フラクタルを全話見ました。
以下ネタばれ感想。
1話を見て、久しぶりに大きな大きな希望と期待感が。
この空気感、雰囲気、高揚感。
脳裏をよぎっていった映像は、ラピュタ、ナウシカ、紅の豚・・・そう往年の「宮崎ジブリ作品たち」
それは模倣とかそういう意味ではなく、なにか共通するような伊吹を確かに感じる。
「これはポストジブリ、2000年代のラピュタとなりうる作品なのでは?」
そう考えてしまった人は自分だけではないんじゃないかと思うのですがどうでしょうか?
1クール11話とボリュームとしては決して多くない話数で終了。
全て見終わって。
「・・・・ふぅ。・・・まあ、こんなものか」
と思ってしまってる自分が。
脳裏をよぎった単語は、消化不良、抽出不良、そして演出不良・・・
THE・中途半端。
もうちょっと整理して掘り下げてみたいと思います。
描きたかったのは「世界」なのか?「人」なのか?「その全て」か?
壮大なスケールと世界観に対して11話は少なすぎたのだとは思います。
ですが、それは制作段階で承知の上で作ってるはずなので言い訳にはならないとして。
どこか歪んだ世界で生きる
「少年と少女ともう一つのとある形」
を描きたいのであればこの3人の内面の葛藤・交錯・成長をもっと深く抽出して描くべきだったと思います。
逆にこの独自の壮大な「世界観」そのものを魅せたかったのであれば
「人類はなぜフラクタルシステムに辿りついたのか」
「そのシステムはなぜ再起動に追い込まれたのか」
「なぜロストミレニアムという概念が生まれたのか」
「そもそも再起動とはなんなのか?」
「そもそもオリジナル・フリュネは何故選ばれたのか」
「そもそも人はなぜ『フラクタル』を受け入れたのか」
深く深く肉薄して描かなければ受け手側に理解も共感も反発も納得も否定もしようがない、わけで。
さらにいってしまえば
「歪んだ世界(だかそれが当たり前となっている世界)とそこで生まれてそれぞれの運命を背負った人々の選択」
こそを描きたかったのであれば、11話枠でやろうとしたこと自体が判断ミスでしょう、と少々辛口に。
エウレカ・セブンという作品があって、
高評価が多い一方、内容への批判や批評はもちろんある作品ですが「話数が長すぎる」という批判は少数派な気がします。
このフラクタルという作品が持つスケールは、少なくともエウレカが描こうとして(そして描ききった)ものと遜色なかったと思いますし、逆に言えばそれぐらいの枠が必要だったんじゃないでしょうか。
それでもどうしても11話枠で描ききるなら「アキラ」を目指すべきだったのかもしれないとも思いました。
1ムービー、という枠にも関わらず「アニメ版アキラ」は「アキラという一人物」でもって、あの世界の空気をしっかりと主張・表現することに成功していた。
そういった説得力はフラクタルではどのキャラクターからも感じられなかったわけです。
ポスト・ラピュタという観点の部分を。
パズーとシーターが偉大すぎると言ってしまえばそれまでですが、やはりあれはあの時代にあの偉人だからこそ表現できた一つの到達点だったわけで、現代のアニメシーンで単純に「パズーとシータ的少年少女」を描いても
受け手側がしらけて終わるああ空回り
のリスクの方が高い時代なのかなとは常々思っています。
どうしたって現代という社会はあの時代よりも少しだけ、でも確実に歪んでいて、病的であり、そういう要素は含んでこそ、現代に生きる受け手には「説得力をもって届く」という部分はあると思うのです。
このフラクタルという作品でかなり露骨に暗喩(という表現もあれですが)されていた、
「少女と(親権者による)性的虐待」
という要素。
これはいかにも現代的だなと思ってしまう(そのこと自体が問題ではあるわけですが・・・)かなり根が深い要素ですが、
「本当にそこが表現するべき核心だったのか?」
と思わざるを得ない使い方であったのが、最初に抱いていた「2000年代のラピュタ的作品」への期待感を消滅させた決定打だったのは間違いないと思います。
ヒロインの処女性がうんぬんとかは実際どうでもよく、
この要素を描くのであればもっとしっかり描くべきで、オリジナル・フリュネからしてもっと大事に使わなければならないのに、最後の帳尻合わせのような役割(しかも雰囲気で押し切ろうとするかのような詰込み型演出)にしてしまったことで、かなり受け手側に
