アディクトだって人だもの

アディクトだって人だもの

ゲイで薬物依存症、逮捕歴3回・受刑歴2回の自分が思うことや受刑の記録などを綴っています。

元受刑者、待ち人の方など色々な方と交流したいなと思っております。

※依存症や逮捕・服役などについて、ご相談などあればメッセージなどお願いします。

書かなくなると急に書かなくなってしまうブログ。何とかシャバでサバイブしてます。



今日、仕事帰りに久しぶりに護送車を見かけました。





時刻は18時頃。地検から帰る途中だったのでしょう。最近ほとんど見かけていなかっただけに、懐かしい(?)気持ちになりました。



思わずじっと見つめてしまったのですが、あちら側からも見つめ返されていたのかもしれません。護送車の中にいる人間って外が恋しいから結構みんな外を見てるんですが、外の人が護送車を気に留めてることなんかないので。



当然ですが逮捕される人というのは毎日いて、毎日のように護送車というのは走っています。日常に戻って早数年ですが、いざ離れてみるといかに特殊な世界だったのかと強く感じますね。





今日は仕事終わりに歯医者だったので、時間までしばらく街をブラブラしていました。それで護送車とすれ違ったのですが、その後しばらくして薄いスモークをしたバンとすれ違ったんですね。



何故かその時「飯場」という言葉を思い出しました。



飯場というのは、いわゆるタコ部屋のこと。






飯場というのは山奥にあるので、都心部を歩いていた自分がすれ違う訳がないのですが…スモークの中にいた人達がどう見ても肉体労働をしてる男達だったので何となくそう感じてしまったのかもしれません。



或いはただの肉体労働者達が仕事帰りに寮に戻る姿だったのかもしれませんが、「集団でどこかに輸送されていく」という姿にやっばり色々感じる部分があるのかもしれません。





飯場の全盛期は昭和の時代だったようなのですが、今でもドヤ街や山奥には飯場のような場所が存在していると聞きます。ヤクザが管理してる借金まみれの薄暗い過去を持つ人間達が暮らす世界…なんてのが存在しているか分かりませんが、いつの時代も脛に傷がある人間というのはいますからね。



刑務所だって「脛に傷がある人間達が集団で生活する世界」な訳で、ふと昔の自分を重ね合わせて少し感傷的になってしまったのかもしれないな…と思ったりしました。



日常に戻れたのは運が良かった部分も大きいと思っていて、ほんの少し何かが間違っていたら今の生活は無かったような気がします。運や巡り合わせに左右されるのは人生の理不尽さではあるのですが、何かが少しズレていたら今頃また刑務所、或いは飯場のような世界に自分もいたのかもしれません。



最近は日常というのもに忙殺されている感があり、少し疲れているのですが、ふと立ち止まって考えるとどうしても「あちら側の世界」が脳裏を過ぎります。刑務所はもちろん、飯場のように「管理されながら抑圧された人生」を送ってる人もいるんだろうな…などと少し感じてしまうんですね。



自分だってたまたま運良く「こちら側の世界」に戻れただけで、偉そうなことが言える身分ではありません。「そっちは大変だな」などと他人事のように言っているのではなく、いつかまた訪れるかもしれない未来の自分としての姿に恐怖と、そして憐憫の合わさった奇妙な感情が胸を埋めている。そんな表現が正しいのではないかと思うのです。



忙しいとこんなことを考えるヒマもありません。今日はたまたま一人で街を歩く時間があったので、疲れているのもあり昔を思い出して少しセンチメンタルになってしまったようです。