鳥山明先生が亡くなり、悲しくて涙が止まらなかったが、さっきその死因について書いた記事を読み驚愕した。

私の亡くなった祖母と、同じ病名だった。

私の母方の祖母も脳腫瘍で、私が小学3年生の時、亡くなった。

小学2年生の夏に病気の事が分かって、祖母は手術をし、母が毎日泊まり込みで、病院で付き添いをしていた。

それまで、おばあちゃん子で、甘えん坊だった私だが、祖母も母も二人共、病院だし、

幼い弟がいるので、何としても弟を守らねばと思った。

父が仕事が終わると、毎日、隣の街の病院まで私と弟を祖母の見舞いに車🚗で、連れて行ってくれた。見舞いが終わると、病院の近くのファミリーレストランで、食事をするのが、日課だった。弟はいつもお子様ランチ。父は、いつも

🥩ステーキ、私はワンプレートの料理だった。

祖母は、手術に成功し、いちめいを取り留めた。そして、退院して、下町の家ではなく、

上町私の父と母が建てた家で、養生することになった。手術の時、言語中枢神経を傷つけられたらしく、祖母は言葉が不自由になってしまっていたが、完璧主義者の祖母にとって、それはひどくもどかしいものであったろうと思う。

しかし、心の中も頭も、死ぬまで正気だった。

幼い頃の私は、尊敬する人は祖母だったから

二人だけの時、気丈な祖母の涙を初めて見た。

祖母は今まで心に秘めていた悲しい😢打ち明け話を私にしてくれた。そして、今まで心に我慢して隠していた涙を全て流し出すように泣いていた。私は、ただ早く死にたいと云う祖母に、そんなこと言わないで、生きてとしか、いうことが出来なかった。

どんな話しをしたかは、墓場の中まで私は持っていくつもりなので、誰にも言わないから、私から聞き出そうとしても無駄だぜ。

祖母は、普段は、私の友人の叔父さんが作ってくれたソファーに座って、いつもニコニコ☺️笑って一緒にテレビを見ながらご飯をたべていた。好物は、巻き寿司で、母は毎日祖母の為に巻き寿司を巻いていた。短かったけど、静かなやすらぎに満ちた日々だった。

これも、婿養子だった父と母の努力のたまものだったのだろう。

ある日、祖母は下町の家に帰ると言い出した。

どうして?家にいれば、いいのにという、私に祖母はどうしても帰らないといけないと言った。そして、祖父の事をよろしく頼みますと、私に遺言した。

下町の家に帰って、一週間も経たないうちに、祖母の容態が急変して、入院した。

そして、病院で皆に見守られながら、息をひきとった。

弟は、「おばあちゃん死んだんけ?」と、私に聞き、こっぴどく殴られたところから、自分の記憶は、始まっているとか何とか言っていたが、確かにぶちました。

申し訳ありませんでした。イズビニーチェパジャールスタ。

それでは、失礼いたします。ダスビダーニヤ。

Anima 73