「なんだこれ?」感だけを残す悪ファクターになってしまっていたのは否めないと思いました。
ネッサとフリュネという人格も
「まあ、合体して本物が一つ残ったからいいじゃん」
とでも取られてもおかしくない、軽い扱いで終わらせてしまったことも同じくですね。
受け手によって賛否あるでしょうが、自分としては少なくともあのエピローグは
「はい、いつまでも3人一緒に・・・を小馬鹿にしてみました」
と映ってしまいました。
着想・構想・スケール感・雰囲気・・・・そういったものから考えれば見終わって↑のような感想を得た今でさえ
「全てを徹底的に丁寧に作りこみ、本当に「伝えたいこと」を明確に抽出して描ききれば、ラピュタやナウシカのようにその後何十年も語られる作品になれたのでは・・・」
との思いも残る、とてもとても残念かつ惜しい作品だったと思います。
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ずっと気になってたのだがなかなか機会がなく見逃していた
アニメ版
・ロードス島戦記OVA
・ロードス島戦記 英雄騎士伝
を最近ようやく見ました。
自分にとって特別な存在ですらある、ファンタジー好きになった原点ともいえる作品。非常に面白かった。
ですが。
「原作ありきって本当に難しいなあ」
ともこれ以上もなく痛感です。
あ、ここでいう原作とは「水野良著作の小説版」を指します。
これは厳密には違うということは承知の助。
ロードス島戦記の原作とは?の正解はおそらく
「単行本化されてない幻のD&Dリプレイ」
もしくは
「↑をリメイクしたロードス島戦記TRPGリプレイ」
であり、
そこからの派生・マルチメディアミックスの一つの形として「小説版」がある(代表作が小説版であるのも否定できない事実としても)ということ。
全て承知の上で、
小説によってロードス島戦記という作品に出会い、そのおかげでTRPGだのフォーセリアだのドラゴンマガジンだのに興味をもった一個人としては
やっぱり
原作 = 小説版
になってしまうのは、もうご勘弁を、って感じですよね。よね。
以下ネタばれ感想。
~ロードス島戦記OVA~
前半のストーリーは小説の1巻をほぼ忠実に再現。
ちょっと引くほどに痩せこけているのにしっかりと病的よりも知的が優先して映るスレインとか、
上品とか優雅なんて言葉を隠れ蓑に覗かせる悪戯心と好奇心が移り変わりまくりの表情が愛らしいディードとか、
キャラクター描写のクオリティが驚くほど高い。
水野×出渕の世界観を本当にそのままアニメにした!
という感じで小説ファンにとってはつまらないわけがないという仕上がり。
後半から突如オリジナルストーリー(というより、大筋は小説版を追いつつ大胆に加工・編集したリミックス版とでもいうべきか)に突入する。
とはいえ小説版の持つ空気をそこまで壊してるわけでもなく
全13話でまとめるには必要な編集・独自解釈かと納得できる範囲内。
まあ、でもせっかくこのクオリティできたのだから
小説版全てを忠実にアニメ化してくれれば理想だったのに・・・
と思わせながら終わる。そんな感じ。
※ウィキペディアで参照した情報によると、OVA制作時点で小説未完とか。。。なら致し方なしですか。。ね。
~ロードス島戦記 英雄騎士伝~
第1話が小説版の3巻というはじまり。
OVAの小説版ベースだった前半の続きという見方もできる。
絵柄のタッチはかなり柔らかいアニメ系に変化していて、ディードやスレインはOVA版の方が雰囲気あってたなあとか若干の違和感を感じてしまうものの、
小ニースの登場でその反則的な可愛らしさに、これが狙いか!と勝手に納得してしまう。
(にしても時代を感じさせるのもありますが、小ニース・イン・ルーズソックスとか・・・卑怯にもほどがありますね。はい)
ストーリーは小説版をほぼ忠実に再現。
やっぱりなんだかんだいってもロードス島=小説版だよなあ、とうんうんうなずきながら、順調にテンションも上げながら見続けていき・・・あまりにも理解不能な事態に唐突に脳内フリーズ。
それは第18話。
小ニース召喚をたくらむバグナードを訪れるある人物・・・
小説版でいうところの、黒と灰色が交錯する超重要シーン。
アニメ版でも同じ展開に・・・・
って、誰?
