時をかける少女を4幕構成で見る。
 

 

今回は細田守監督作の名作、時をかける少女の大枠のテーマについての考察をする。

起 
ある日真琴はタイムリープ能力を手に入れる

承(前) 
真琴はタイムリープ能力を乱用(笑)し野球の試合で活躍したり、好きな夕飯を繰り返したり、カラオケで10時間歌いまくったりする。

ミッドポイント 

真琴は千昭に告白され、巻き戻しで無かったことにする

承(後) 
告白された真琴は千昭を避けるようになる。その結果千昭は真琴の友人、早川とくっつく。
真琴は功介に好意を抱いている後輩を功介とくっつけるためにタイムリープを繰り返す。
2人をくっつけることには成功しタイムリープの残機を使い切り、後輩と功介は事故に遭って死ぬ。

転結 
実は千昭は未来から来た人間であり、最後に残機を使い切って浩介を救い、真琴に正体を明かし姿を消す。真琴は告白を無かったことにした事を後悔するが、千昭が時を戻したことにより残機が1こ復活した事に気づく。そしてタイムリープを手に入れた日まで時を戻し、千明に会いに行き未来へ帰す。

文章量を見てわかる通り、前半には大きな展開はほとんどなく日常描写がひたすら繰り返され後半の伏線が散りばめられている。前半は真琴がタイムリープを繰り返しとてもテンポ良く会話劇やギャグが繰り広げられる。これだけでも面白いのだが、この真琴の日常を率直にじっくり描く事によりラストの切なさを大きく助長する効果もある。細田監督は同ポジを良く演出で多用するが今作は同じ時間を繰り返すシーンが多く同ポジの演出と見事マッチしている。

 ストーリーは綺麗な4幕構成になっており、主人公は前半まで自分の過ちに気づかず突き進む。しかし中間でアクシデントが発生。だんだんと過ちに気づき始め、ラスト主人公の感情が爆発し正解(テーマ)に辿り着くという形になっている。

 主人公真琴はタイムリープを繰り返し使い楽しい日々を送るが、千昭に告白されたことによりそのループは終わりを迎える。周りの人間を巻き戻せても自分の心は戻せない。一度知ってしまったからには、戻して無かったことにしても自分の心には残り続ける。
 しかし真琴は現実(今)と向き合わず、告白を無かったことにして千昭を避け始めてしまう。その結果千昭は自分の友達と付き合ってしまうが真琴はそれでも自分のやりたい事に従い続けた結果、色々あって千昭は未来に帰れなくなり姿を完全に消すことになってしまった。千昭からしてみたら告白も出来ないまま。

これはタイムリープで人の気持ちを軽く扱った真琴への罰とも言えよう。
ここで重要なのは真琴はタイムリープという最強とも思える能力を手に入れたにも関わらず現実を思い通りにコントロールすることはできなかったという点だ。
なぜか、それは真琴が馬鹿だからではない(少しはあるかも知れないが、、)それは自身も含め変わり続ける心をコントロールするという事は不可能だからだ。
この世界に「変わらないもの」は存在しない。

この作品で伝えたい事、それは時は戻らないという事だ。時をかける少女というタイトルなのにも関わらず結論は時は戻らない。真琴が学んだことだ。時は戻らない、むしろ戻すべきではない。今この瞬間を全力で生きるしか自分たちに出来ることはないのだ。ラスト真琴が作中初日に戻り千昭に会いに行く。たまにここで言われるのは、千秋と真琴でお互いタイムリープを繰り返して無限耐久すれば良い、そのまま過ごせば良いなどだ。
確かにそれは出来る。しかし真琴がそれを選ばないのはするべきでないと学んだからだ。時は戻すべきではなく未来に進めて行くべきなのだ。だから真琴は現代に残ってなかなか帰れてない千昭を未来へ返す。
「未来で待ってる」「うんすぐ行く、走って行く。」というセリフは2人が今や過去に縛られず未来へ向かって生きて行く事の決意表明の役割もあるのだ。


時をかける少女というタイトル。
タイムリープをするから時をかけるという意味もあるが、未来に向かって走っていく少女という意味も含まれているのではないだろうか。






おまけ

私が時をかける少女を始めてみたのは確か小学3年生の時、金曜ロードショーだった。
私はそれまでアニメの絵が苦手で(今も少しある)アニメ作品の視聴は拒む傾向があったが「時をかける少女」をみてからアニメは面白いものという認識が出来た。アニメをみて感動したのは初めてだし、面白いとも思ったのも初めてだろう。面白いというのは作品に対してもそうなのだが、アニメーションでここまでのものが作れるとは!というアニメーションという概念そのものに面白さを感じた。
私がアニメを制作するきっかけの根本にあるものは間違いなく時をかける少女だ。
今でも断言して言えるが細田守監督を超える演出家は存在しない。だからこそ細田監督にはまた時かけのような名作を作って欲しい。