生体販売の実情と愛護団体の関係?

 ペットショップやブリーダーなど生体販売は何故、批判されるのだろうか、そして愛護団体は生体販売を批判すべきなのだろうか? 少し検討してみた。

 生体販売が批判されるのに、は幾つかの理由があると思われる。まず、動物を増やしているという視点からの批判がある。これは動物を増やすことが殺処分に増加に結びついていると言えるだろう。

 そこでペットの飼育頭数、販売数や殺処分の現状を見ておく必要があるだろう。

 ペットフード協会における日本の犬猫ペット事情:平成25年の犬猫飼育率全国調査によると、ペットショップ、ブリーダーからの購入率は約71.1%位である。一方、2013年度のペットフード協会の調査では、ブランド犬では2010年には78.1%、2011年には74.9%、2012年には81.6%、2013年には81%となっている。一方、古くからいるような雑種と近年作られた犬種不明のブランドMIXは残りの19%で、そのうち古くからいるような雑種は18%となっている。したがって、この状況から勘案すると、保健所に持ち込まれれる犬がほとんど雑種であるということはいえない。猫の場合はブランド猫は19.9%位で、後は殆どがイエネコだということが言える。

 犬の飼育数に関しては、(単位1000頭)H25年 10,872、H24年 11,534、H23年 11,936、H22年 11,861、H21年 12322、H20年 13101、H19年 12522、H18年 12089と減少傾向を示している。

 また、2013年度のペットフード協会の調査では、犬の平均寿命は14.19歳、ネコの平均寿命は15.01歳である。

 平成24年度の環境省の犬・猫の引取り及び負傷動物の収容状況によると、成犬の飼い主からの成犬の引き取りは13945頭、子犬は2806頭、ネコの飼い主持ち込みは13214頭、子猫は19099頭です。また、同年度の成犬の飼い主以外からの成犬の引き取りは44494頭、子犬は10398頭、ネコの飼い主以外の持ち込みは25278頭、子猫は80154頭である。

一方、2013年度のペットフード協会の調査によるペットの入手先は、ペット専門店が49.9%でブリーダーからの購入が21.2%、友人知人からもらったというのが、24.5%である。つまり生体販売業者からの購入は71.1%であり、上記の飼育数のデータら考えると、差し引き約9.9%は一般家庭で繁殖されたブランド犬か愛護団体等から譲り受けたブランド犬かということになる。また、一般家庭での古くからいるような雑種が繁殖してしまったというのは野良犬を拾った数字から考えると、繁殖した、あるいは愛護団体等からもらったのが約13.7%と言えるだろう。(2013年度のペットフード協会の調査では、生体販売業者71.1%、知人友人24.5%、野良犬4.3、愛護団体4.4、飼育している犬が産んだ2.9%、シェルター2.7%、その他2.5%となっており全部合計すると112.3%となり12.3%が重複していると考えられる。)

 また、上記のデータからみて71.1%が生体販売業者から買われており、飼育総数は約1087万2000万頭で、平均寿命から販売数を予測計算しても、年間約54.7万頭が売られていることになる。

 これは、多くの善良な飼養者が不妊手術というリスクを犯してまで動物の数を減らそうとしているのに、ペットショップやブリーダーは動物の数を年間約54.7万頭以上も増やしているということである。これでは、不妊手術は焼け石に水にしかならない。もしこの54.7万頭がいなければ、犬の総量が減ることで、保健所に持ち込まれる犬が減ることになり、つまり、犬の供給が絶たれ、稀少化を招くため殺処分は大幅に減ることになり、犬が需要を満たさず、犬自体の価値が上がり、成犬でも簡単に里子に出やすくなり、殺処分は大幅に減るだろう。これは、殺処分を減らすという愛護団体の目的に合致することある。そして猫の場合は野良猫のTNRを補助金つきで進めていけば解決する問題である。したがって、殺処分を減らしたい愛護団体は生体販売に反対すべきであるという議論は理にかなっており、つまり合理的であるということである。

