松田早苗氏がご自分のブログで私に対して反論のようなお話をされている様だ。しかし一方的に前後の脈絡無しにお話しされても、読者には何のことかさっぱり解らないだろうと思う。それではあまりに不親切だと思うので、関係者として事の成り行きとか、脈絡を補填したい。

成り行きの概要

 フェイスブックで私の友人が松田早苗氏の文章をシェアしていたので、私がその友人に対しコメントしたのに対し、どういうわけか松田早苗氏が返信したことが始まりである。

 その内容は「動物福祉と動物あいごと哀誤」というページも同時にシェアされていたので、その題名に対し「動物愛誤というのは松田早苗のことだと思うが・・・動物を愛し護る事が動物愛護で、この動物を生かしておいては不幸になると予言者のように妄想して、殺せ殺せというのは動物愛誤。」とコメントしたと言うことである。
 
 そこでの松田早苗氏の反論は「感情論ではなく 反論であろうとも 理性と理論で誠実にご意見をくださる方だけにしていただきたいと存じますと言うところは見落とされましたか?」という事であった。

中略

 そこで「動物を愛し護る事が動物愛護で、この動物を生かしておいては不幸になると予言者のように妄想して、殺せ殺せというのは動物愛誤。」が正しいかどうか検証するために質問を含め、ご自分がおっしゃる、「理性と理論で誠実にご意見」して「理性と理論で誠実にご意見」を返していただきたかったわけであるが・・・

 さらに、何故か彼女はフェイスブックに返信せずに、自らのブログのほうに返信している。これでは前後の脈絡さえ解らず、読者を混乱させことになる。

 彼女のブログに書かれていた内容を見て私は失望した。松田早苗氏は「理性と理論で誠実に」返答すべきであったと思うがそこには、客観的データに基づく論証は一つも無く、本人の経験則や何の証拠に基づいていない非現実的な論理的・抽象的可能性としての推論しかなかった。医薬品の開発に、経験則や適当な推論で開発してはいけないのと同じで、動物の命や扱いを巡る議論にこういった不真面目な態度はいかがな物かと思う。

 結局、「理性と理論で誠実にご意見」という彼女は、その言葉の持つ意味での自分への縛りで自己破綻している。そして、このような根拠を示せないような推論を私は妄想と呼んでいる。確かにこのような問題は、道徳的ジレンマのある問題である。どちらに転んでも犠牲が出るという意味で。だから合理的に解決できるのは功利的に考察することであろう。つまり、利益の多いやり方や被害の少ない選択をすべき問題である。だからこそ、その正確な判断材料になる客観的かつ具体的データが重要なのである。

 そして、彼女が客観的データを元に「理性と理論で誠実に」返答できなかったことでこの議論は終結してしまった。私は彼女の愚痴に対して文句を言うつもりは無い。自家殺処分が理論的に正当化できないことなど、彼女のお話を聞くまでも無く、「苦痛への配慮」、「首尾一貫しているか(普遍化可能性の原則)」、「非差別主義」、という誰もが経験した、あるいは使っていることで、認めざるを得ない道徳的原則で簡単に証明できる。議論にさえならなくて残念である。以下にこのインシデントの成り行きと松田早苗氏の言い分の書いてあるHPへのリンクがあるので、是非読み比べて欲しい。


 以下は私の松田早苗氏の反論や主張に対しての質問や反論である。

 最初のコメントは、貴方にコメントを返したのではありません。あなたのこのページをシェアした人に対してのコメントなのですが、あなたに直接返答した形になってしまっただけです。

 名前がハンドルネームなのは、動物愛護と言うだけで、心ない動物利用肯定者等から嫌がらせをうける可能性が有るからです。そして、ネットの世界では匿名が原則だと思います。

 そして、上記のことから勘案すると、実名を出すのはあなたの自由ですが、それを理由に匿名の相手を批判したり、実名を要求するのはお門違いです。

 さて、社会全体がという意見ですが、社会全体が合理的なら動物問題等起こり得ないわけで、逆を言えば、社会の動物に対する扱いが誤っているから問題が起こると言えます。

 そして、問題は、例えば熊本の場合でもデータ(アライブ等)では周りの自治体で著しく遺棄や持ち込みが増えたということはありません。だから客観的に見れば熊本方式は成功していると評価できます。さらに、その宣伝効果もあってか、周辺の自治体でも殺処分は減少しております。

 それで、あなたの言うようにネグレクトが増えたり、虐待が増えたという主張は、以前より明らかに増えているという統計的な具体的かつ客観的なデータを根拠に仰っていると思いますが、私はそのようなデータを見たことがありません。だから、もしあなたが主張してるように、動物が不安を感じることが、生きていても仕方がないほどの苦痛があるために、自家殺処分して良いと言うならば、それも、その苦痛に対しての具体的、客観的なデータを示す必要があると思います。

 そういった客観的なデータがなければ、あるいはそれが倫理的に論証できなければ、単なる虐殺にすぎません。

 もっと簡単に例を出して言えば、明日、素晴らしい里親に出会うかもしれない動物を殺すことは誤りだと思いますが、逆に、一生里親に出会わないかもしれない可能性も否定できません。つまり、これは両者の意見とも証明できない事となっています。このような状態を反証不能(例えば背後霊とか宗教も同様)といいますが、その反証不能なことを根拠に殺すこと自体が客観的事実に基づかず誤りです。もし、あなたが預言者であれば、問題ないでしょうが、そうでないなら、そのような動物が必ず不幸になると言うことを客観的かつ普遍的なデータを元に説明してください。でないと、妄想に基づく殺処分と批判されてもしかたがないと言うことになります。何故、この部分を厳しく言うかというと、死は不可逆的なことだからです。逆の立場、つまり生かす立場であれば、そこまでいう理由はありません。

