少佐「彼、英雄だからでしょ。」

バトー「その英雄が人形だってわかったら、それに信じてついてきている国民はどうなるんだ。」

少佐「機能しない名ばかりの英雄よりも、夢を語り続ける人形のほうが、いくらかマシよ。」

人間というのはヒーローを求めるんですね。これは常にいつの時代もどこの場所でも変わらない人間の心理なのだと思います。人は光を発する人に惹かれ、その人についていこうとする。

これは宗教学とも似ていますが、宗教学はただの概念であって、形式的なものです。その本質にあるものはすべての人間行動の原理となっており、法則があるような気がします。

世の中には、英雄になる側の人間と、大衆になる側の人間の二種類がいます。と思いがちですが、本当はそうではなく、英雄も大衆の一人に過ぎません。二種類にわけるとすれば、大衆側の人間と英雄を創り出す側の人間というわけ方になるでしょう。

英雄は大衆の一人。つまり、英雄は言われたことだけをやる人形でも構わない、ということになります。英雄は一人では英雄足り得ない。英雄というポジションを作る人間がいてこその英雄であり、一人では機能できない。言われたことだけを繰り返して、大衆に夢を語る人形こそが、英雄を存続させるための方法であることを少佐はわかっている発言のような感じだ。
課長「劇とは、観客自体もその演出のひとつに過ぎない」

第四話から始まった「笑い男事件」の再発。
警視庁が視覚素子の不正使用により、民衆からのバッシングを受けそうになったところで、警察側が自作自演の笑い男事件を起こすことによって、民衆の話題をそらせようとした。
その笑い男による警視庁総監暗殺の茶番劇にて、警察も想定外の茶番劇以上の出来事が起こってしまう。
その出来事が、オリジナルなき模倣者たちの行動であり、スタンドアローンの複合体である。

それが一つの物語となり、観客である民衆までもが巻き込まれていく、ということを言っているのだろう。まさに、それぞれの人生がそれぞれの主役であるかのように、自然発生的に起こる模倣現象。

真似をしたくなる、という人間の本質を表しているものであり、この世にはオリジナルのものなど存在しないということになる。我々の周りにあるもの、現象、すべてがオリジナルなき模倣されたものである、とも言える。

それを表してるのが課長の下記最後のセリフ。

課長「そして模倣者たちもこの現象が引き寄せたスタンドアローンの複合体であり、所詮はオリジナルのないコピーなのだ、と。」

何度も言っているが、攻殻機動隊の世界は決してアニメの中の非現実世界のものというわけではなく、我々が生きる現実世界で起こる事象をわかりやすく表したものであると思う。

結局は、こういった人間の行動学のようなものが、昨今ビジネスでのマーケティングなどにも用いられてきており、攻殻機動隊からビジネスまで学べてしまう。ビジネスを学ぶというよりも、人間の本質を知るということが全ての我々の世界では活かされることであり、そういった意味でも、こういった大人アニメをみることはとても意義深いものであると自分は思っている。
少佐「そうしろって囁くのよ。あたしのゴーストが。」


課長「よかろう。我々の間にはチームプレーという都合のいい言い訳は存在せん。あるとすれば、スタンドプレーから生じるチームワークだけだ。」

さて、第四話のなかにはこれといって名台詞や名言はなかったが、この攻殻機動隊S.A.Cの話のほとんどを占める「笑い男事件」に関しては、第四話から始まる。第三話までは、攻殻機動隊というアニメの設定を視聴者に教えているだけに過ぎない。

そして、第五話にして少佐と課長のこのセリフ。

このアニメの全てを表していると言っても過言ではないだろう。
GHOST IN THE SHELL という言葉にもあるように、この現実世界におけるゴーストの存在(これは幽霊とかお化けとかの話ではなく、人間の遺伝子レベルを超えた魂レベルの存在を表す)を士郎正宗氏は気づき表現したかったのだと思う。つまり、簡単に言ってしまえば、AIと人間の違いって何?ということになる。

突き詰めて言えば、人間とは非論理的な生命体であり、AIは極めて論理的な生命体(ここで生命体と言っていいかどうかは定かではないが、ゴーストが存在するかどうかがその定義だとすれば間違っているのであろう)である。

人間は時に、理屈には合わない結論を出すときがある。またそうしなければこれまでの発展はなかったであろうこともわかる。ではなぜ、論理と非論理の間でこうも矛盾が発生するのか。また、発生しないのか。

さて、話を戻すと、課長の命令は七尾についての情報収集だったわけだが、少佐はそこからはずれ、警視総監の護衛につくことに決めた。どうしてかはわからないけれども、そうしなければならない予感がする。いや、予感以上の確信がある。けれどもそれは論理的確信ではないため、説明はできない。

だからこそ、出てきた言葉であり、これはもっと我々の現実世界でも使われるべきであると思う。例えば、企業にしたって、仕事をする人間のゴーストの存在を認識できる人が増えれば、世の中もさらにおもしろいことになるだろう。また、それには相当な訓練が必要で、ゴーストと若い人間ゆえのバイタリティを間違えたりもする。一歩間違えば、その行動はまったく意味のないものになるどころか、マイナスを生み出すことになってしまう。

今の世の中、このゴーストの存在を認識せずに、論理世界に生きる人間が多くなりすぎているからこそ、その論理を壊していく存在が現れるのもまた、ゴーストの存在を証明している。そうやって、人類の歴史は作られてきているのだと思う。


そして、課長の言葉には、それこそ攻殻機動隊足りえるゆえんの言葉「STAND ALONE COMPLEX」を端的に的確に表したセリフであろう。民主主義とも違う、独裁主義とも違う、個人主義とも違う、団体主義とも違う、強いて言えば、ゴースト主義とでも言おうか。

それぞれのキャラクターが自己の特性を理解し、それぞれがその特性を生かして独自に動いた場合、自然発生的に起こるチームワーク。これこそが、人間の最強の能力だと思う。

これは軍隊ともまた違う。軍隊はそれほど、個が主張してはいけない。指揮官の命令は絶対だ。またそうでなければならない。それは軍隊という特性上しかたのないことではある。

このスタンドアローンコンプレックスを実現させている団体は、そう多くはないだろう。優良企業のなかにもほぼ皆無といってよい。それほど、難しいことであり、しかし、意識せずにそれは成り立っている場合もある。

この「笑い男」にしても、結局はスタンドアローンコンプレックス的動きになっている。いや、そのものといってもよいだろう。この笑い男の自然発生的スタンドアローンコンプレックスに対抗いうるのが、攻殻機動隊の意識的スタンドアローンコンプレックスと言えるのではないだろうか。

また、こうやって今自分が攻殻機動隊に関するブログを書いているのも、結局は士郎正宗氏、押井守氏、神山健治氏のだれかが起こしたスタンドアローンコンプレックススに巻き込まれているのかもしれない。自覚がないからこそのものではあるのだが。