これに対して、殺処分は仕方が無いことなので、生体販売は許されるだろうし、動物愛護団体が殺処分を理由に生体販売を批判するのはおかしいと言う意見も有る。

しかし、殺処分は仕方がないというのは、少なくとも行政が最大限の努力を行なっている場合であり、殺処分の法的根拠さえない現状で多くの努力義務(二言論的努力義務)や付帯条件のついた努力義務を守っていない努力しない行政に対して、法律を守って殺処分を減らせと、あるいは道徳的に殺処分を批判することは、殺処分を減らしたり無くす事を目的とする愛護団体の思考と合致し、また、このような行政の態度は殺処分が仕方がない事ではないことを意味し、したがって、殺処分を減らしたい愛護団体は行政を批判すべきということになり、上記で説明したとおり、殺処分を減らす為に生体販売を批判するべきであるという議論は理にかなっており合理的と言えるだろう。

また、殺処分はこの様に様々な方法で減らせると思われる。その中の一番効果的なのが生体販売の規制及び廃止である。また、殺処分は法的にも多くの問題があり、後述するが、道徳的にも悪いと言えるから殺処分は無くしてていくべきものと言えるだろう。

 したがって、こういった対策をすれば殺処分は大幅に減少するために、「保健所で殺処分を行わなければ犬猫が道端にたくさん増え、生態系、衛生に影響を及ぼす」という様な主張には根拠が無いと言う事になる。

 もちろん、殺処分なんてどうでもよい、あるいは減らすべきではないという団体にとっては上記は合理的とは言えないだろうが、動物を愛し護るのが動物愛護であるから、そう言う主張する団体は既に動物愛護団体とはいえない。

 さらに、殺処分が良いか悪いかは道徳的な価値判断であるから、道徳の範疇である。したがって、殺す事自体が「罪もない動物を殺すことはよい事だ」「人間の身勝手な行為により動物を殺すことはよい事だ」「人間の責任を責任能力のない動物に押し付け殺すことはよい事だ」等、とても良いことであるとはいえないと思われ、普遍性の確認のため、この「動物」を「自分」あるいは「人間」に置き換えて思考実験をしても、一貫性をもって明らかにおかしいと言えるだろう。理不尽な理由で自分が殺されることを良いとする人間はほとんどいないと思われ、結局、一貫性のある議論として、客観的に殺処分は誤りであると言えるだろう。これについては、人間同様に扱うことは、擬人化であるという反論が予想されるが、人間と同様な能力に関しては擬人化とは言えない。なぜなら同じような能力を持っていると言うことで擬人化といえるなら擬動物化ともいえるからだ。人間にしか無い能力を他の存在に当てはめ人間のように扱う事が擬人化であるからだ。

 そして、生体販売の持つ根本的な問題は、家族とされる動物については、家族は金で買うものではないといえるし、売り飛ばすものでもないだろう。内在的価値を持つとされる人間と程度の差はあるものの、知性や人間と同じような人格や様々な感情や苦痛を感じることが出来る存在である犬や猫は人間と質の差があるとは言えず、利己的な欲望の手段として扱う事はその動物に道具的価値しか認めていない訳であり、人間と同じような能力が有るにもかかわらず、人間同様の内在的価値を認めておらず、つまり物として扱っており首尾一貫しておらず誤りであると言える。したがって動物を物扱いしている人や物扱いしている、或いはそれを容認している愛護団体等は生体販売業者と根本的思考は変らないと言えるだろう。

 上記の事から言えるのは、法的側面からも殺処分は仕方がないこととは言えず、さらに道徳的にもおかしな事であり、それは、客観的にみてもおかしいと結論できるだろう。したがって、何れにせよ、生体販売の禁止が、愛護団体の勝手な主張というのは全く当たらず、また、ペットショップから買うことは、動物を物として扱うことに加担するだけでなく、総量を増やすことに加担し、さらに、買うということで資金提供することで更なる動物の総量の増加を招き、結果的に、殺処分を増やすことに加担することになり、動物を殺すのはよい事だと思う人や団体以外には容認出来ないだろう。

 もちろん殺処分については遺棄したり保健所に持ち込む人間が悪いとは言えるものの、販売数の減少(飼育数の減少)と共に殺処分も減少している事実や、TNRが理論上でも総量を抑制に寄与し殺処分の減少に貢献している事は明らかであり、総量的に動物の数を増やし、結果的に殺処分を増やしている生体販売業者も当然悪いと言える。したがって生体販売と動物愛護団体の関係は、動物愛護団体は、生体販売を批判するべきであるという立場であると言う事ができるだろう。少なくとも不妊手術を推奨している限りは生体販売を批判するという結論にならざるを得無いだろう。




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