皆様こんにちは。Akiです。
8月が終わるとまだ暑いのに
どこか心が涼しくなる、
そんな気がしてしまいます。
さて話は変わりますが、
私が最近大事にしてることについて
お話します(今回とても長いです。)
それはどんなことにも
善悪をつけないことです。
具体的に話していくね、
まずイメージしてみて下さい。
例えば最近だとSNSやら
Youtubeやらの誹謗中傷って
後を絶たないですよね。
SNSを使っていて
全く見ない日なんて
なかなかないです。
誹謗中傷とまでは言わないけど
Youtubeだと特に低評価が
わかりやすいですね。
Youtubeで低評価が押されてない
動画ってなかなかないですよね。
なら低評価が悪いかというと
そういうわけでもなくてね
これもイメージしてほしいんだけど
Youtubeで高評価1000で低評価0みたいな
動画がもしあったとしたらちょっと怖くないないですか?
ある程度の低評価なり抵抗だったりが
あったほうが人は受け入れやすくなります。
これは勿論、誹謗中傷や悪意ある発言を
推奨するわけではないよ。
勿論どんなことも度が過ぎればきつくなるし。
ただどんな悪いことにも裏表があるのも事実です。
例えば誹謗中傷などで傷つくことで
助けてくれた人、得られた経験など
少なからずありますよね。
そのような人間関係や経験は
言い方を変えれば誹謗中傷、悪意ある発言
によって得られたものと解釈することもできます。
この解釈は慣れてないと難しいことも分かっています。
人という生き物は被害者であることを
無意識に心地よいと思い
そして加害者を100%悪者にして糾弾することに
また喜びを見出してしまうからです。
自分責めもまた同じです。
自分責めしている時の言葉を
思い出してみて下さい。
本当に自分のことを責めていますか?
自分を被害者にして
相手責めていませんか?
ここら辺の話って言葉起こすのはすごく難しいです。
だから一人一人考えてみて下さい。
少し話が脱線したので戻しますね。
ここまでの話で一つ結論をだすと
どんなことにもメリットが存在しているということです。
自分にとって心地いいことだけ起こると
最初のうちはいいけど
段々つまらないなあって感じちゃうだろうし。
それを回避するための
ストレスや嫌な出来事もそれは
人生におけるメリットです。
1つ結論が出たところで
最初の善悪をつけないということについて
話を戻すよ。
まず勘違いしてほしくないのは
善悪をつけないからといって
嫌だと思わないとはまた違うからね。
そりゃあ悪口やら誹謗中傷やら
言われたら嫌さあ。
それを好きになりましょうなんて
流石に俺でも無理よ(笑)
嫌だって思うのは自然な心、
大事なのは嫌だからどうするっていう話。
SNSだとよくあるのは
相手と同じ土俵で戦って
まわり巻き込んで
喧嘩してるケースね。
自分がやられたからとか
こんなこと許されないとかなど
自分の善意という名前の
自己満足の正義感を振りかざして
相手と徹底抗戦するみたいな。
SNSや言葉の暴力などで多々あるよね。
最初悪口言われたはずの被害者が
徹底抗戦した結果、最終的に加害者に
なってるケースとか。
結局それって世間で当たり前になった
勧善懲悪がもたらした結果なんよね。
悪いとみなした瞬間、徹底的に叩く
その光景を見て周りは
「どっちが被害者側かな」って
味方になる方を見定め
敵となる加害者と戦う、
そして被害者と加害者が逆転すれば
また周りは被害者側について
加害者と戦う、
これを何度も繰り返しています。
そういう集団心理なんだろうけどね。
結局自分の正義を振りかざしたいだけなんよね。
そこには相手の気持ちを思いやるとかはなくて
むしろ自己満足のためなんよね。
で、ここまで書いといてあれなんだけど
私はこれ自体を否定はしません。
まあ否定したら同じ土俵ってのもあるんだけど
一番はこれをやってる人たちの気持ちが
私自身分かるからです。
この正義感で動いてる時って
脳からある種の快感物質が出てると
思うんよ。
だって人間嫌なことを繰り返したいって
思わんやん。
ちょっと決めつけな部分もあるだろうけど
これだけ多くの人たちが
やるんだから快感じゃなきゃ
やらないでしょ。
実際正義感の衝動で動くと
私自身なんか快感な気がするし。
で、みんなはその快感物質の中毒に
なってるだけやと思う。
だからその物質中毒が
やめられないならそれはそれでOK。
ただその生活ってすごく疲れるというのが
個人的印象。
これって何しにいってるかというと
わざわざ戦いにいってるんよね。
正義のためにとわざわざ戦って
興奮しに行く、これってすごく怖いなあって
感じます。
だからやりたい人はやってもいいけど
私はパスかなあ。
この原理に気が付いたから
やめようと思った。
平和が一番だといってるはずなのに
やってること戦いだからね。
武器は言葉。まあ一番怖い武器やし
何よりそのまま本当に大きな争いの
火種になりかねんものやからね。
だから善悪をつけるって
戦いの始まりなのよ。
勿論戦いが悪いものと
言うつもりはない、
けれど私は嫌です。
でも人間だからさ何でも0には出来ません。
そんなこと言うんならそういう
戦いのゲームや漫画、アニメを
お前は触らないのかと言われれば
それはNOです。
普通にやりますし見ます。
でもここが娯楽の良さで
誰かに迷惑をかけません。
自分が純粋に好きで心地よいものを
心地よく楽しむ、それ以上は何もしません。
好きなものを共有したいとは
思うけれどそれが押し付けにならないように
細心の注意は払ってます。
自分の中で正義感とか
悪意だとか外に持ち出したくないものを
うまく消化するための楽しいツールが
私にとってはこのような娯楽なのです。
とは言っても戦いが嫌なのに
それはどうなのってやはり言うかもしれません。
だから私はどっちでもいいと言っています。
戦い、勧善懲悪、正義感
どれも悪いなんて一言も言ってません。
ただそういうものにいつの間にか
集団心理で巻き込まれるのは
やはり疲れます。
だから一人一人やりたいことを
選んでいくことが大切ですね。
戦いや正義感からの快感が
やりたければやればいいし
平和をやりたければ選択する
それも自由です。
誰もその選択に干渉はできません。
いつでもその選択は変えられます。
その事実だけは忘れないでね。
ではでは(^^)/