(脱パチ156日目)

本日5月17日は母の命日です。花束
気がつけば、もう10年たちました。

私は養女なので、実は本当の両親を知りません。

生まれてすぐ施設に入れられて、父と母(養父母)に

引き取られました。

 

全く見ず知らずの人の子供、(しかもどうやら北欧人とのハーフ)の異形な私を、父と母は大事に大事に育ててくれました。

特に母は、


周りからいじめられないように。
できるだけ人と違わないように。
目立たないように。
集団にできるだけ溶け込むように。

そんな風に必死だったと母の死後に聞きました。

でも私は「人と違うのが素晴らしい」なんて価値観だったから、
母に反抗ばかりしていました。(^_^;)

どうやって扱っていいかわからず、母はよく泣いていました。

「血」がつながっていない子供だから、腫れ物を触るよう。

遠慮なく叱れなかったんだと思います。

「血」と言うのは怖いもので、私はなんとなく本能で「この人の子供じゃない」ってわかっていた気がします。

だから父と母が死んだ直後に、金庫から戸籍謄本が出てきて、
両親が養父母だとわかった時、
ショックより、「・・・・ああ、そうか。そんな気がした」と納得の気持ちが強かった。

甘え方もよくわからなかったし、「お母さん」と呼ぶのが異常に恥ずかしく、大人になるまで、(大人になった後も)あまりまともにそう呼んであげたこともありませんでした。

 

きっと寂しい思いをしていたと思います。

でも怒ることなく、いつも自分より私を大切にしてくれました。

一方の私はと言えば、

大人になって何もかもうまくいかず、

自暴自棄になり、運命を呪って、

自虐してひねくれて、ギャンブルに狂って、
そんな母からの仕送りの金すら、パチンコに入れていました。

晩年、母が病気になり、入院生活を送っていたときも、
どうしてもギャンブルがやめられず、

やめよう!今日こそやめる!!と思いながら、

でもホールに通ってしまっていました。

ある日決死の思いで、
「もし今日行ったら、母は死んでしまうから!!」と
神さまに宣言して、必死に自分を自制しました。

でも・・・・

 

その日も私は

行ってしまった。

 

だから母を殺したのは私かもしれません。

 


いっそ私の方が死んだ方が良かった。
でもそんなことを言ったら、絶対母は怒ると思う。

だから、母のために、

今できることを精一杯しようと思います。

せめて今日の命日には、

いつもさぼっているお供え物をちゃんとして、
仏壇も綺麗にして、

好きだった果物を供えて、

今の家族を大事にして。


何よりギャンブルを

もう二度とやらないことを誓って、
 

謝るよりも感謝をしよう。

母よ。

あなたは立派な方です。
 

育ててくれてありがとう。