皆様こんにちは。Akiです。
このブログは私個人の意見によって
書いているものです。
私の両親はそれぞれ
全く性格の異なる人でした。
前のブログでも少し話しましたが、
母はなんでもやらせる
所謂完璧ママと呼ばれる人でした。
私は過去に合気道、空手、柔道、体操教室
といった運動系から
塾のような勉学系
といったものまで色々やっていました。
(勿論時期はそれぞれ違う時期でしたよ。
でも塾は保健室登校に
なるまで通っていました。)
運動系は特に無かったのですが、
勉強に関してはすごく厳しく
点数や順位でめちゃくちゃ叱られてました。
塾の中の仲間や先生と話してた方が
楽しい、家に帰りたくない。
また叱られる、なんて思う時も
しょっちゅうありました。
また、母は何かあって
私が謝っても
許してくれることは
ありませんでした。
言葉にするより行動を見せろ
勉強で結果出ない→怒られる
→謝る→行動しろ→辛いまま勉強
→最初に戻る
そんな毎日でした。
努力が結果に結びつかないと意味無し
だから私は母から褒められたことは
ほとんど無いかな。
あったとしても圧倒的に
怒鳴られたことの方が多い。
それも倫理的に悪いことをしたから
ではなくテストの点数が悪いから。
その一方父は完全放任主義者でした。
先ほどの母の話を聞くといい感じに
見えますが、これはこれでエグかった。
まず、真面目な相談をしても
からかわれる。
普段は仕事人間みたいな人で
私に対しては常に
話かけるなオーラ出してて怖いし
それでも休日とかにそういう相談しても
基本相手にされない。
仕事が忙しいからとか言われたり
話聞いても茶化されたりしました。
私が昔から怖いものが多く
その度に父がそこに連れていったり
やらせたりして、
それ見て笑ってるっていうね。
例えば
小さい頃私は高い所が苦手だったのに
無理矢理肩車してきたり、
そして私がそれに慣れてきて
肩車を楽しみだす
とやめるという、ね。
私は昔は特に怖いものが多く
高い所の他に人形とか、
音(雷、運動会の鉄砲)、
特定の絵、着ぐるみ、戦隊ものの敵など
その怖いものが判明するたびに
そこに連れていったり見せたりして
泣きわめくのを笑いながら見ていた
のを思い出します。
のくせ普段は
仕事モードで怖い人ですからね
ある意味近づくこと自体怖かった。
一番きつかったのは
父親の好きな映画のゴジラ
を映画館でみせられて
それが、そのころ最も苦手な
エイリアンが身近の人を洗脳
して自分を殺してくるみたいな
設定だったかな。
それを無理矢理連れて行かれて
見せられ父親は私がそういうの
苦手なのに「俺がそのエイリアンだったら」
とかその頃の私にはシャレに聞こえない
弄りをしてきました。
そして帰りで自分が
好きなもの食べたいって言ったら不機嫌に
なって別に食べたくないトンカツ屋に
連れていかれ、そこで私がキャベツ残した
かなんかでむっちゃ機嫌悪くなって
家で母巻き込んで大喧嘩するっていうね。
えっと小学2年生の話ね、
めっちゃ辛かったよ。
その時私は母に
「自分なんていないほうがいいんだ。」
て私が言ってたのを今でも覚えてる
って最近言われました。
小学2年生でそんなセリフが出るとは…でしょ
そんな二人に挟まれて
私は生活していました。
いや~
生き地獄でしょ
続きます。