは割愛させて頂きます)。

 

 

自分を満たしてください。

 

それはいじめをする側も

いじめられる側も、傍観者も同じです。

 

 

いじめはいじめられる側が

悪いという時代がありました。

 

 

そして次はいじめは加害者が悪い、

昨今は傍観者に責任があるという風潮があります。

 

 

ですが、このようにいじめの責任転嫁をしている限り

いじめが無くなることは残念ながらありません。

 

 

それらはいじめと言うものの

本質を分かっていません。

 

 

誰かが悪いだとかの悪者探しや

正論を振りかざして攻撃したところで

 

それをいじめている側や傍観者にぶつければ

やってることはその方達をいじめているのと同じです。

 

 

どんなことにも言えますが

本質を見ない解決は同じ問題を繰り返します。

 

 

いじめの問題なら

加害者、被害者、傍観者が

 

別の誰かに変わるだけです。

 

 

いじめの本質を知って下さい。

 

 

いじめられている側も

 

いじめている側も

 

傍観者も皆何かを抱えています。

 

 

抱えているから

いじめてしまったり、いじめられてしまったり

いじめを傍観する、

 

所謂いじめがまかり通ってしまう場が

創られていきます。

 

 

 

少し最初の話題から

外れてしまったので戻しますが

 

今回はいじめの中で笑いたくなくても

笑いが生まれてしまう理由についてお話しました。

 

 

やはりいじめの問題は

 

身近に相談できる方に

ご相談されることをお勧めします。

 

 

かく言う私は

いじめられていた当時はその事実を隠して

 

成人後に親にぶっちゃけましたけど…(笑)

 

 

その経験があるからこそ言えることですが

自分の中でいじめの経験を隠しておこうと思っても

 

ドンドン生きづらくなります。

 

 

その苦しみは学校が終わっても変わりません。

 

 

どこかでバレるかもしれない

増え続ける不安感で常に一杯になります。

 

 

どんな形であれ

やはりぶっちゃけた方が楽です。

 

 

今は相談できる場が

少しずつ増えてきていますからね、

 

合う場所を是非探してみて下さい。

 

 

私もその相談できる場を創る一人です。

 

 

保育園~高校生まで

私の身には何かしらいじめやいじり等の問題が

常にありました。

 

 

その後はパニック障がいになって

自分の人生の課題を知りました。

 

 

自分と向き合う生活をしていく中で

自分の人生を生きる覚悟が生まれました。

 

 

今となってはそのような問題には

一切巻き込まれることなく

 

自分の人生を心軽く生きています。

 

 

その経緯や経験の中で

相談者様に合わせてお伝えできることがあると

思います。

 

 

これに関してはいじめの限りではありません。

 

 

私が心理カウンセラーとして仕事をする

どんなことについてもです。

 

 

それに私は誇りを持っています。

 

 

これからもこの思いを旨に

自分の生き方や経験をお伝えしていきますよ。

 

 

(以前いじめに関して述べた記事はこちら)

 

 

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長い記事になりましたが

最後までお読みいただき、ありがとうございます。