少佐「彼、英雄だからでしょ。」
バトー「その英雄が人形だってわかったら、それに信じてついてきている国民はどうなるんだ。」
少佐「機能しない名ばかりの英雄よりも、夢を語り続ける人形のほうが、いくらかマシよ。」
人間というのはヒーローを求めるんですね。これは常にいつの時代もどこの場所でも変わらない人間の心理なのだと思います。人は光を発する人に惹かれ、その人についていこうとする。
これは宗教学とも似ていますが、宗教学はただの概念であって、形式的なものです。その本質にあるものはすべての人間行動の原理となっており、法則があるような気がします。
世の中には、英雄になる側の人間と、大衆になる側の人間の二種類がいます。と思いがちですが、本当はそうではなく、英雄も大衆の一人に過ぎません。二種類にわけるとすれば、大衆側の人間と英雄を創り出す側の人間というわけ方になるでしょう。
英雄は大衆の一人。つまり、英雄は言われたことだけをやる人形でも構わない、ということになります。英雄は一人では英雄足り得ない。英雄というポジションを作る人間がいてこその英雄であり、一人では機能できない。言われたことだけを繰り返して、大衆に夢を語る人形こそが、英雄を存続させるための方法であることを少佐はわかっている発言のような感じだ。
バトー「その英雄が人形だってわかったら、それに信じてついてきている国民はどうなるんだ。」
少佐「機能しない名ばかりの英雄よりも、夢を語り続ける人形のほうが、いくらかマシよ。」
人間というのはヒーローを求めるんですね。これは常にいつの時代もどこの場所でも変わらない人間の心理なのだと思います。人は光を発する人に惹かれ、その人についていこうとする。
これは宗教学とも似ていますが、宗教学はただの概念であって、形式的なものです。その本質にあるものはすべての人間行動の原理となっており、法則があるような気がします。
世の中には、英雄になる側の人間と、大衆になる側の人間の二種類がいます。と思いがちですが、本当はそうではなく、英雄も大衆の一人に過ぎません。二種類にわけるとすれば、大衆側の人間と英雄を創り出す側の人間というわけ方になるでしょう。
英雄は大衆の一人。つまり、英雄は言われたことだけをやる人形でも構わない、ということになります。英雄は一人では英雄足り得ない。英雄というポジションを作る人間がいてこその英雄であり、一人では機能できない。言われたことだけを繰り返して、大衆に夢を語る人形こそが、英雄を存続させるための方法であることを少佐はわかっている発言のような感じだ。