「理性と理論で誠実にご意見をくださる方だけにしていただきたいと存じます」ということですから一貫性をもって矛盾のないようにお願いいたします。

 それで、上記の野良ネコ問題の誤りの指摘は多くあるのですが、倫理的な問題は、後で議論するとして、現実的に原因追究をして何が原因なのかを追求し、根本解決をしなければ、意味がないと考えます。原因は以下の通りだと思います。

 まず、野良猫がいるから問題が起きることは事実である。野良猫がいなければ、当然、餌やりさんもいなくなるわけである。当たり前のことであるが、餌を与える必要が無いから当然いなくなるはずである。ということは、野良猫をなくせば良いということである。本来、法的には、野良猫はいないはずの法体制になっているはずが、法律を守らない人間がいるから野良猫は存在することになるわけである。

 そこでもう少し深く、野良猫が存在する原因を探ってみた。野良猫がいる原因は、ほとんどが捨て猫や不妊手術していない外飼いする人のためである。それは年間二十万匹を超える殺処分数になるぐらい、捨てられたり、その結果、繁殖していることになる。そのほとんどが告示26号の緊急避難以外での違法な持込み・引取りによるものであろう事は容易に推測できるだろう。そして、その責任は違法に捨てた人間や、不妊手術なしで外飼いする不届きな人間にあるのは間違いないが、そのことを知りながら野放しにしている人間にも少なからず問題はあるだろう。

 そこを少し掘り下げると、そういった猫が多くいるのは、遺棄事件として警察に告発しなかった地域住民や、公務員の告発義務がありながら告発しない行政、そして告発したとしても、ほとんど動かない警察のためとも言うことが出来る。上記のような違法に捨てる人、不妊手術せず外飼いをする人を取り締まらないから、もうすでに猫捨て放題、やりたい放題ということになっている。この責任は、特に公務員の告発義務がありながら、告発しない行政と、受け付けない警察には重大な責任があると言える。そして、それを見逃してきた地域住民にも、一貫性の観点から自分の事を棚に上げて、少なくとも餌やりさんに文句を言う資格は無いだろう。捜査をしようともしない警察も含んだ上記の例は数多くそんざいする。最近の事例では福岡県におけるダックス・フントの27匹の遺棄事件である。新聞報道されたにも関らず警察の言い分は以下である。

 「(福岡)県警は、遺棄現場が保護する人が皆無の山中などではなく「犬に具体的な危険が存在するとはいえない」として動物愛護法違反容疑での立件は難しいとしている。」

 「動愛法第四十四条3 愛護動物を遺棄した者は、五十万円以下の罰金に処する。」と書かれているにもかかわらず、全く関係の無い言い訳に終始している有様である。このコメントからは動愛法さえ全く読んでもいない事が伺える。

 また当該行政である動物管理センターでは 「動物管理センターの山本康之所長(55)は「繁殖させるブリーダーや個人で多数を飼育している人が捨てた可能性がある。最後まで責任を持ってほしい」と話した。」とあるが明らかな遺棄事件であり犯罪行為であるにもかかわらず、さらに刑事訴訟法における公務員の告発義務があるにもかかわらず、告発さえしようとしていない。

 このような怠業は全国的な傾向にあるが、このような怠業や怠慢が、捨て放題の状況を作り出し、野良猫問題を作り上げている根本原因のうちの大きな原因の一つであると言えるだろう。

 だから、こういった問題が起きるのはは、餌やりさんの問題ではなく、地域住民の問題や行政・警察も含んだ、法律を守らず何の対処もしてこなかった全ての人たちの社会問題であるといえる。

 だから、こういった根本的な社会問題を解決せずに、餌やりさんだけの責任を追及するのは、著しく不公平である。もっと言えば現状では餌やりさんは法律違反をしているわけではない。道徳的にもお腹を空かした不憫な猫に食事を与えて生きるチャンスを与えているだけであり、基本的に悪いことをしているわけではない。

 本来は、動物を捨てた人を第一に取り締まるべきであり、第二にそれを見逃してきた、地域住民、行政、警察の責任を追及するべきものであると言える。そして最後に餌やりさんの責任問題になるかもしれない。

 肝心のこの根本的な問題を分析・検討もせず、どうしても、目立つ行為である「餌やり」を非難の対象にし、規制をかけようとするのは、遺棄という犯罪行為やそれを助長するような見逃し行為者の責任を追及せず、法律違反さえしていない、「餌やり」さんを非難する行為こそが、人権侵害だといえるだろう。そしてそれを規制するために条例を作ることなど、まるで喜劇でしかない。

 したがって、地域住民にせよ、苦情を受けた議員にせよ、上記のような客観的な事実判断に基づいた、客観的な価値判断に基づく行動するべきであるしその行動を期待したい。特に、地域住民の軋轢を不作為により作り出した、行政、警察は猛省するべきだ。

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 餌やりさんの問題に集約していますが、TNRも同じことで、より進歩したやり方であるということができます。
 ここまでが理解されたら、ご希望であれば法的な誤解と倫理的な理論的問題に進みたいと思いますが?



 上記の私の意見、疑問、返答に対する、私が上記で少し批判した松田早苗氏の返答が以下でなのである。

http://s-ma.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/2013-6-4-71c2.html



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