前回の続き
保健室登校になってから
私はとてもいい方々に恵まれました。
保健室の先生、担任の先生、
スクールカウンセラーの先生、
本当に私のために動いてくださいました。
数学と英語はやっておいたほうがいいからと
私一人のために授業してくださったり、
保健室の先生も、
私の悩みを聞いて下さったり、
学校に来やすい環境を作ってくださったり、
と本当に嬉しかったです。
本当にありがとうございます。
でも、だからこそ
よけいに辛かった。
こうなったのは
勉強に追い詰められてたからだと
先生方には言っていました。
確かにそれもあったけど本当にそれが
問題じゃない。
でも本当のことを
言ってしまえば私は学校から追い出される
or「いじめは駄目です。やめましょう」
なんてHRなんかで話題になって余計に
居づらい環境に今度は保健室という逃げ場
もなく、さらに辛い思いをしないと
いけないと思ったから。
保健室に人が入ってくる度に
私は耳栓をした。
もし、私のことをクラスの人間に
ばらされたらどうしよう、
その瞬間に「終わり」になってしまうと
登校時は母に車で送ってもらった。
下校も生徒に会わない時間にしていた。
休み時間は地獄だった。
生徒が保健室に入ってくる確率が高いから。
とは、言ってもほぼ毎日通った。
カウンセラールームで話したり、
保健室で勉強したり、
寝てたり(笑)
など授業には出てないけど通いはした。
そして、2年3ヶ月という月日は流れ
私はある選択を迫られた。
高校に行くか、行かないか。
西南学院は中高一貫校なので高校生には
なることが出来る。
でも、それはもしかしたら
あのころのクラスメイトや、
そこから派生して、私の噂が広まった人間
がいるかもしれない。
そして、高校に行くということは
保健室とはお別れしなければならない。
高校は単位足りないと
中学とは違って留年だからね。
もう逃げ場は無いと思ったよ。
でも、私は行くことを決めた。
「無理だったらやめてやる。」
正直勉強はしてたとはいえ、
他の高校に行ける学力は無かったし、
何より中高一貫のルールに
反したくは無かった。
これだけ色々してくださった学校、
絶対ここよりいいところは無いと思ったし。
そして、私は高校生になった。
なんか、途中から痛い文章になってるね(/-\*)
いやあ、思い出しながら書いてたら
いつのまにかねぇ…
正直軽くいきたいんだけどねえ…
あっ…一個だけ重要なことね。
私は
別にその時いじめられたことに
対しての怒りとかは
特にありません。
だって原因私にあるしね。
その後広められたのかとか
耳栓してたのとかも全部
勝手な私の被害妄想も
含まれてる。
てか、ほとんどそれじゃね
って思うくらい(笑)
だから、これ書いてるのも別に
やられたから
そのときの恨みを
ブログに書いてやろうとか、
その人を特定してとか、
そんなんじゃないから。
確かにやられたことは前に書いてる
通りにあるにはある。
でも、覚えてないとかがほとんど。
誰がやったとかはもう名前でてこんよ。
そういう人がいたことは覚えていても名前とか はもう思い出せません。
ほんと、全く恨んでないんだわ(笑)
だってこの問題…
自分で作った「恐怖」に
怯えてるだけだから。
だから、これっていじめで
保健室登校になったのかと
言っていいものなのか…
というわけで
開き直ってるとか
そんなんでもなく
ただ書いてるだけ。
なんで、じゃあ私の過去をなぜ書いてるか
というと
このブログは私の成長記録でもあるので、
心理学で触るときとか知っとかないと
わからないことばかりだと思ったから。
触る度に説明してたらめんどくさいしね。
というわけでまとめてるってだけ。
というわけで今回はここまで。
次回は高校に行ってる時の話。
では!