なんの前触れもなく、カーラがウッドチャックじゃなくなってる(なんとなくレイリア風の容貌の女性がカーラとして登場し、バグナードにさらっと「それが新しい器か」とかなんとか言われる)とか。
意味がわからないまま、脳裏には?????しか浮かばず。
そのまま流れ続けた十数分がまったく記憶に残らず、もう一度最初から見直しました(苦笑)
結局最後のクライマックスまでこの謎は解けず。
小説版をほぼ忠実に再現していたストーリー展開も物語が佳境になるにつれアレンジが目立ち始め、いくつかの本質的な要素としての???も見え隠れしてくる。
無理やりに消化したり納得したりやっぱりできなかったりしつつも物語は完結。
うーん。。。。。
アニメと小説では演出面で大きく異なる要素があって当たり前だし、小説家とアニメ監督が別人である以上、同じ作品に仕上がらなくて当たり前。
とかそういった大前提は承知の上で。
ちょっと自分の中のもやもやを整理してみたいと思います。
●自分の中で納得・解決できた要素
1・スパーク主人公特化とパーン脇役化現象
2・バグナード劣化現象
1はそもそも小説版でも最終章はスパークが主人公、パーンは脇役なのでアニメ版の方がその強調度が強いとはいえ気にならない範囲内。アニメ版の構成として小説の1~2巻&5巻を排除してしまった以上、パーンが誰よりも何よりも最後までロードス島戦記の主役であることを説明するのも難しいだろうというのも納得できる。
スパークが主役、小ニースがヒロイン。アニメはこれぐらいわかりやすくていい、ということなんでしょう。リーフの恋心が滅殺されたのも同じ理由でだと思われですし。
2はギリギリ納得できるというところ。
そもそもバグナードとは究極のエゴイズムを美学にまで昇華したとでも言うべき人物で、
彼にとっては権力とか王国の支配とか、ゴミカスのようにどうでもよいことで、ただただ自分の
「魔術師としての私欲」
のためならロードス島はおろかフォーセリアなんぞ道具じゃぼけーというという
「自分の死すら到達するべき目的のための手段の一つ」
に組み込んでしまったお人なわけで。
それが、いかにもな「悪の帝王の大ボスの大魔王様」みたいな役どころに「劣化」させられてしまったのは可哀そうというか・・・悲惨だなあと。
とはいえ、これもヒーロー・ヒロイン・ラスボスどーん!という古き良きアニメの黄金律のためにそうなったのが理解できるので、
うん、
最終話のニースが自分を受け入れるクライマックスシーンとかは本当にお見事!っていう素晴らしい仕上がりでしたし、まあ、ここは悪役のさだめってことで諦めろバグナード!と納得してみました。
●自分の中で納得・解決できなかった要素
3・ウッドチャックにあやまれ
4・レイリアにあやまれ
3も4も同じなので同時に語ります。
小説版ロードス島戦記はパーンの物語であると同時にスパークの物語でもあったわけですが、同時に架空戦記としての歴史群像劇でもあったわけで、大小様々のエピソードが縦横無尽してた中で、パーン・スパークという2大主人公と並ぶべきもう一つとして
「カーラの物語」
であったと思うわけですね。
そして小説版ロードス島戦記を愛する者としては、カーラの物語とは
「レイリアよりはじまり、ウッドチャックが囚われ、それが解放された時、レイリアがそのウッドの想いも含めて全てを受け入れて再びサークレットをはめる」
ことによって初めて完結するわけで。
小ニースが自らの全てを受け入れることで物語が大団円を迎えたように、
このサークレットをはめてカーラの全てを受け入れるレイリアの存在なくして、
「カーラに支配された事実」
「自身の幸福と引き換えにナニールという宿業を娘に引き渡してしまった事実」
は彼女の中で昇華されることはなく、大団円には加われない。
はずなんですが。
その描写、ありませんでしたね。最後にサークレット胸にギューって抱いてたけど。表面的な描写と本質的な解釈は同一視できませんよね。
てか、ウッドではない謎の女性が解放された時点で
「終わったんですね・・・」とか本人言っちゃってたし。
これはほんと~~~~~~~~に残念だった部分。
ウッド抹殺の方はぎりのぎりで納得はできるんですよ、実は。
カーラ=灰色の魔女。この事実を上手く映像で表現するのに小説版1巻のストーリーをカットしてる構成では、ウッドカーラは「え?魔女?おっさんじゃん」となってしまう恐れがある。だからどこかで女性にしちまおう。
とか、そういうことであれば。
アニメ版は小説を知らずにアニメから見始めた人のための作品でもある、という意味では間違いとも言いきれないわけで。
バグナードが泣いたんだ、ウッドも泣いてくれ。でも仕方ないかもしれない。それによって、パーンのパーンたる度(スパークが小ニースのために、マーモに乗り込むのと同じかそれ以上に、パーンにとってはウッドのためにマーモへ乗り込むという意味もあった)激減という障害もでますが、
最初からアニメ版ではパーンは超脇役の定めなのでそれも呑み込めるところ。
ん~でもね。
レイリアの方はダメでしょう。
娘の物語はあんなに見事に素晴らしく終わらせてあげたのに、
母ちゃんにその仕打ちはひでえよ・・・・
といったもやもやが冒頭での
「原作ありきって本当に難しいなあ」
という言葉を吐き出させたのでありました。
クオリティの高い、いいアニメだったのは間違いありません。
ただ、
最初に出会った水野良が描くロードス島戦記の人物描写がよすぎたってことでしょうか・・・
どう転んだって英雄とは呼ばれなかっただろう、
「ちょっと腕がたつ程度の、間違いなく小心者で小物で俗物な、でも人並み以上の義侠心とかも持っちゃってる、どこか憎めない愛すべきおっさん」
だったウッドチャック。それを誰より自覚していて、だからこそ
「俺は確かにお前ら英雄たちと並んで歴史を動かしてたんだ!」
って捨て台詞が強がり半分も本音半分だっただろうウッドチャック。
うん。
僕はウッドチャックが大好きだったんです。
はい。
