いつの時代にも金じゃ買えない旧式デバイスへの熱きノスタルジーを捨てきれない輩がいるってことさ

「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」第三話の中盤。
開始15分40秒前後のバトーのセリフ。

トグサの言葉「にしても、なんでまたそんなポンコツの旧型ロボットにこだわってんの?そいつは。」に対するバトーの返答。

攻殻機動隊S.A.C第三話「ささやかな反乱」

この第三話では、やはりアンドロイドにゴーストが宿るかどうか、物語中に出てくるジェリというアンドロイドで、最後に残った機体はウイルスが検知されなかったにも関わらず、「本当に愛していた。」という記憶データにはない言葉を用いていた。

アンドロイドの一斉自殺に関しては、ウイルスによるものであることがわかったわけだが、ウイルスに感染していないアンドロイドもオリジナリティを持ち始めていた。オリジナリティを持つような学習機能がある最新型ならいざ知らず、旧式の本当にロボットでしかない機体がオリジナリティを持つということは、AIの計算式では導き出せない非論理的な解を導き出すというもの。それがゴーストだということだ。

つまり、ゴーストとは論理では導き出せない何か、ということが言える。

これは完全にアニメの世界の話ではなく、われわれの現実社会でも起きていることであって、深く考えさせられるものがある。

とりあえず、このバトーの言葉は結局はXPの人がなかなか7に移行したがらないってのと同じことだな、と思う。
肉体が死んだら宗教から開放される

「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」第二話の中盤。
開始16分20秒前後の名台詞。

正確に言えば、死んでしまった加護の遺言をトグサが話している場面。


Ghost in the Shell SAC 02A esp


特別この加護という人物がこの物語の主要人物というわけではない。というか、この話にしか出てこない。攻殻機動隊S.A.Cの第二話ということもあって、話の内容自体は、この物語の機械的設定がわかるような感じであった。

その中でも深い言葉が、この加護の遺言である。

加護はもともと病弱に生まれ、ロボット工学を研究していたが、医者からは20歳の春まで生きられないだろうと言われていた。長生きするためには、身体を擬態化、電脳化するしかない。しかし、加護の家族は宗教的な理由で擬態化、電脳化を禁止しており、このまま生身の人間としての生をまっとうするしかない。

その加護が、なんとかロボットへの執念だけで28歳まで生きながらえたが、やっと完成した戦車を前に亡くなることになる。そのときに発した加護の遺言がこの物語に出てくる言葉「ゴースト」とは何かを表しているものではないかと思う。

元々、この攻殻機動隊の話では前提として、「人間を擬態化、電脳化し、遂には脳だけを残して身体全てが作られたものである人間と、無から作られた人工知能を有した人間に限りなく近い存在との境は何なのか。」という問いかけがなされているように思われる。

その問いのキーワードとなるものが「ゴースト」であり、その身体にゴーストが宿っているかどうかが人間か機械かを区別する概念なのではないか、ということだ。

さて、話を戻すと、肉体が死んだら宗教から開放される、というのは、つまり宗教が縛っているものは肉体だけである、ということだ。しかし、自分が思うに、宗教というものは心を縛るものであって、身体を縛るものではない、という認識が強い。心を縛るからこそ、肉体の行動も制限される。

だから、ここで加護が言っている宗教というものは、形式的なものではなく、信仰という概念だと捉えたほうが良さそうだ。つまり、加護が信仰しているものは両親であり、両親が信仰している宗教ではない、ということだ。

そう考えれば、この話の最後に、加護が両親に復讐しようとしていたのではないことに整合する。つまり、加護は小さいころから育ててもらった両親に感謝しているからこそ、両親を信じ、擬態化、電脳化を行わなかった。だからこそ、擬態化、電脳化を信じない両親が考える「死」とは肉体的なものであり、だからこそ肉体が死ねば宗教から開放される、と言ったのだろう。つまり、両親の概念から解放されるということだ。

だから両親としては、再び両親の前に鋼鉄の肉体を持って現れた加護はすでに死んでいる人間であり、それが両親からとってみれば、ゴーストと言えるだろう。

しかし、擬態化、電脳化を受け入れている少佐やバトーからしてみれば、加護はその時点ではまだ生きている人間と捉えるだろう。つまり、その人間が持っている概念によって、ゴーストという概念も変わるものであり、非常に相対的な言葉といえる。

そして、人間それぞれが持っている概念自体が、ゴーストである、というアニメではなく現実の世界としての捉え方を示唆している作品でもあるように思われる。
世の中に不満があるなら自分を変えろ!
それが嫌なら耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ!
それも嫌なら・・・



「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」第一話の冒頭。
開始2分48秒前後の名台詞。

敵の言葉「お前ら警察か。もはや体制に正義はなし得ない。」に対する少佐の言葉である。



今まで人類の歴史というものは、矛盾なき体制などというものは存在しない。矛盾があってこその世の中なのだから。世の中から矛盾が消えれば、人は生きているという実感を失う。かといって、矛盾をそのまま見て見ぬふりをするのもまた違う。

正義や悪という言葉を使う時点で、そこには矛盾が発生する。本質的にそんな概念は人間が創り出したものであり、宇宙物理学を考えたときに、そんなものは存在しないことがわかる。

矛盾とは人間が生きていく上で編み出した知恵であり、その矛盾と戦うことこそが生きるということを実感することなのだと思う。

悪がいなければ、正義というものを実感することができない。

かの有名な「アンパンマン」というアニメ作品だが、作者であるやなせたかし氏がおもしろいことを言っている。
かなり深い内容だが、簡単に言うと、「アンパンマンはバイキンマンがいるから存在し得るのであって、バイキンマンがいなくなったらアンパンマンは存在できない。つまり、アンパンマンとバイキンマンは鏡に映し出された同一人物である。」ということだ。

さて、話がそれてしまったがどうやってまとめたものか・・・。

つまり、敵が正義という言葉を使っている時点で、視野が狭くなっているということだ。正義と悪があると信じている人間ほど質の悪いものはない。こういう人間がテロや犯罪を犯しているのだ。

しかし、戦争は違う。戦争は出来レースであり、正義と悪などこの世には存在しない、ということをわかっている人間が敢えて、正義と悪の戦いという物語を作り出し、それを実行しているだけなのだ。

なぜそんなことをするかって、そりゃあ、人間ってのは戦争がないと平和というものを実感することができないからだ。今の自分の人生は、常にだれかの犠牲の上で成り立っていることに気づかなければならない。もしかしたら、本来ならば自分がその犠牲者であってもおかしくないのだから。


そして、少佐はそれをわかっている側の人間であり、つまりこのセリフを少佐は何人もの犯罪者に対して言ってきているのであろうが、それが終わりなき戦いであることもまた知っている。

攻殻機動隊は、そういった終わりのない世界のなかの情緒みたいなものを微妙な表現で表されており、作品を通して全てにその要素が含まれているように感じる。

そしてこのセリフは、世界を変えるには自分を変えるしかない、ことの強いメッセージであり、それはそのまま世の中に生きる誰しもが一瞬にして世界を変えることができることを表している。